第8話【死に部屋送り】
もうすぐ死ぬのだと悟った。
自分でも分かっていた、身体の中の病巣が容赦なく自分の寿命を食い破っていくことを。
このまま病院で死ぬのだと悟った時、不思議と気持ちが楽になった。末期癌と認定されて、苦しい薬にも耐えて、ようやく解放される気持ちになったのだ。
なのに、
「本日から地下フロアへ移動です」
長いこと自分を担当してくれた医者が告げたのは、患者の間で死に部屋と称される地下フロアへの移動という無情な一言だった。
陽射しの当たらない部屋。
自分と同じような末期癌患者やその他の難病指定された患者など、病院側から見捨てられた者が行き着く墓場だ。
「力及ばず、申し訳ありません」
愕然とする自分に、担当医は非常に申し訳なさそうな声で謝罪した。
いいや、どうだろうか。
病院側はこんな末期癌患者など見捨てて、治る見込みのある患者を診た方が有意義なのではないか? いつまで経っても治る気配すらなく、死ぬ様子すらない自分は見捨てられる運命なのか?
そんなの間違っているだろう。
「…………」
地下フロアの奥に移動となった自分は、隠し持っていたメスで首を掻き切って死んだ。
これは、一人の看護師が落としてしまったことに気づかれなかったメスだ。拾って看護師に返そうかと思ったが、自殺の道具に使われるとはメスも想定していなかっただろう。
繋がれた計器たちが、けたたましい警告音を奏でる。命が尽きるのも、時間の問題だ。
この病院を呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる!!
患者を蔑ろにする病院なんて潰れてしまえ!!
病院に対する恨みつらみを胸中で吐き捨てて、そのまま意識が途絶えた。
地下フロアにある一つの病室で、とある末期癌患者が自殺をした。
彼の手から滑り落ちた銀色のメスが、リノリウムの床に叩きつけられて細い音を立てる。
――かしゃん、かしゃんッ。
☆
明かりの消えた廊下の奥に、霊安室の扉がある。
霊安室の秘密を知ってしまった現在、普通の目線では見れなくなっていた。かつてあれは病室で、末期癌患者が入院していて、隠し持っていたらしいメスで自殺を図った。
かしゃん、かしゃんッ。
おそらく、自殺した際に手から滑り落ちたメスがリノリウムに叩きつけられて奏でられる音なのだ。
「食べるの?」
「食べるとも」
銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンは、鬼灯の質問に対して即答していた。
「霊安室の幽霊がどう思っていようがオレには関係ない。可哀想とも思わん」
「そうだけど……」
「末期癌患者が病院側を呪ったのだ。その呪いは最高のスパイスとなろう」
ユーイルは赤い瞳を爛々と輝かせ、霊安室に向かって歩いていく。
薄暗い廊下にぼんやりと浮かび上がる純銀の髪。闇に溶ける黒い詰襟姿なので、首だけが廊下に浮かんでいるようだ。
彼の手が霊安室の無骨な扉に触れた時、再びあの音がする。
かしゃん、かしゃんッ。
かしゃん、かしゃんッ。
立て続けに音が聞こえるのは、自殺を繰り返しているからだろうか?
「鬼灯よ、面白いものが見られるぞ」
「何も面白くないわよ」
心底楽しそうな表情で廊下の隅に佇む鬼灯へ手招きをするユーイルに従い、鬼灯は霊安室の扉の前までやってくる。
ユーイルがほんの少しだけ霊安室の扉を押し開けた。
蝶番の軋む音と共に、明かりの消えた霊安室が扉の隙間から窺える。昼間に見た時と変わらず亡くなった患者を乗せる台座があり、それからほとんど何もない広い部屋だけが見える。
その霊安室の片隅に、それはいた。
かしゃん、かしゃんッ。
かしゃん、かしゃんッ。
ベッドに寝そべり、計器に繋がれ、点滴台が側にある痩せ細った患者。
その患者の手には銀色に輝くメスが握られ、自分の首を裂いて手から滑り落ちる。
ベッドの脇から投げ出されたメスが床に落ち、あの音がする。
かしゃん、かしゃんッ。
かしゃん、かしゃんッ。
何度も何度も、患者の自殺は繰り返される。
死に部屋と称される地下フロアに送られたことを絶望し、自分の首をメスで裂くほど追い詰められ。
恨みだけが残って幾度となく自殺が繰り返される。死ぬことが作業のようになっていた。
痩せ細った患者の繰り返される自殺の光景を眺める鬼灯は、
「…………ああやって、一体何になるんだろう。もう死んでいるのに」
「自分が死んでいることにさえ気づいていないのだろうよ。幽霊とはそういうことがままあるからな」
銀色のメスで自分の喉元を裂き、何度もその手からメスが滑り落ちて、あの音が奏でられる。
かしゃん、かしゃんッ。
かしゃん、かしゃんッ。
かしゃん、かしゃん、かしゃん、かしゃん、かしゃん、かしゃんッ。
それでも死ねないあの患者は、果たして何を思うだろうか。
「それほど死にたいのであれば死なせてやるのがオレの流儀だ」
ユーイルは銀色のナイフを取り出して、自殺を繰り返す患者の元まで歩み寄っていく。
銀髪赤眼の男子高校生が近寄ったことで、患者は自殺の手を止めた。「誰だ?」と言わんばかりに落ち窪んだ黒い瞳が見つめてくる。
銀色のナイフを患者の喉元に押し当てて、ユーイルは心底嬉しそうに笑いながら告げた。
「い た だ き ま す」
――さあ、食事の始まりである。




