第2話【オシラ様】
「オシラ様?」
「うむ」
夜の鬼灯の自宅では、家主の鬼灯と居候のユーイルによる会議が行われていた。
もちろん議題は次の食事内容である。
普通の食事ではなく、ユーイルの主食は幽霊や悪霊などの怪異だ。次の怪談を求めているのだろう。
そこで出てきたのがオシラ様という内容だ。
「この話はオレが現役の時に」
「何が現役よ」
「うむ、失敬。言い方を変えよう」
鬼灯に睨まれて、さすがのユーイルも言葉を訂正せざるを得なかった。
「オレがまだ生きていた頃に聞いた話だ。月無ノ森と呼ばれる場所があるのは知っているか?」
「あの町の外れにある森よね。誰も入らないことで有名な場所」
鬼灯も月無ノ森と呼ばれる場所には覚えがある。
確か、町外れにあると言われる深い森だ。誰も入るようなことはなく、ただ陰鬱な雰囲気が漂う不気味な場所である。
入るなとは言われていないが、もう暗黙の了解的なもので月無ノ森には触れないことが常識となっていた。触れなければ何も見えないから。
鬼灯も自宅が遠いので月無ノ森には行かないが、話だけは何度か聞いことがある。不用意に森の中へ足を踏み入れた子供が行方不明になったとか、白い人影が森の中を彷徨い歩いているとか、そう言ったありきたりな噂話だけだ。
「オレが聞いた話では、そこに沼があるらしい」
「沼?」
「古い沼だ。深緑色をした沼で、藻が水面に浮かんだ汚い沼らしい」
ユーイルは楽しくて仕方がないとばかりに笑いながら、
「その沼はオシラ様と呼ばれる邪神の住む場所とされているのだ」
「もう怪物じゃないの、それ」
「邪神だ。まあ噂に過ぎんが」
頑なに邪神であることを強調するユーイルは、
「昔はその沼を幾度となく調べたが、オレはまともにオシラ様を見たことがない。だが同じ幽霊や悪霊の立場を手に入れた今であれば、オシラ様を見ることが叶うかもしれん」
赤い瞳を期待で輝かせるユーイルは、脚の低いテーブルから身を乗り出して鬼灯に詰め寄った。
「という訳だ、鬼灯よ。次なる食事はオシラ様でどうだろうか?」
「どうだろうかって言われても……まあいいんじゃないとしか言えないわよ。勝手に食べてくればいいじゃない」
「何を言う、鬼灯!!」
弾かれたように立ち上がったユーイルは、
「オマエがいなければ話にならんだろう!!」
「何でよ」
「何故だと? オマエ、自分の体質を忘れた訳ではあるまいな?」
ユーイルは音もなく赤い瞳を眇めて、鬼灯を見つめる。
鬼灯は幽霊を引き寄せる特異体質だ。過去には数多の幽霊を引き寄せていたが、今ではすっかり幽霊は引き寄せられなくなった。
理由は簡単だ。この幽霊やら悪霊やらをまとめて片っ端から食べていく銀髪赤眼の男子生徒ことユーイル・エネンが原因である。引き寄せられる幽霊や悪霊をおやつ感覚でまとめてボリシャリと食らうものだから、鬼灯は幽霊の被害に遭わずに済んでいるのだ。
その特異体質を使ってオシラ様と呼ばれる邪神を引き寄せようという訳である。よくもまあそんな話が思いつくものだ。
「まあそれで貴方が黙ってくれるならいいけど」
「ふははは、殊勝なことだな鬼灯よ!! だがオレはそこまでうるさいか?」
「うるさい」
「むう」
不満げに唇を尖らせるユーイルを無視して、鬼灯は押し入れの扉を開けた。
「永遠子、月無ノ森に行くけど」
「行く!!」
押し入れを根城とする女子小学生――親友であり居候二号である青柳永遠子が転がり出てきた。
「オシラ様って聞いたことあるわ!! 実物を見てみたかったのよね!!」
「最近、永遠子もいきいきしてるよね」
「だってどうせそこの白髪が食べるんだし!!」
「おい、誰が白髪だ。おいコラ、こっちを見ろクソガキ」
ユーイルはジロリと永遠子を睨みつけ、永遠子は鬼灯の影に隠れて「あかんべー」と舌を見せつけてくる。馬鹿にしているのは確定である。
大人げなく永遠子の喧嘩を買うユーイルと、そんな彼からバタバタと逃げ回る親友のやり取りを傍観しながら鬼灯は密かにため息を吐いた。
まあ賑やかだからいいし、どうせ幽霊なので気づかれないだろうが。
それにしても。
「オシラ様か」
鬼灯は呟く。
月無ノ森を根城とする邪神、深緑色の沼に住む怪物。
何度か鬼灯も名前を聞いたことはあるが、確かめようと思ったことはない。月無ノ森は遠いし、入ってはいけないというのがこの月無町の暗黙の了解となっていたからだ。
かつて鬼灯も、その名前を聞いたことがある。
小学校だったか、中学校だったか。聞いた時期は忘れてしまったし、誰から聞いたのかも覚えていない。おそらくクラスメイトが話していた内容が聞こえてしまった程度のことだ。
全身真っ白で布を頭からすっぽり被り、枯れ枝のような腕で「こっちへおいで」と言わんばかりに手招きしてくるのだとか。その場面に遭遇してしまうと、沼の中に引き摺り込まれてしまうらしい。
幼い頃はついぞ確かめることはなかったが、まさかここに来て原因解明の好機が訪れるとは。
「ユーイル、大丈夫なのかな。お腹壊さないかな」
次に食べるものは邪神と呼ばれている何かだ。もしかしたら、本当に邪神かもしれない。
邪神とは言えど神様だ。いきなり神様など食べてお腹を壊すような展開にならなければいいのだが。
永遠子と取っ組み合いの喧嘩をする銀髪赤眼の男子生徒を他人事のように眺めながら、鬼灯は余計な心配をするのだった。




