第7話【おかえり】
それまでは、家に帰ることすら苦痛だった。
家に帰れば幽霊がいて、意味不明な行動をして。
鬼灯は訳も分からず部屋に閉じこもって、耳を塞いで嘆くだけだった。
「本当に帰れるのか?」
「はい」
鬼灯に問いかけた白衣の男――黒海音弥は「そうか」と応じる。
「変わったな」
「そうですね」
外も自宅も、鬼灯にとっては地獄でしかなかった。
外には訳も分からず徘徊する幽霊がいて、自宅には訳の分からない行動ばかり取る幽霊がいた。
彼らは残らず食べられてしまったので、これからは安心して帰ることが出来る。それは何と素晴らしいことだろうか。
「それじゃ、気をつけて帰れよ」
「はい」
鬼灯は音弥に向かって会釈をし、笑ってこう返した。
「さようなら、また明日」
☆
あの時、鏡を潜ったと同時に三面鏡が割れてしまった。
砕け散った鏡を処理するのは大変だし、古びた三面鏡を粗大ゴミに出すのは面倒だった。
大家に事情説明をするのも厄介だった。あの部屋は三面鏡を動かさないという理由で家賃が安くなっていたのだが、原因を取り除いてしまえば安くなくなってしまう可能性もあった。
ところが、大家は寛大だった。
――そうか、あの三面鏡は壊れたか。
どこか大家も安堵した様子で言っていた。
それ以上は何も言ってこなかったので、家賃の問題については継続だろうか。鬼灯は来月の家賃が心配になってくる。
バイトでもしてみようか。こんな陰気な娘を雇ってくれる場所があればいいのだが。
「今日の夕飯は何にしようかな」
鬼灯の足取りは軽く、スーパーの買い物袋を提げながら帰路を辿っていた。
今日のご飯は少し奮発してお鍋にしよう。
鍋の素は流行かどうか不明だが、興味があったので豆乳鍋の素にした。食べたことがなかったので挑戦してみようと思う。
自宅の幽霊たちに解放されたことで、鬼灯も色々なものに挑戦してみようと思う。いつもと違ったこと、いつもと違った食事を。
「あ」
自分の家が見えてきた。
台風が直撃すれば吹き飛びそうなボロアパート。横倒しになった鉢植えや取り残された三輪車が物寂しげな雰囲気を漂わせる。
アパートの看板は反転しておらず、建て付けの悪い郵便受けからチラシなどを受け取る。内容はスーパーのチラシとか水道局のマグネットなど変わらない。
変わったと言えば、誰もいないはずの鬼灯の自宅から何故か男女が喧嘩するような声が聞こえてくる。
「……変わらないなぁ」
小さく笑った鬼灯は、扉に鍵を差し込んで施錠を外す。
「ただいま」
薄い扉を開けば、居間で銀髪赤眼の男子生徒と女子小学生が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
家主の帰宅に気付いた女子小学生が、銀髪の男子生徒の脇腹めがけて頭突きする。男子生徒の口から変な声が漏れて、彼は膝から崩れ落ちた。
畳の上に転がる男子生徒に構わず、女子小学生は帰宅したばかりの鬼灯へ抱きついてくる。
「お帰り、鬼灯ちゃん」
「ただいま、永遠子」
「ええい、鬼灯よ!! そこのクソガキをちゃんと躾けろ!!」
永遠子の頭突きから回復したらしい銀髪赤眼の男子生徒――ユーイル・エネンが叫ぶ。
「居候のくせに文句を言うの?」
「助けてやった恩人に何という扱いだ、オマエ!?」
「今日のご飯はお鍋よ」
「やったぜ」
今日の夕飯の内容を聞いて機嫌を直すユーイルに、鬼灯は苦笑するしかなかった。
すると、ユーイルが「あ、そうだ」と何かを思い出す。
ふわふわと天井付近を漂う彼は、食材を置く鬼灯へ振り返るとこう言った。
「お帰り、鬼灯よ」
「……うん、ただいま」
幽ヶ谷鬼灯に家族はいない。
しかし、友人と呼べる幽霊が彼女の家にはいる。
事故物件と呼ばれようが取り憑かれていると非難されようが、鬼灯は彼らを歓迎することを止めない。
幽霊が蔓延る隅の家は、別の幽霊が居座ったことで明るい雰囲気を取り戻していた。




