第11話【お前は此方側に来るなよ】
沼屋敷からやっとの思いで立ち去り、鬼灯は膝から崩れ落ちたいところを懸命に堪えながら西の森の獣道を辿る。
市松人形に取り憑いた幽霊と、沼屋敷に出るようになった女の幽霊は退治した。退治したというより、鬼灯に取り憑いた銀髪赤眼の男子高校生が食事にしてしまったのだ。
もうあそこに幽霊が出るような真似はないだろう。注連縄と紙垂の必要もなくなってくる。
「疲れた、今日も夕飯は素麺でいいかな」
「あたし素麺好きだからいいよー」
鬼灯の後ろからついてくる永遠子が、心の底から嬉しそうに言う。素麺が好きと言ってくれるのは非常にありがたいところだ。
「ふむ、素麺か。素麺は夏の間にしか食べられんからな、吐くほど食べておきたいところだ」
「吐くほど食べないで」
「冗談だ、鬼灯よ。だからその『夕飯はオマエだけなしにしていいかな』と言わんばかりの顔は止めろ、止めてくださいお願いします」
ユーイルは懸命に鬼灯へ懇願し、何とか自分だけ夕食抜きという仕打ちだけは回避に成功した。「仕方ないわね」という鬼灯の言葉に胸を撫で下ろしていた。
やがて森も終わり、鬼灯は見慣れた月無町に戻ってきた。
燃えるような空は徐々に夜の闇が迫り、月無町に幽霊やその他の嫌なものを呼び込む時間帯となる。夕方もそこそこ幽霊や妖怪にとって好ましい時間帯なので、外を彷徨っていると危ない。
すると、鬼灯は見たことのある自転車が森の前に停まっているのに気づいた。小学生男子が乗るようなデザインの小さめな自転車で、その側では不安そうな表情で森の前を行ったり来たりする子供がいた。
「あ」
あの時のガキ大将の少年である。まだ森の前に残っていたのか。
鬼灯が戻ってきたことにガキ大将の少年は驚いた表情を見せたが、すぐに「お、終わったのかよ」と問いかけてくる。その声は若干震えていた。
ただ、彼の視線が鬼灯の後ろに向けられている。もしかして、まだ沼屋敷には幽霊の存在がいたのだろうか。
ガキ大将の少年は鬼灯の背後へ震える指先を突きつけると、
「……オバサン、後ろの男の人は誰?」
「男の人?」
「白い髪で、赤い目の……」
「ああ」
鬼灯はその特徴を聞いて、納得したように頷いた。
「ユーイル、どうやらこの子見えてるみたいよ」
「ほほう?」
鬼灯の後ろからひょっこりと顔を覗かせるユーイルは、大股でガキ大将の少年に詰め寄った。いきなり距離を詰めてきたので、ガキ大将の少年は身を仰け反らせて驚く。
「オマエ、オレの姿が見えるようになったか」
「な、何だよ。一体何なんだよ」
「ほう、ほう、ほほう。これは面白い、面白いな。今まで幽霊が見えんようになった時は気をつけろよ」
ユーイルはガキ大将の少年に笑いかけると、
「オマエは此方側に来るなよ、少年。今日はもう帰るといい、帰り道は気をつけろ」
「お、おう……?」
ガキ大将の少年は目を白黒させながら、自分の自転車に跨る。それから「じゃ、じゃーな……」などと言いながら自転車を走らせていった。
ユーイルはガキ大将の少年の背中が見えなくなるまで手を振り、それから「ふう」と顔から表情を消す。
それまでの人の良さそうな笑顔が嘘のような切り替えの早さだった。傍目から見ている鬼灯も寒気を感じるほどの。
「ユーイル、何であんなことを言ったの?」
「あんなこと、とは?」
「此方側に来るなよと言っていたでしょ。何か意味があるの?」
鬼灯の言葉に「ああ」とユーイルは頷き、
「よく言うだろう、幽霊が見えるようになったら危険だとな」
「そうなのかしら?」
「それまで見えていないものが見えたら、死ぬ合図と言ってもいい」
ユーイルはガキ大将の少年が去った方角へ視線をやり、
「あのクソガキ、見込みがあるからせいぜい長生きしてから死んでくれるといいんだけどなぁ」
幽霊側からすれば、これ以上の仲間は必要ないのだろう。だからあのガキ大将の少年にもそう言ったのだ。
――此方側には来るなよ、と。
何となく、寂しげな横顔をするユーイルに鬼灯は何も言えなかった。




