第3話【決着】
「ぐッ、があッ」
真っ白な肌が特徴的な悍ましい姿の鬼は、銀色のナイフを突き刺してきた銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンを振り払おうと巨体を揺する。
肩甲骨を中心に生えた真っ白い腕が懸命にユーイルを引き剥がそうとするが、肝心のユーイルは白い腕を掴んで指先から思い切り齧り付いた。
指先を骨ごと食い千切り、噴き出る黒い靄を啜りながら、周囲には真っ白で悍ましい鬼の背中にしがみついていた。銀色のナイフを背中の中心に深々と突き刺し、簡単に振り払われないように力を込めている。
ごり、ごりんッ。
ぐちゅ、ごりッ、ぼきんッ。
生々しい音を立てて一本の腕を食い千切ったユーイルは、
「まっっっっず!!」
口に含んだ真っ白い指先や腕が、涎だらけとなって肉の床に吐き捨てられる。半分ほど噛まれた状態だったのか、歯型も残っていれば原型が留められていないほどぐちゃぐちゃの状態まで様々だった。
銀色のナイフを引き抜き、ユーイルはあっさりの白い鬼の背中から飛び降りる。
口元を乱暴に拭いながら、彼は顔を顰めて「不味かった……」としみじみ呟いた。心の底から不味いと思っている表情と声音だった。幽霊を食べるユーイルからすれば珍しい反応である。
「不味い、ああ不味い。食えたものではない。全体的に腐った味がする」
口の中に溜まった唾にも鬼の味が染み込んでいるのか、しきりにユーイルは唾を足元に吐き捨てては「不味い」を連呼する。
「おのれェ、羽虫如きが我に歯向かうのか!!」
左右に引き裂けた口から人間と同じ形の歯を剥き出し、背中から生えた腕を食い千切られた鬼が威嚇してくる。
ざわざわ、と鬼の背中から生える腕が蠢く。
骨が鳴るような音が、立て続けに鬼灯の耳朶に触れた。見れば背中の腕が徐々に伸びて、ユーイルを掴もうと五本の指を広げていた。
「オマエを食う為にここまでやってきたが、無意味だったな。オレの努力を返してほしいぐらいだ」
炯々と輝く赤い瞳を眇め、ユーイルは鬼灯を守るように立ち塞がる。
銀色のナイフを逆手に握りしめ、蠢く腕の群れを従えた白い鬼と対峙する。
本当なら食事の為に振るわれるはずの銀食器だが、今この時だけは鬼を傷つける為の凶器として存在していた。「とても食べられたものではない」と酷評を下した不味い料理を、本格的に処理しようとしていた。
「もう死ね。オマエなど不味すぎて食えん」
「死ぬのはお前だァ!!」
鬼が唾を飛ばしながらユーイルへ襲い掛かるが、見上げるほど巨大な身体を持つ鬼にとって人間の平均的な身長を有するユーイルの機動力は鬼門だった。
しかもユーイルは運動神経がいい。暴れる幽霊どもを押さえつけて食べてきただけあると言ってもいいだろう。
白い鬼が伸ばしてくる腕の隙間を掻い潜り、ユーイルは銀色のナイフを鬼の喉元に突き刺した。
「だが、まあ」
喉元に突き刺した銀色のナイフを真横に薙ぎ、鬼の首を引き裂く。
「オレは食事を残さん主義だ。きっちり食べてやろうではないか」
どれほど不味くてもな。
そのユーイルの言葉は声に乗らず、喉を引き裂かれた鬼が肉の床に倒れ伏す。
傷跡となった首から黒い靄を噴き出しながら、鬼は全身を震わせてからピクリとも動かなくなった。大きな口からだらりと舌を垂れ、完全に絶命したことを示唆していた。
心底嫌そうに鬼の巨体へ跨ったユーイルは、今度こそ両手を合わせて告げた。
「い た だ き ま す」
☆
「もう食えん」
ユーイルがそう宣言したのは、鬼の身体を半分ほど消費した頃合いだった。
それまではいつもの食事風景だったのだが、平素と違うのは「美味い」という単語が「不味い」という単語に変わっていたことだ。
それほどこの鬼の味は酷いものらしい。鬼灯にはよく分からないので、ユーイルが終始に渡って顔を顰めながら食事をしているのが珍しく思えた。
「残すの? 待ち望んでいた旧校舎に巣食う何かでしょう?」
「不味いものは不味い。これ以上はオレの舌が馬鹿になってしまう」
あっさりと鬼を食い残すことに決めたユーイルは、
「ああ、それがオレの本体か」
「あ――」
鬼灯の背後にある肉の柱には、ユーイルの本体である入祢由縁が埋め込まれていた。上半身だけを肉の柱から突き出し、頭が項垂れた状態で放置されている。
痩せこけた頬と骨と皮のみで構成された身体は、ミイラと呼んでも差し支えないほどガリガリだった。この状態で生き返っても、人間社会に復帰するのは難しそうだ。
感慨深げに自身の身体を観察するユーイルは、
「こんなに痩せ細ってしまったのか。これではまともに食事すら出来んではないか。高校生にとって食事はもはや娯楽だぞ」
「……どうするの、ユーイル。戻れるの?」
「まさか」
頭を項垂れさせる入祢由縁の身体から離れるユーイルは、用事は済んだとばかりに踵を返す。食い散らかした鬼の死体を踏みつけ、彼は「行くぞ」と言った。
「ああ、鬼灯よ」
ユーイルは鬼灯へと振り返り、ポリタンクを指で示した。
「それを撒いて、火をつけてこい。オレ自身の葬儀だ、盛大に火葬してやれ」
――そうして、鬼灯は旧校舎を燃やした。




