第5話【誰かがそこにいる】
真っ暗な闇に包まれた廊下を、鬼灯はスマートフォンの懐中電灯アプリだけを頼りに進んでいく。
旧校舎は電気などつかない。
月明かりすら窓から差し込むことはなく、この木造建の旧校舎だけが世界から隔絶されたような雰囲気があった。曇った窓ガラスの向こう側も薄暗いもので、別の世界に来てしまったのかと錯覚してしまう。
鼻孔を掠めた埃に思わず咳き込んでしまう鬼灯は、
「ねえ、ユーイル」
「何だ、鬼灯よ」
先導するように歩く銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンは、振り返らずに応じる。
「今まで旧校舎は人を食べていないのに、どうして今になって食べるようになったの?」
「何を言っている、鬼灯よ。旧校舎は今も変わらず人間を食うぞ」
「え?」
鬼灯は少なくとも、旧校舎が人間を食うなどという噂話は聞いたことがなかった。そもそも心霊クラヴが入り込むまで惨殺死体が見つかるような被害はなかったのだ。
それが今になって急に被害が出たということは、旧校舎はついに活動を始めたのだと思い込んでいた。それはどうやら違うらしい。
ユーイルは「そうさな」と両腕を組んで、
「そもそも旧校舎の食事を邪魔していたのはオレだからな」
「邪魔?」
「旧校舎の本体に出会うより先に、オレが旧校舎に入ってきた馬鹿どもの応対をしていた。旧校舎にとって、きちんと食って殺したはずのオレがまだ生きて自我を保っていることが嫌なのだろうよ。なるべく近づこうとは思わないらしい」
そういえば、鬼灯が旧校舎を訪れた時もユーイルが最初に出てきたか。それ以降も旧校舎を訪れるたびにユーイルが真っ先に現れていたが、そんな理由があったのかと素直に驚く。
今ではすっかり鬼灯に憑いて回る幽霊となり、旧校舎を離れてしまった為に被害が出始めたのか。
知らず内に、鬼灯はユーイルの守護下にあったのか。普段は横柄な態度を取るユーイルに、鬼灯は密かに感心の眼差しを送る。
「まあ旧校舎を訪れた阿呆どもが、こぞってオレにお悩み相談をしていく時は腹を抱えて笑ったがな。『願いが叶う』なんぞ誰がそんな馬鹿な噂を流したんだろうなあ!!」
ゲラゲラと笑うユーイルに、鬼灯は前言撤回したくなった。深々とため息を吐く。
ぎぃ、ぎッ。
ぎッ、ぎッ。
――ぎぃー……ッ。
鬼灯の足音の他に、誰かの足音が増えた。
「ッ」
鬼灯は弾かれたように背後を振り返り、音の方角へスマートフォンを突きつける。
今にも抜けそうな床には埃が雪のように積もり、鬼灯が歩いてきた足跡が残されている。
その床に残された足跡のすぐ側に、足だけの誰かが立っていた。膝から下しか存在せず、ボロボロの上履きを履いた状態の足がゆっくりと一歩を踏み出す。
ぎぃー……ッ。
ぎぃー……ッ。
わざと音を立てるように、ゆっくりと。
「ひッ」
上擦った悲鳴が、鬼灯の口から漏れる。
一方ですでに同じ立場であるユーイルは、つまらなさそうに鼻を鳴らしていた。
普段であればおやつ感覚で他の幽霊に手を出す彼だが、今日に限っては食べようとしなかった。おそらく、旧校舎に出現する何某を食べる為に腹を空かしているのだろう。
「旧校舎の奴が手下をばら撒いてきたか。オレと鬼灯を分断させるつもりだな」
ユーイルは鬼灯の腕を掴んで自分のところに引き寄せると、
「鬼灯よ、離れるなよ」
旧校舎全体を包む闇にも負けない色鮮やかな赤い瞳で廊下の奥を睨みつけ、ユーイルは吐き捨てた。
「来るぞ」




