第10話【連れてかれた】
「虫ケラが校舎内を彷徨っていると思えば」
男子高校生にしては長めの髪を揺らして首を傾げる生徒――入祢由縁は、ニヤリと笑いながら言う。
「まさかクソガキ、まだ生きていたとはなぁ」
鬼灯は立ち尽くしていた。
目の前の男子高校生は、銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンと瓜二つだ。むしろ本人である。
ユーイルの本体を旧校舎に巣食う鬼が乗っ取っているのか、それとも旧校舎に巣食う鬼が姿だけを真似して本体は別の場所に安置されているのか不明だ。それでも目の前にいるのは入祢由縁であると理解だけは出来る。
ユーイルは音もなく赤い瞳を眇めると、
「しぶとく生きているとも。オマエを食う為にな、旧校舎め」
「ほう、オレを食うと? 大きく出たものだな」
入祢由縁は楽しげにクスクスと笑い、それからユーイルの背後で棒立ち状態の鬼灯を見やる。
黒曜石の双眸で見据えられ、鬼灯は身を強ばらせた。
彼の視線が鬼灯の全身を舐めるように這い回る。頭の先から爪先まで矯めつ眇めつ観察し、それからグッと眉根を寄せた。
「何だ、その女」
入祢由縁の声音が、明らかに変わっていた。
言葉の隅々にまで警戒が滲み出た声だ。
表情も怪訝と鬼灯に対する警戒心が全面的に押し出されていた。鬼灯がこの場に存在することを認めないとでも言うかのように。
ユーイルはどこからともなく取り出した銀色のナイフを逆手に握りしめて、相手の出方を警戒する。鬼灯も手にしたポリタンクを抱え直して、入祢由縁を睨みつけた。
「――ああ」
警戒していたと思われる入祢由縁は、
「何だ、生贄か。まだいたのか」
「――――え?」
理解できない単語に、鬼灯は首を傾げた。
生贄?
もしかして、自分のことか?
そんな役目を負ったつもりは毛頭ない。生贄など呼ばれる筋合いはない。
なのに、どうして『生贄』という単語にここまで寒気がするのだろうか。
「オマエがいると面倒だな」
入祢由縁が、そっと腕を伸ばしてくる。
距離があるので、どれほど彼が腕を伸ばしたところで鬼灯に触れることはない。触れるには歩いて距離を詰めるしかない。
だが、歩いて距離を詰めればユーイルの餌食となる。旧校舎を食うと息巻いていた彼は、ここに至るまで何も食べてこなかったのだ。今頃、とても腹が減っているはずだ。
――それは、鬼灯の油断である。
「連れて行こう」
ず、
背後で何か重たいものが蠢く気配を感じ取った。
弾かれたように振り向けば、廊下の奥に蟠っていたはずの闇がすぐそこまで迫っていた。
闇の向こうから真っ白い腕が何本も伸びている。体温の感じられない白い腕が、白い指先が鬼灯に触れると逃げないように掴んでくる。
腕を、足を、腰を、髪を掴まれた鬼灯は悲鳴も上げることなく闇の中に引き摺り込まれた。
☆
「――鬼灯!!」
闇の中に引き摺り込まれた鬼灯に、ユーイルは慌てて手を伸ばす。
彼女のかろうじて残された制服の裾を掴もうとしたが、その指先は残念なことに空を切ってしまった。
目の前で鬼灯は闇の中に引き摺り込まれてしまい、姿を消してしまう。声すらも聞こえなくなってしまった。
「オマエが悪いんだろう」
自分の姿を模した旧校舎を根城とする鬼は、クスクスと楽しそうに笑う。
「あの女は、かつてのオマエと同じだ。オマエは覚えていないだろうがな」
「オレの餌になるしかない食材如きが、何をほざく!!」
鬼を相手に吠えるユーイルは、銀色のナイフを振り翳した。
その切先が鬼の喉元を引き裂くより前に、何かによって押し止められる。ユーイルの腕が、闇の奥から伸びてきた真っ白い腕に掴まれていた。
悔しげに舌打ちをするユーイルに、旧校舎の鬼は心底楽しそうに笑っていた。
「助けたいのであれば探せ。なぁに、すぐに見つかるさ」
旧校舎の鬼は、ゆっくりと後ろに下がっていく。
ぎぃ、ぎッ。
ぎしッ、ぎぃーッ。
わざとらしく床板を軋ませながら、闇の奥に消えていく鬼は言う。
「ここは地獄だからなぁ」
クスクス、という笑い声を残して自分の姿を真似た鬼は消えた。
その場に一人で立ち尽くすユーイルは、即座に踵を返す。
鬼の言う通りだった。鬼灯が連れていかれた場所など、すぐに分かる。ああやって言うぐらいだから、きっとそこ以外に間違いはない。
床板が抜けてもいいと言わんばかりの荒々しい足音を深夜の旧校舎に響かせながら、ユーイルは廊下の奥に蟠る闇を睨みつけた。
「地獄? 地獄だと? それはオレが一番分かっているとも」
旧校舎に足を踏み入れ、そこから先の記憶はない。気づいた時には銀髪赤眼という自分の小説に出てくる幽霊みたいな容姿となっていた。
それから長いこと退屈だから、旧校舎に出現する雑魚な幽霊を観察しながら旧校舎を探索した。もう隅々まで見た気分だが、一箇所だけどうしても見ることが叶わなかった。
旧校舎に蔓延る幽霊たちを食えなかったのも、あの一箇所だけ行けなかったのも、まだ幽霊として生まれたばかりのユーイルでは敵う訳がなかったのだ。
「待っていろ、旧校舎」
舌舐めずりをして、ユーイルは言う。
「絶対に食ってやる」
――ああ、その味を想像しただけで涎が止まらない!




