第7話【地下の幽霊たち】
「地下フロアに送られる患者は、今にも死にそうな連中ばかりだったと」
蛍光灯がぼんやりと照らす薄暗い階段を降りながら、銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンは感慨深げに頷く。
「なるほど、だから地下フロアの幽霊どもは意外と味がしつこかったのか」
「味がしつこい?」
「オマエも見ただろう、地下フロアでの幽霊の群れを。あれは病院に恨みを持って死んだ連中だ」
確かに、地下フロアで見かけた幽霊たちは地上フロアの幽霊と比べると禍々しい気配を感じた。あれは恨みつらみによるものなのか。
病院側に見捨てられた、終末医療の患者たち。言わば『死に部屋』と称される場所に送り込まれた彼らの恨みは、計り知れないものとなっていることだろう。
徐々に近づく地下フロアに、鬼灯は寒気を覚えた。
「え、こんなに寒かった……?」
「言っただろう、幽霊にとっては夜が本番だ」
ユーイルは薄く笑いながら、地下フロアへ通じる扉の前に立つ。
「まずは前菜からだな、鬼灯よ」
「…………味がしつこいとか言っていたくせに?」
「オレに胃もたれなどないわ」
いいから開けろとばかりに扉を叩くユーイルにため息を吐き、鬼灯は若い看護師から事前に預かっていた鍵を扉に差す。
ガチャン。
施錠が解ける音が、鬼灯の耳朶に触れた。
扉をゆっくり開ければ、蛍光灯にぼんやりと照らされる廊下が確認できた。誰も利用していない物置の扉や壁に貼られた保健関係のポスターなどがある中で、何か黒いものが鬼灯の目の前を横切った。
ボサボサの黒髪にボロボロの入院着、裸足で冷たい廊下を歩く女性だ。全身が真っ黒に塗り潰され、眼球だけが白目を剥いているので恐ろしい。
ぺた、ぺた、ぺた。
女性の足音だけが、廊下に落ちる。
どこを目指している訳でもなく、まるで散歩するかのような気軽さで廊下を歩いている。
足を引き摺り、時折、蛙が潰れたような声で呻きながら。
あ゛、あー。
あー、あ゛ー。
聞くに堪えない声に、鬼灯は自分の耳を塞いだ。
「何をしている、鬼灯よ」
自分の耳を塞ぐ鬼灯の横をすり抜けたユーイルは、その手に握った銀色のナイフを覚束ない足取りで廊下を歩く女性に振り翳す。
その切先は、背後から頸椎を確実に貫通していた。
意図も容易く悍ましい姿をした女性の幽霊を仕留めた銀髪赤眼の男子高校生は、女性を押し倒して早速とばかりに食事をし始める。
「うむ、味がそこまでしつこくないな。諦めも混ざっているのか」
ぐちゃぐちゃ、じゅる。
ぐちゃぐちゃ、ごきんッ。
「腹に溜まらん小物だが、慣らすにはこの程度から始めた方がいいのかもしれんな。可もなく不可もない、中途半端な幽霊だ」
ごりごり、ごりごり。
ごきんッ、ぐちゅぐちゃ。
「ふう、ご馳走様でした」
あっという間に幽霊の女性を完食したユーイルは、次なる幽霊に手を伸ばす。
ユーイルが掴んだのは、壁に張り付いていた少年の幽霊だ。蜘蛛のように壁へ張り付いて銀髪赤眼の男子高校生を睨みつけていたが、自分自身が食べられると知るや否や枝のように痩せ細った足を振り回して抵抗する。
そんなことをしても無駄だ。この男子高校生が獲物を逃したところなど、鬼灯は一度も見たことがない。
小さな頭を鷲掴みにするユーイルは、少年のつぶらな双眸に銀色のナイフの切先を突き入れた。
「昔ながらの醤油ラーメン!!」
ユーイルは嬉々として少年幽霊の味を堪能する。
「まさかここまで美味いとはなぁ。おお、この髪の毛の部分は麺か。オレはラーメン好きだぞ、いくらでも食べられる」
じゅるじゅる、ぞぞぞ。
むしゃむしゃ、じゅる。
「ふむふむ、中身は叉焼とかメンマとか色々な味がするな。全部盛りか、豪勢だ。ああこれほど豪華なラーメンが味わえるとは最高だ……」
「メインディッシュに匹敵しないの、ラーメンって」
鬼灯がユーイルに問いかければ、彼は「何を言う」と反論した。
「鬼灯よ、オマエは知らんらしいな」
「何がよ」
「オレにとってラーメンとは飲み物だ」
自信満々な表情で言ってのけるユーイル。
その言葉は肥満体型の大食いが言いそうなものだが、もしかして彼も同じような思考回路なのか。ユーイルは痩せ型なのでそう見えないのだが。
鬼灯は少し引き気味に、
「じゃあ、貴方にとってカレーは飲み物?」
「カレーは食べ物だろう」
「何でそこだけ認識が違うのよ」
「ご飯がなければ飲み物と見做していいだろうが、ご飯があれば食べ物だろう。飲み物と言ってのける輩はどういう神経をしているんだ?」
「ラーメンを飲み物と言った貴方の神経も疑うわよ」
そんな会話を交わしつつも、ユーイルは少年の幽霊を完食した。両手を合わせて「ご馳走様でした」と告げてから、次なる幽霊へ。
壁に張り付いた男性、廊下の隅で震える女性、物置の扉をほんの少しだけ開けて様子を窺う少女など、様々な幽霊がいる。誰も彼も月無町総合病院に対する恨みつらみを抱いているのか、ユーイルは「味がしつこい」などと文句を言っていた。
あっという間に地下フロアの幽霊を平らげてしまった銀髪赤眼の男子高校生は、
「よし、最後はメインディッシュだ!!」
「まだ食べるの」
「食べるとも。オレの胃袋は底なしだ」
地下フロアの幽霊たちを食い尽くして、ついにメインディッシュとなる霊安室の幽霊まで食べる気力を見せるユーイルに、鬼灯は素直に驚いた。
過去一番の幽霊の多さだったのに食い尽くし、さらにメインディッシュも食べられるとは底なしの胃袋である。大食い選手権にも出れる。
鬼灯は、鼻歌混じりで霊安室のある方向に歩いていくユーイルの背中を追いかけた。
かしゃん、かしゃんッ。
霊安室のある廊下に差し掛かった時、メスの落ちる音が鬼灯の耳朶を打った。




