第4話【夜の旧校舎】
「本当に行くのか?」
音弥の問いかけに対して、鬼灯は淡々と応じた。
「はい」
「わざわざ入祢の奴に付き合って、危険なことをする必要はないぞ」
「大丈夫です」
鬼灯は音弥に笑いかけ、
「これが私の選択です。ユーイルの決着を見届けたいと思っています」
「……そうか、じゃあもう何も言わない」
音弥はそう言って、鬼灯にポリタンクを差し出した。
これは昼間、ユーイルが鬼灯に頼んだものだった。
彼が言うには「最高の味付けになるだろうよ」らしいが、それは彼自身の匙加減であり鬼灯には関係ない。とはいえ、必要になるならあった方がいいだろう。
鬼灯はズッシリとした重みを与えてくるポリタンクを音弥から受け取り、
「ありがとうございます。生きて帰れたらお金を返します」
「返さなくていいから生きて帰ってきてくれ」
音弥は「生徒に死なれたら困るからな」と小声で呟いた。旧校舎によって生徒が惨殺されたのは、さすがに音弥も堪えているようだった。
死なない自信はない。旧校舎はユーイルでさえ食べられなかった悪霊だ。
どんな姿形の幽霊なのか鬼灯には理解できないが、多分きっと大丈夫だろう。鬼灯にはユーイル・エネンが憑いているから。
ポリタンクを抱える鬼灯は、
「すみませんが、永遠子をお願いします」
「任せろ」
音弥の腰には永遠子が張り付いていた。
ユーイルが「オレの食事を邪魔するから来るな」と永遠子に言ったのだ。
同じ幽霊として何かを感じ取ったらしい永遠子は、大人しく音弥と一緒に待つことを進言してくれた。旧校舎に永遠子が食べられてしまったら、鬼灯も許せなくなってしまう。
じっと鬼灯を見つめてくる永遠子は、
「鬼灯ちゃん」
「何、永遠子」
「気をつけてね」
「うん」
小さな手を振る永遠子は「いってらっしゃい」と鬼灯を送り出してくれた。
鬼灯もまた「いってきます」と返して、ポリタンクを抱えて旧校舎を目指す。
薄暗い××高校の校庭――その隅にひっそりと存在する木造建の旧校舎。遠目から見ると不気味な雰囲気がこれでもかと漂っていて、近づくことすら躊躇う。
じゃり、じゃり。
じゃり、ざり。
不思議なことに、幽霊は周囲に見かけない。
××高校の校舎内では何度か見かけたが、旧校舎付近では見かけたことがない。旧校舎は人間だけではなく幽霊も食べてしまうのだろうか。
徐々に近づいてくる旧校舎に、鬼灯は堪らず生唾を飲み込んだ。ポリタンクの重みが、彼女を現実に引き戻す。
じゃり、ざり。
ざり、ざっ。
砂が敷かれた校庭を踏みしめる音だけが、鬼灯の鼓膜に滑り込んでくる。
じゃり、じゃり。
ざり、ざり。
――――。
鬼灯はようやく足を止めた。
旧校舎の前では、一人の男子高校生が立っていた。
純銀の髪に夜の闇にも負けない赤い瞳、整った顔立ちは女子生徒が放っておかないだろうが言動で全てが台無しになる。××高校の男子生徒用の制服を身につけた彼は、鬼灯の存在に気づいて振り返った。
「おお、鬼灯よ。来たか」
「持ってきたわよ」
ポリタンクを掲げる鬼灯は、
「これをどうするの?」
「まあ、必要な時はまだ先だ」
銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンは、静かに旧校舎の扉を押し開けた。
ぎぃぃぃ。
軋んだ音を立てて、旧校舎の扉が開かれる。
その向こうで口を開いて待っているのは、旧校舎の薄暗い廊下だ。
月明かりすら差し込まない、真っ暗な廊下はどこまでも伸びている。ボロボロになった床板に剥がれかけたポスター、窓は埃を被った状態だ。
この廊下に足を踏み入れれば、鬼灯は生きて帰れる保証はない。
「オレの食事に付き合うか?」
「ええ」
鬼灯は旧校舎を睨みつけながら、
「最後まで付き合うわ」
もう慣れたのだ、ユーイルの食事に付き合うのは。
やがて訪れる終わりの日、彼との別れを見届けると決めた。旧校舎を食って、彼はどんな選択をするのか受け入れるのだ。
鬼灯はユーイルに導かれるまま、旧校舎に足を踏み入れた。
ぎぃー……。
ばたん。
――地獄への扉が、閉まる。




