第4話【昼間の海】
黒海音弥の妹である黒海莉子に案内された客室は、ベッドが二つあるなかなか上等なツインルームだった。
ただし、窓はベニヤ板が打ち付けられて完全に外の景色が見えないようになっている。これではリゾートホテルの売りである窓からの絶景が眺められず、客の入りも悪くなる一方だろう。
こうする理由は何かあったのだろうか。ホテル側が主張する「夜の海を見ないでください」には何の意味があるのだろう?
客室に足を踏み入れた鬼灯は、窓枠に打ち付けられたベニヤ板に触れる。
「……頑丈に打ち付けられてる」
おそらく外から釘でも打ち付けられているのだろう、鬼灯が軽く押してもびくともしなかった。
試しにベニヤ板を叩いてみるが、窓がガタガタと揺れるだけでベニヤ板が外れる気配は全く見られない。頑丈さはこれで証明できた。
鬼灯はベニヤ板に触れながら、
「黒海先生、この部屋のベニヤ板は随分と頑丈に……」
未だ沈黙を保ったままの音弥へ振り返ると、彼は何故か険しい表情で部屋全体を睨みつけていた。
何か客室にいるのだろうか。
鬼灯は客室を見渡すけれど、何も確認できなかった。幽霊はいないと見ていいだろう。幽霊を引き寄せる鬼灯でも幽霊の存在は視認できなかったし。
ならばベニヤ板に幽霊か何かが張り付いているのかと思えば、こちらも外れだ。ベニヤ板は押しても引いても動く気配すらなく、幽霊が向こう側でベニヤ板を押さえつけているのかと思えばそうではない。
音弥が険しい表情になるような要素はどこにもないはずなのに、どうして彼は怒ったような顔をしているのだろう。
首を傾げる鬼灯をよそに、音弥は隣にいた自分の妹の胸倉を掴んでいた。
「おい、俺はシングルルームを二部屋って言ったはずだぞ?」
「いいじゃない、ツインルームの方がいくらか安くなるわよ」
「相手は生徒だぞ!? 一緒の部屋で一晩過ごせってのか!!」
音弥の怒号が客室に響く。
鬼灯はようやく音弥の不機嫌な理由に合点がいった。
音弥はこの客室そのものに文句があったのだ。しかも部屋が狭いとか理不尽な理由ではなく、生徒と教師だからという大人の常識と倫理観からによるものだった。
適当な理由を述べる莉子に詰め寄る音弥へ、鬼灯は「あの」と声をかける。
「私は気にしませんよ」
「いくら幽霊問題を解決する為とはいえ、生徒と教師が同じ部屋で一晩過ごす方が問題になるんだよ。教育委員会にバレたら懲戒免職になる」
音弥は至極真っ当な理由で鬼灯の言葉を一蹴し、部屋を用意した張本人である妹の莉子を睨みつけて言う。
「今すぐシングルルームを用意しろ、きちんと二部屋な。用意できなかったら帰る」
「わ、分かったわよぅ。ちょっとした冗談じゃない……」
莉子は不満げに唇を尖らせて「ちょっと待ってなさいよ」と告げ、フロントに戻っていった。
「鬼灯、鬼灯よ」
「何よ、ユーイル。今までどこに行ってたの?」
莉子がフロントに戻っていったと同時に、銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンが唐突に客室へ現れた。
ユーイルの存在を認識できない莉子のことを配慮した雰囲気ではなく、ただ気分に任せてホテル内を彷徨い歩いていた様子だった。誰も姿を見れないからと言って、好き勝手に振る舞い過ぎである。
ユーイルは鬼灯の肩を掴むと、にんまりと笑った。
「海に行くぞ」
「海に?」
「面白いものが見られる」
「それは何?」
鬼灯が純粋な疑問を口にすれば、彼は悪い笑みを保ったまま短く告げた。
「女だ」
☆
てっきりユーイルも男子高校生なので女体に興味があるのかと思えば、どうあがいてもユーイルはユーイルでしかなかったと鬼灯は実感する。
部屋に関する対応は音弥に任せ、鬼灯はユーイルと永遠子を連れて海までやってきた。
リゾートホテルの裏側に面する海だからこそ、眺望は最高だ。青い海がどこまでも広がり、遠くに存在する水平線に合わせて入道雲や綿雲がぽこぽこと浮かんでいた。頬を撫でる潮風が生温い。
眩いばかりに輝く砂浜では、大勢の海水浴客がいた。恋人同士や家族連れ、中には女性だけの集団や男性だけの集団も見られる。彼らは色とりどりの水着を纏い、海辺で楽しそうにはしゃいでいた。
「どこに面白いものがあるのよ」
「何だ、鬼灯よ。見えんのか?」
海を眺めるユーイルは、
「あそこにいるだろう」
彼が示したのは、白い砂浜で遊ぶ海水浴客だった。
視線の先にはちょうどビーチバレーをする女性の集団がいたが、まさかあれが彼の言う「面白いもの」なのだろうか?
やはり幽霊になっても女性に興味があるのかと鬼灯は呆れたのだが、ユーイルの示したものがビーチバレーで遊ぶ女性たちではないと分かったのは次の瞬間である。
あははは、はははは。
あははははは、うふふふふ。
あはは、あははは、あははははは。
女性たちは楽しそうに笑い声を上げている。
楽しそうにビーチバレーをしている。どこからどう見ても、海を楽しんでいる様子だ。
なのに、
あはははは、あははははは。
あははははは、ははははは。
ふふふふ、あはははは。
彼女たちの眼球はあらぬ方向を見上げていて、笑い声も強制的に笑わせられている気配のある平坦なものだ。
「海に囚われるのは怖いなぁ、鬼灯よ」
固まる鬼灯に、ユーイルは心底楽しげな笑顔を保ったまま言う。
「あの砂浜で遊ぶ海水浴客は全員、この海に引っ張り込まれて死んだ奴らだ」
鬼灯の視界の端では『遊泳禁止』と書かれた看板と、黄色い縄のようなものが潮風に揺れていた。




