第10話【市松人形が動いたのは?】
溢れ出る黒い靄を啜り、銀髪赤眼の男子高校生は美味そうに女の幽霊を食らっていく。
枯れ枝のように細い腕を胴体から切り離し、節くれだった指先から口の中に収めていく。
暴れる足を押さえつけ、髪を振り乱して抵抗する女の首を切り取り、切断面から流れ落ちる黒い靄をスープか何かのように啜りながらとても美味しそうに消費していく。
じゅる、じゅるる、じゅる。
じゅる、じゅる、じゅるる。
ごりごり、ごりッ。
ごきんッ、ごりッ。
奇妙な食事風景はもう見慣れたもので、鬼灯の視線は台所に放置された市松人形に注がれていた。
この沼屋敷の、本当の主人。
女の幽霊が死んでも一緒にいたいと願った、ボロボロの古い人形。
この人形のどこにそんな魅力があるのか不明だが、視線が外せない。
「鬼灯」
ボサボサの髪を口の中に収めながら、ユーイルは市松人形を見つめる鬼灯へ振り返る。
「それを寄越せ」
「それって」
「市松人形だ。それも食う」
「食べられるの?」
「ほほう?」
口の端から縮れた麺のように黒い髪を垂らすユーイルは、赤い瞳を眇める。
「オマエには見えていないのか」
「見えて?」
「いるだろう、市松人形のすぐ近くに」
鬼灯は改めて市松人形を見てみる。
「ひッ」
改めて観察して、それから上擦った悲鳴が口から漏れた。
市松人形を収納したガラスの箱に、一瞬だけ青白い顔をした小さな子供が映り込んでいたのだ。箱の側面には子供のような小さな手が添えられて、抱えているようにも見える。
どうして鬼灯が認識できなかったのか分からないぐらい、影の薄い少女の幽霊だった。市松人形と同じく虚な黒い双眸をガラス越しに投げかけてくる彼女は、鬼灯を恨めしげに睨みつけているようだった。
鬼灯が市松人形を収納したガラスの箱に手を伸ばせば、
ガタン。
触るな、とばかりに大きく揺れる。
「ごめんなさい」
鬼灯は申し訳なさそうに謝ると、
「これもユーイルのご飯になるのよ」
子供から奪い取るように、ガラスの箱を手に取った。
ガタガタと腕の中で激しく揺れるガラスの箱に、鬼灯は何度も「ごめんなさい」と謝る。
本当に申し訳なく思っているのだ。こんな年端の行かない子供の幽霊も食べることになるとは、本当にあの男子高校生の胃袋は底なしだ。
台所からガラスの箱を移動させた鬼灯は、女の幽霊に馬乗りとなったユーイルのすぐ近くにガラスの箱を置く。
「はい、ユーイル。持ってきたわよ」
「おお、感謝するぞ鬼灯よ」
女の幽霊を半分ほど消費したユーイルは、乱雑に市松人形を収納したガラスの箱へ手を伸ばす。
彼が掴み取ったのは、かろうじて見える子供の腕だ。ガラス越しにユーイルを睨みつける子供は、抵抗するように自分の手を引っ張っていた。意地でもガラスの箱から剥がれたくないのか、ガタガタと市松人形を収めたガラスの箱が揺れる。
ユーイルはガラスの箱にしがみつく子供の手に銀色のナイフを突き立て、
「喧しいな、オマエは」
激しく揺れるガラスの箱に吐き捨てたユーイルは、
「市松人形に取り憑いている限り、オマエもオレの食事だ。恨むなら市松人形に取り憑いた自分を恨むがいい」
ガラスの箱にしがみついていた子供の腕を銀色のナイフで丁寧に切り取ってから、ユーイルは小さな手を丸呑みにする。普段から大人の幽霊を食らっているせいか、子供の幽霊など簡単に丸呑みに出来るのだろう。
それきり、ガラスの箱は大人しくなった。箱の中に居座る市松人形も、目が離せなくなるような代物ではなくなった。
なるほど、あの子供が取り憑いていたせいで目が離せないものとなっていたのか。よほどこの市松人形に未練がある様子だった。
「元の持ち主だったのかな」
永遠子が鬼灯の服の裾を引っ張って、そんなことを言う。
「病気で死んじゃった、市松人形の持ち主」
「そうかもしれないわね」
鬼灯は窓の向こうに視線をやる。
昼間に沼屋敷へやってきたのに、もう時刻は夕暮れとなっていた。
携帯電話で時刻を確認すると、四時三〇分になろうとしていた。もうすぐ夕焼けを告げるチャイムが茜色の空に響き渡る頃合いだ。
――夕焼け小焼けで日が暮れて、
ややひび割れた夕焼けチャイムが、燃えるような赤い空に響く。
「変わらないね、この寂しげな夕焼けチャイム」
鬼灯と同じく窓から外の景色を眺める永遠子は、
「帰ろうか、鬼灯ちゃん。お腹空いちゃったし」
「何だ、オマエも食うか?」
「ユーイルの食べかけはいらない。それに、あたしは幽霊を食べる趣味はないもの」
「幽霊を食べるのは趣味でも何でもないのだがな」
市松人形に取り憑いた子供の幽霊はあっさりと食べ終わり、ユーイルは永遠子に勧めた女の幽霊の一欠片を口の中に押し込む。半分ほど消費した女の幽霊も残すところ僅かとなっていた。
もう抵抗する気力も持っていないのか、それとも半分以上食べられたことで抵抗する力を奪われたのか不明だが、もうピクリとも動かなくなっていた。開きみたいになって食べられているのが見ていられない。
鬼灯は心の中で女の幽霊に合掌した。可哀想な食べられ方である。
「ユーイル、今回はどんな味だったの?」
「ジャムパンだな。甘さがしっかりとしている」
「ああ……」
鬼灯は台所へ視線をやった。
台所の隅には、古くなったジャムパンの空袋が転がっていた。
彼女の最後の晩餐だったのだろうか。それは今となっては闇の中に葬られてしまった。
「ふむ、今回も美味しかった」
ユーイルは両手を合わせると、
「ご ち そ う さ ま で し た」




