第3話【缶を探せ】
すぐそこに少女がいる。
教卓のすぐ隣だ。
真っ赤に染まる夕暮れの教室で、彼女の影が壁に張り付いている。
「みぃーつけ」
見つかる、と鬼灯が固く瞳を閉じると同時に、少女のものらしい悲鳴が耳朶に触れた。
「ぎゃッ」
机が薙ぎ倒される。
誰かの手によってぶん投げられた口の裂けた少女は、倒れた机の下敷きになってもがいている。あれでは抜け出すことも大変だろう。
一体誰がこんなことを、と教卓の下から吹き飛ばされた少女を眺める鬼灯は、誰かに腕を引っ張られて強制的に立ち上がる。
「逃げるぞ!!」
鬼灯の手を掴んだのは黒海音弥だった。
必死の形相に気圧され、鬼灯はされるがままに引っ張られる。
夕暮れに沈む教室を飛び出し、無人の廊下をひたすら走り続ける。いつ少女が追いかけてくるか分からないが、とりあえず安全が確保できる場所まで走る。
足を縺れさせないように気をつけながら、鬼灯は自分の手を引いて走る音弥の背中を見上げる。
「黒海先生……!!」
「缶を探すぞ、あと入祢も!!」
この広い校舎内を駆け回って、錆びた缶一つを見つけるのは至難の業だろう。
それでも、鬼灯たちがこの恐怖の校内かくれんぼに勝利する方法はもう一つある。
幽霊を食べる幽霊の存在――つまりユーイル・エネンだ。彼が校内かくれんぼの鬼の少女を食べてくれれば、万事解決する。
しかし、彼はどこかに消えてしまって居場所が分からない。並行して探した方が効率は良さそうだ。
「せめて入祢を見つけることが出来れば、あの鬼を食べてもらえるから」
「でも、ユーイルはどこに……!!」
「学生の頃、何度か校内かくれんぼをしたことがある。『かくれんぼをしていると何人か変なのが混ざっている話を聞いたから検証したい』と言ってな!!」
音弥は廊下の先を睨みつけ、
「その時、あいつは何度も同じ場所に隠れた!! きっと今回もそこにいるはずだ!!」
☆
校舎の三階、最も端の男子トイレ。
ここは滅多に利用者がいないことで有名で、生徒が授業をサボるのに打って付けの場所なのだ。扉の前に立っただけで不気味な雰囲気が漂っている。
実はこの男子トイレに幽霊が出ると噂があるのだ。あくまで噂なだけで真相は分からない。鬼灯も男子トイレにまで突撃したことはないので、トイレの幽霊など見たことないのだ。
音弥が男子トイレの扉を開けると、
「入祢、いるんだろ!!」
個室が三つほど並んだ、ごく普通のトイレだ。女子トイレと作りは変わらないかもしれない。
ピタリと閉ざされたトイレの最も奥の個室の扉がゆっくりと開き、恨めしげな表情で銀髪赤眼の男子生徒が顔を覗かせた。彼の下からはひょっこりと女子小学生が姿を見せる。
まさか本当に隠れているとは思わなかった。ついでに鬼灯の親友である青柳永遠子もついて行っているとは想定外である。
銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンは、
「喧しいぞ、音弥。見つかってしまうだろう」
「見つかるもクソもないだろ!! 鬼を見たのか!?」
「見ていないが。おい、どうした。いつになく興奮しているな」
かつての同級生が柄にもなく興奮した状態で叫ぶので、ユーイルは仕方なしにトイレの個室から出てきた。
「どうした、一体。それほど恐ろしい鬼だったか」
「口裂け女とトイレの花子さんを掛け合わせたような鬼だったぞ」
「何!? それは本当か!?」
怖がる鬼灯や鬼の少女に対する焦りを抱く音弥とは裏腹に、ユーイルは実に楽しくて仕方がないと言わんばかりにニヤァと笑う。
彼の場合は幽霊を食べることが出来ればそれでいいのだ。
見つかろうが見つからまいが関係ない。鬼を先に食べてしまえば、この校内かくれんぼは自動的に終了となるはずである。
どこからか取り出した銀色のナイフを手持ち無沙汰に弄ぶユーイルは、
「その件の鬼とはどこだ? オレが食ってやろう」
「それなら――」
音弥が居場所を伝えようとした時だ。
「みぃーつけたぁ」
声がした。
あの少女の声である。
すぐ近くから。
「どこ……!?」
鬼灯が振り返れば、真っ赤に染まる廊下の向こう側から小さな女の子が歩いてくる。
それはまるで散歩するような優雅さで。
それはまるで相手を嘲笑うかのようにゆっくりと。
「ユーイル、あれ!!」
「おお、あれか。なるほどなるほど、小さすぎて食い出がなさそうだがいいだろう」
ユーイルは男子トイレから飛び出すと、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる鬼の少女に「ご機嫌よう」とご挨拶。
「みぃーつけ」
ギザギザの歯が綺麗に並んだ口に銀色のナイフを突き入れ、ユーイルは弾んだ声で食事の開始を告げた。
「い た だ き ま す」
少女の小さな身体を、縦半分に断ち切る。
黒い靄が勢いよく噴き出て、ユーイルは廊下に転がった少女の半分になった身体を掴む。
丁寧に丁寧に切り分けて、まずは腕から口に運んだ。
ごき、ごきんッ。
骨が噛み砕かれる音。
「んん、んん……?」
少女の腕を口に運んでいたユーイルだが、食事を前にして唐突にその手を止めた。
口の中に残った少女の腕を骨ごと噛み砕いて嚥下し、それから不思議そうに首を傾げる。
何があったのだろうか。もう少女の幽霊はユーイルに食われたのだから、これでもう校内かくれんぼは終わりのはず。
なのに、
「どうして音が戻らないの?」
あまりにも静かな校舎内に、鬼灯の呆然とした声が落ちる。
校舎内の喧騒が戻らないのだ。
教師は一人も通らないし、鬼灯たちの喧しさに気づいている様子はない。
これはまさか、解決していない?
「ふむ、なるほど」
縦半分になった少女の身体を捨てたユーイルは、スタスタと何事もなかったかのように戻ってくる。
「鬼灯よ」
彼の赤い眼差しはいつになく真剣だった。
「缶を探すぞ」
それから、またあの声が。
「ひとーつ……」




