第2話【地獄の門】
力なく頭を項垂れさせた男子生徒の頬に手を這わせれば、彼の身体は酷く冷たくなっていた。
おそらく、生きてはいない。
魂だけの存在となったユーイルと分離しているのだ。身体は死んだも同然で、機能停止していてもおかしくない。
「無事だったんだ……」
肉の柱に埋め込まれた入祢由縁の身体を眺める鬼灯は、安堵の息を吐いた。
ユーイルは「どうせ無事では済まない」と諦め切っていた。
でも身体が無事であるなら、彼もきっと人間に戻れる。時間はかかるかもしれないが、人間としてこの世界を生きていける可能性があるのだ。
足元にポリタンクを置いた鬼灯は、入祢由縁の身体を肉の柱から引き剥がそうとする。かろうじて肉の柱から飛び出した肩を掴んで渾身の力を込めて引っ張るが、彼の身体はびくともしない。
「無駄なことをしているな?」
「ッ!?」
背後から聞こえた声に、鬼灯は弾かれたように振り返る。
にち、にち。
ぐに、にち。
床に広がる肉を踏みつけ、入祢由縁の姿を真似た何かがやってくる。
旧校舎に巣食うのは鬼だとユーイルは言っていた。
だとしたら、あの入祢由縁の姿を真似た誰かは旧校舎を根城とする鬼なのだろうか。人間を食らうとされる、鬼か。
実に楽しそうな笑みを浮かべる鬼は、
「それは地獄の門を塞ぐ生贄だ。かつてこの地に送り込まれた生贄だから、どうせならと思って使ってやったのだ」
「何でそんなことを……」
「人間を食う為に決まっているだろう」
鬼は左右の口を引き裂けて嗤った。
入祢由縁という少年の化けの皮が剥がれ落ちていく。
頭頂部に角のような突起物は見えるものの、おとぎ話で退治されるような馴染みのある鬼の姿ではない。のっぺりした白い肌をした筋骨隆々とした人間の身体に、丸い頭には髪の毛一本すら生えていない。存在するのは耳の辺りまで左右に引き裂けた、やけに大きな人間の口だけだった。
背中から何本も人間の腕を生やした悍ましい姿の鬼は、左右の口を大きく開けて低い声で笑う。
「この町には古来より人間と人間の諍いよりも、幽霊が人間に及ぼす被害の方が多かった。それはお前のような人間がいるからだ」
「私のような……」
「幽霊を引き寄せる体質だろう、お前。今の時代はお前が幽霊を引き寄せるようだが、以前はこの男が月無町に幽霊を引き寄せていたようだな」
鬼灯は、背後に聳え立つ肉の柱に埋め込まれた入祢由縁の身体を見やる。
まさか、彼も鬼灯と同じだとは思わなかった。彼には幽霊を見る才能はなかったようだが、幽霊を引き寄せるという鬼灯と似たような才能を持っていたのだ。
結果的に幽霊が見えないことが仇となって旧校舎に侵入し、この真っ白な鬼に捕まったのか。
鬼は背中から生えた誰のものか分からない手で自分の顎を撫でると、
「ただ、そろそろその生贄も潮時だな。朽ち果てればまた地獄の門が開かれ、月無町に集まった我の手下たる幽霊どもが地獄の門に引き摺り込まれてしまう。せっかく幽霊どもを使って人間どもを食っていたというのに、近頃は手下の幽霊どもがあの小賢しい小僧に食われていてな」
白い腕が、鬼灯めがけて伸ばされる。
ああ、次の生贄になるのか。
目前まで迫った白い腕に、鬼灯はどこか諦めたような気持ちになる。抵抗したところで、鬼灯には何の力もないので無意味だ。
オマエは、長生きしてから死ね。
頭の中で、いつかユーイルに言われたことを思い出す。
幽霊になったユーイルは、鬼灯に「長生きしてから死ね」と告げたのだ。
あっさりと生きることを諦めるのを、ユーイルは推奨していなかった。たくさん生きて、死ぬほど生きて、飽きるほど生きてから死ねと言っていた。
こんなところで死にたくない。
「いや!!」
鬼灯は足元のポリタンクを振り回して、伸ばされた白い腕を弾いた。
「こんなところで死ねない、死にたくない……!!」
生贄になる訳にはいかない。
鬼の思い通りになる訳にはいかない。
こんなところで、死ぬ訳にはいかないのだ。
「生き汚い小娘だ」
低い声で唸る真っ白な鬼だったが、
「――――ソイツを食うのはオレが許さんぞ」
どッ。
鬼の胸元から銀色のナイフが生える。
突き出た切先、隙間から漏れる黒い靄。
カッと開かれた口から鬼の呻きが漏れ、それからゆっくりと振り返る。
「オマエのいる場所などお見通しだ、鬼め」
銀色のナイフを深々と鬼の背中に突き刺し、舌舐めずりをする銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンがそこにいた。
「い た だ き ま す」




