第3話【リゾートホテルにベニヤ板】
翌朝、早くから音弥の運転する車に乗せられて、鬼灯は月無町を出発した。寝ぼけ眼を擦りながら車の天井に乗り込もうとするユーイルを引き摺り下ろす作業で、五分の時間を無駄にした。
そうして高速道路などを乗り継いで月無町に出た鬼灯たちは、件のリゾートホテルにやってきていた。
外観も素晴らしく、見上げるほど背の高いホテルの建物の前には椰子の木が何本か植えられている。ジメジメするほど暑いこの気候に合っていると言えようか。
「うわあ」
鬼灯は、ホテルの裏側に広がる青い海を前に感嘆の声を上げた。
それは見事な青い海だ。
どこまでも広く、果てには水平線が見える。白い入道雲が青い空に浮かび、燦々と降り注ぐ太陽の光が鬼灯の肌を容赦なく焼いた。もう夏である。
駐車場に車を停めた音弥は、
「こっちだぞ、幽ヶ谷」
「はい、分かってます」
鬼灯は自分の荷物を抱えて、音弥の背中を追いかける。
すると、音弥はホテルに入る寸前でピタリと足を止めた。
別に何がある訳でもなく、幽霊の姿も不思議と見えない。ユーイルもしきりに欠伸をしながら「どうした、音弥よ」などと言っている。
「ん」
「え?」
「荷物だよ」
音弥は手を差し出し、
「重いだろ」
「平気ですよ」
「あれだよ、これから何を言われるか分からないから」
「?」
音弥の言っていることが分からなかったが、とりあえず鬼灯は音弥に自分の荷物を持ってもらうことにした。どうしても聞かなかったのだ。
鬼灯の荷物を持った音弥は、小声で「意外と軽い……?」などと呟いていた。着替えと必要最低限の日用品しか持っていないので、そこまで重くないと思うのだが。
二人分の荷物を抱えて、音弥はホテルの中に入っていく。鬼灯も彼の背中を追いかけるようにして、このリゾートホテルに足を踏み入れた。
「わあ」
ホテル独特の匂いが漂うロビーは煌びやかで、たくさんの宿泊客が利用していた。待ち合わせに使っている客や今まさにチェックインするところの客など、様々だ。
ホテルマンたちは慌ただしくロビーを行き交い、時に宿泊客からの要望に笑顔で応じていた。道が分からなくなった客に目的地まで案内したり、迷子の両親を探していたりと忙しそうである。
ホテルの幽霊問題を解決に来た鬼灯たちなど、完全にアウェイである。
「すみません、黒海っていますか」
音弥が近くを通りがかったホテルマンを呼び止めて、そんなことを言う。
「…………少々お待ちください」
音弥が呼び止めたホテルマンは、神妙な顔つきでスタッフルームに飛び込んだ。おそらく話はホテル側にも届いていることだろう。
やはりこのリゾートホテルには何か問題があるのだ。鬼灯たちが呼ばれたのは間違いではなかったようだ。
ややあって、スタッフルームから一人の女性が姿を見せる。彼女は音弥の姿を認めると、やや小走りで近寄ってきた。
「来たのね、愚兄」
「兄貴のことをパシリにするのはお前ぐらいだぞ、莉子」
女性は「幽霊って言ったらアンタでしょ、愚兄」と言い、次いで鬼灯に視線をやる。
「この子がそうなの?」
「説明したろ、このホテルの問題を解決できるかもしれない可能性って」
「こんな若い子に任せるとか正気なの、愚兄」
「さっきから愚兄愚兄ってうるせえぞ、愚妹が」
音弥と女性の言い合いが苛烈になる。
鬼灯は何とはなしに女性の胸元で輝く名札に注目してみた。
金色の名札に刻まれた名前には『黒海莉子』とある。先程から愚兄と音弥のことを呼ぶので、おそらく彼女は音弥の妹なのだろう。
ユーイルが興味津々で二人の間に挟まろうとしたので、連れてきていた永遠子に追いかけ回してもらうことにした。余計なことをするな。
「えっと、妹さんですか?」
「まあな」
音弥はぶっきらぼうに応じて、
「愚妹の莉子だ、このホテルで働いてる」
「初めまして、愚兄がいつもお世話になっております」
ホテルマンの女性――黒海莉子は、にこやかな笑顔で挨拶をした。
「さっそく、客室に案内してもいいかしら?」
「はい、大丈夫です。お願いします」
莉子はにこやかな笑顔を保ったまま「こっちよ」と案内してくれる。
音弥が寸前で鬼灯の荷物を持つと聞かなかった理由が、何となく理解できた気がする。
このホテルで自分の身内が働いており、若い鬼灯が重い荷物を持っているのに手伝わない兄の姿を見て妹が怒ることを懸念したのだろう。まあ、そんなものか。
「音弥よ、オマエの妹と似てないな」
「うるさいな」
そしてユーイルは、積極的に音弥と絡んでいた。鬼灯は頭が痛くなった。
☆
黒海音弥の妹である莉子に案内された部屋は、海側に面しているはずの部屋だった。
客室は広く、明かりも落とされているから薄暗い。
薄暗さの原因はそれだけではなく、窓に存在していた。
「ベニヤ板……?」
鬼灯は首を傾げる。
窓全体を覆うベニヤ板が、自らの存在を主張していた。
明らかに普通ではない雰囲気の漂うベニヤ板である。この向こう側には海を眺めることが出来るのに、どうしてベニヤ板でわざわざ覆う必要があるのだろうか。
客室の明かりをつける莉子は、
「ああそうそう、言い忘れていたけれど」
客室から立ち去ろうとした莉子は、朗らかな笑みでこう言った。
「くれぐれも、夜の海は見ないようにお願いしますね」




