第2話【西の森】
夏に近づいているからか、妙に暑い。
「あっつ……」
鬼灯は手で自分を扇ぎながら、自宅の扉の鍵を開けた。
鬼灯は普段、駅前の本屋でアルバイトをしている。両親の遺産は鬼灯が成人したら受け継がれる予定だが、その金銭もほんの僅かばかりしかない。
女子高生が生計を立てるには必然的にアルバイトをするしかなく、ただ騒がしいのが苦手なので店全体が静かな本屋と喫茶店の二つを掛け持ちしていた。
自宅の扉を開ければ、涼しい風が流れ込んでくる。これは別に冷房をつけっぱなしにしている訳ではなく、鬼灯の自宅には幽霊が二人も居候しているからだ。
「お帰り、鬼灯ちゃん」
「帰ったか、鬼灯よ」
出迎えたのは、銀髪赤眼の男子高校生と黒髪の女子小学生だ。そのうち女子小学生の幽霊――青柳永遠子が、鬼灯に抱きついてくる。ひんやりとして冷たい。
「ただいま、永遠子」
鬼灯が永遠子の頭を撫でてやれば、少女は満足げに鼻を鳴らした。
「鬼灯よ、オレは腹が減ったぞ。何か面白いネタはないのか?」
「そんな都合よくネタなんてないわよ」
昼間にゴロゴロダラダラしている父親よろしく、銀髪赤眼の男子高校生――ユーイル・エネンが空腹を訴えてきた。
そんな都合よく怖い話など転がっている訳がない。
確かに鬼灯の住むこの町、月無町には人間が起こす事件よりも幽霊が起こす事件の方が多いと聞く。それでも怖い話は歩いていれば棒にぶつかるほど落ちている訳ではない。
鬼灯は途中で購入してきた食材を冷蔵庫に詰めながら、
「あ、そういえば」
鬼灯は、今日のバイト中に来た小学生のことを思い出した。
今日は本屋でのバイトで、客として訪れた小学生ぐらいの少年が怖い話の本を購入していたのだ。それも子供向けではなく、ゴシップ誌みたいな薄い雑誌である。
タイトルは『月無町怪談』――特集として組まれていたのは、西の森の怪談についてだ。
「ねえ、ユーイル」
「何だ、鬼灯よ」
「オシラ様がいたのは南側の森よね?」
月無ノ森は、月無町の南側にある果ての森だ。あそこには人々から忘れ去られた邪神ことオシラ様がいた。
ユーイルが夕飯として食べてしまったが、あの悍ましい光景は今でも記憶にある。むしろ鮮明に思い出してしまって嫌だ。
ユーイルは「そうだな」と頷き、
「それがどうした?」
「西の森には何があるの?」
「ふむ?」
ユーイルは首を傾げ、
「何故そんなことを聞く?」
「今日のバイト先で怖い話の雑誌を買っていく小学生がいたの。その雑誌の特集が西の森だったから」
「ほう、ほう」
鬼灯の言葉に、ユーイルは瞳を輝かせた。
「西の森には『沼屋敷』と呼ばれる吹けば飛ぶようなボロ小屋があるな」
「沼屋敷?」
聞いたことのない屋敷の名前に、今度は鬼灯が首を傾げる番だった。
「沼屋敷とは沼の中心にある屋敷でな、沼自体も何かを封印しているような作りになっている。沼の周りには神社でよく見かける注連縄と紙垂があるだけで、明らかに怪しいがな」
ユーイルは鬼灯に大股で詰め寄り、
「あの家には絶対に何かがあると言われているが、当時の大人たちが子供らを西の森に近づけさせることすらなかった。オレも何度か行こうとしたが、親父に拳骨を食らったな」
「ユーイルにも親はいるのね」
「いるとも、オレは幽霊になったが人の子だったからな。まあ両親は若くして死んだのでどうでもいいが」
それからユーイルは、何かを企むようにニンマリと笑う。
「鬼灯よ、気にならんか?」
「何が?」
「沼屋敷のことだ。オレは大いに気になるぞ、気になって食事が喉を通らんぐらいにな」
「じゃあユーイルのご飯は抜きでいいわね」
「言葉の綾を知らんのか、鬼灯。別にオレは普通に食事をするぞ、おいだからオレの分の素麺をしまうな止めろ!!」
必死に「素麺をしまうな」と訴えてくるので、鬼灯は仕方なくユーイルと分の素麺も茹でることにする。
ただ、沼屋敷という場所は鬼灯も聞いたことがない。
西の森に触れないというのは暗黙の了解のようだったし、そもそも西の森にそんなものがあるというのが初耳である。大人たちが徹底的に隠していたのか、それとも時が経つうちに忘れていったのか。
「いいわよ」
「?」
自分の素麺が確保できたことに安堵の息を吐くユーイルは、鬼灯の唐突の意味不明な了承に首を傾げた。
「沼屋敷に行くんでしょう?」
「おお、珍しいな」
「どうせユーイルが食べることになるからね」
沸騰したお湯の中に素麺を広げて入れながら、鬼灯は「ただね」と言葉を続ける。
「私も沼屋敷については何も知らないから、せめて何か情報がほしいわ」
「それは確かにな。オレも食べる際の調味料になるしな」
ユーイルは空中で優雅にクロールを披露しながら、
「だが、情報がほしいと言っても誰に聞く? オマエの身近な人物で西の森について詳しい奴はいるのか」
「バイト先にいるわ」
ピピピピ、とタイマーがけたたましい音を奏でる。素麺が茹で上がったことを告げていた。
茹で上がった素麺をザルに移し替えながら、鬼灯は西の森について知っていそうな人物を脳裏に思い浮かべる。
鬼灯のバイト先である本屋の店主で、小学生の男子が雑誌を買った際に「趣味の悪い特集だ……」と顔を顰めながら吐き捨てた彼。
「本屋の店長さんは、昔から駅前の商店街で本屋を経営しているのよ」




