第3話【月無ノ森】
月無ノ森は、月無町の外れにある鬱蒼とした森だ。
住人の暗黙の了解となっていることが『月無ノ森には関わらないこと』である。
立ち入ることもなく、調べようとすることもしない。ただ遠くから眺めるだけに留めているのだ。昔、この森を調べようとした怖いもの知らずの小学生がいたが、調べていくうちに怖くなったのか、まるっきり性格が変わってしまったことがある。
とはいえ、普段から幽霊を見ている鬼灯に、ある意味で怖いものなどない。
「自転車で来ると遠いわ……」
月無ノ森は、鬼灯の自宅から自転車で三〇分程度だった。
月無町自体が小さな田舎町なので、端から端まで大体一時間もあれば行ける。もう少しいい自転車だったら、さらに時間が短縮できるだろう。
鬼灯の自転車は錆びたママチャリなので、三〇分もかかるという訳である。そろそろ新しい自転車を買わなければダメだろうか。
「おお、夜に来ると雰囲気があるなあ!!」
鬱蒼とした月無ノ森を見上げて、銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンが嬉しそうに言う。
この森に住まう邪神『オシラ様』を調べることが出来るのが相当嬉しいのだろう。
このオシラ様の話題は、ユーイルがまだ生きていた頃もあったものらしい。おそらく相当古い噂話なのだろう、鬼灯もさすがに試したことはないが。
鬼灯は近くの炉端に古い自転車を停めると、ふと森の入り口にワゴン車が停まっているのを発見した。
「ユーイル、あれ」
「おお、車ではないか」
「車は知っているのね」
「知っているとも。オレを誰だと思っている」
「知識が昭和止まりの悪霊」
鬼灯が正直に言えば、ユーイルは「何だとぉ!?」と叫ぶ。
「ねえ、鬼灯ちゃん」
「どうしたの、永遠子」
錆びた自転車の荷台から降りる親友の青柳永遠子は、森の入り口に停まったままの車を指で示す。
「人が慌ててるよ」
「え?」
「エンジンがかからないのかも」
なるほど、確かにそれは慌てるかもしれない。
何か一言でもいいから声をかけた方がいいのか、と鬼灯が迷っていると、真っ先にユーイルが「オレが行こう」と名乗りを上げた。
彼は好奇心の塊なので、エンジンがかからずに慌てる運転手をからかって遊ぶつもりなのだろう。まあここは女子高生の鬼灯よりも、幽霊のユーイルが行った方が襲われずに済むかもしれない。
世の中には危ない人間が山ほどいるのだ。注意しなければならない。
「じゃあお願い」
「うむ、任せろ」
ユーイルはスキップしながらワゴン車に近寄ると、コツコツとまずは窓を叩いて「お邪魔します」などと言いながら扉をすり抜けた。
幽霊だから出来る技だからまあ理解できるが、怖すぎる。あれをやられたら鬼灯でも悲鳴を上げる。
そして数十秒後、案の定と言うべきだろうか。
野太い悲鳴が耳を劈いた。
「あーあ」
「あー……」
永遠子は他人事のように笑い、鬼灯は頭を抱える。
しばらくしてワゴン車からユーイルが降りてきたが、やはりつまらなさそうな表情をしていた。ワゴン車の人間があっさりと気絶してしまったからだろう。
窓から車内を覗き込めば、ぶくぶくと泡を吹いて白目を剥いた若い男が車の椅子にぐったりと座り込んでいた。これは救急車を呼ぶべきか迷う。
「これは放っておこう」
「放っておけ。問題を押し付けられても困る」
ユーイルはフンと鼻を鳴らすと、一人でズカズカと月無ノ森に踏み込んでいく。
鬼灯もユーイルの背中を追いかけて、月無ノ森に足を踏み入れた。
鬱蒼とした森の中は水を打ったように静まり返り、鬼灯の足音だけがやたら大きく響く。ユーイルと永遠子は幽霊なので、そもそも足音が立たない。
ぱきぱき、ぱき。
ぱきぱき、ぱき。
枝を踏みつけて割れる音が耳朶に触れる。
「暗いなぁ」
鬼灯は携帯電話の明かりを頼りに、月無ノ森を進んでいく。
ユーイルと永遠子は夜目が利くのか、明かりに頼らず森の中を進んでいく。
互いに「枝が多い」「あと歩きづらい」などと文句を言っていた。よくもまあ文句が言えるものである。
ぱきぱき、ぱき。
ぱきぱき、ぱき。
一人分の足音と三人分の話し声が森の中に落ちるが、不意にそれも止まった。
ユーイルと永遠子が立ち止まり、鬼灯もそれに合わせて止まる。
誰かの懐中電灯が落ちていた。明らかに誰かが使っていたものと思われるものと、その側にはスマートフォンが動画を撮影した状態で投げ出されている。
鬼灯が拾って動画の撮影を止めると、ポコンと間抜けな音を立てて動画が止まった。
「動画を撮っていたのかな?」
永遠子がスマートフォンの画面を覗き込んで言う。
「多分そうね。最近、心霊スポットの動画を撮る人とか多いから」
「ふむ、ならば映ってやってもいいのだがな」
ユーイルがいそいそと自分の髪を整え始めたので、鬼灯は「もう止めちゃったわよ」と返した。
全く、命知らずなことをするものだ。
おそらく森の入り口に停まっていたワゴン車の誰かだろう。あとで返してやろう。
鬼灯は念の為に服のポケットへスマートフォンを入れて、顔を上げる。
「あ」
目の前には、深緑色の水で満たされた沼が広がっていた。




