第1話【帰りたくない】
家族は死んだ。
その日は誕生日だった。
不妊治療の末にようやく授かった子供で、大切な娘の誕生日。
両親は娘にサプライズで誕生日プレゼントを渡す為に、学校へ行っている間にプレゼントを買いに行った。
車で出かけて、誕生日プレゼントを買って。
それから、信号無視で突っ込んできた車と正面衝突を果たして死んだ。
最後に見た両親は笑顔だったのに、棺の中で眠る両親は顔が見えない。
泣きじゃくる娘を葬儀場の係員が宥めていて、それから彼女は見えてしまった。
棺の側にひっそりと立つ、ボロボロの衣服を着て顔がのっぺらぼうのように擦り切れた両親の姿が。
その姿に恐怖を覚えなかったと言えば嘘になる。
その日から幽ヶ谷鬼灯は幽霊が見えて。
その日から幽ヶ谷鬼灯の家族は、おかしくなった。
☆
放課後は決まって理科準備室で過ごすことになった。
人体模型と骨格標本が隅にある、不気味な部屋。
小学生の頃なら『人体模型と骨格標本が夜中になったら踊っている』という学校の怪談があったが、果たして本当なのだろうか。鬼灯には常日頃から別の幽霊が見えているので、人体模型と骨格標本が仲良く手を取りながら踊っていても何ら不思議ではない。
何故かコーヒーが並々と注がれたビーカーを両手に抱え、鬼灯は真っ正面に座る男性教師を見やった。
「月無町にはたくさんの幽霊がいるだろ。そいつらを片っ端から食っていけばいいんじゃないか?」
「阿呆め。それだと味気がないだろう。面白い物語があってこそ、怪談というものは盛り上がるのだ」
天然パーマが目立つ黒髪の生物教師、黒海音弥が真剣な様子で会話しているのは銀髪赤眼の男子生徒である。
透き通るような銀髪と炯々と輝く赤い瞳、生きていれば女子生徒が放っておかなさそうな端正な顔立ち。
××高校の制服である黒い詰襟を着る彼は、かつてこの高校に在籍していた生徒だったらしい。今では旧校舎に取り込まれて幽霊と化したが、何故か幽霊を食事とする幽霊。
ユーイル・エネン。本名は入祢由縁。
鬼灯が幽霊を引き寄せる体質なことを利用して、食事をせがんでくる悪霊だ。
「無味無臭の食事ほど楽しくないものはないぞ。やはりスパイスとして多少の怖さをだな」
「現代の怪談ってのは進化してるからなぁ。携帯とか公衆電話とか使って幽霊を呼び出したり、あとはこっくりさんとか」
「有名なものなど生きてる時に何度も試したわ!!」
「じゃあもう何がいいんだよ」
音弥は我儘を叫ぶユーイルにお手上げ状態だった。
ただの幽霊では味気がないと訴えるユーイルに、彼は片っ端から知っている幽霊の話を教えるがどれもこれも彼の琴線に触れないらしい。
つまらなさそうに唇を尖らせて空中をぷかぷかと泳ぐ銀髪赤眼の男子生徒に、小学生らしい少女が突撃する。突撃した結果、彼女の頭がユーイルの脇腹に突き刺さり、彼は「ぐええッ」と潰れた蛙のような呻き声を上げていた。
「お、おま、オマエ、何をする……!?」
「好き嫌いしてんじゃないわよ!! ちゃんと食べないと大きくなれないわよ!!」
「喧しい!! 幽霊に成長もクソもあるか!!」
女子小学生の正体は、鬼灯の親友である青柳永遠子だ。
腰に両手を当ててぷりぷりと怒った様子の親友は、ユーイルと激しく言い争いを繰り広げていた。どちらも精神状態が子供である。
鬼灯がやれやれとばかりに肩を竦めると、その音は理科準備室だけではなく校舎全体に鳴り響く。
きーんこーんかーんこーん。
下校を促すチャイムだ。
黒海音弥は「お」と顔を上げ、それまで激しく言い争っていたはずのユーイルと永遠子も黙った。
この場で生きている生徒は鬼灯だけで、家に帰らなければならない。下校時刻を過ぎて校舎内に留まり続けると、あとで学年主任の教師から注意されてしまう。
だが、鬼灯は動かなかった。――動けなかった。
「鬼灯ちゃん、帰らないの?」
「…………うん、そうだね」
帰らなきゃいけない。
それでも帰りたくない理由はある。
家に待ち受けるのは、鬼灯の家族だ。死んでからおかしくなってしまった、あの悍ましい姿の両親たち。
キュッとコーヒーが残ったままのビーカーを握りしめ、鬼灯は教員である音弥に相談する。
「黒海先生」
「何だ?」
「黒海先生の家に泊まらせてもらうことは出来ませんか?」
「ぶッ」
音弥が噴き出した。
ついでにユーイルは「ええ……」とドン引きしたような表情をし、永遠子は口元に手を当てて「あらまあ」と言う。
別に意味はない。頼れる大人が音弥だけだったからだ。
「ちょ、教師と生徒じゃそれはダメだろ……」
「ダメですか」
「家に何かあるのか? 帰りたくない理由とか……」
「いるんです、両親が」
以前、理科準備室から帰る時に「両親は死んだ」と答えた。
確かに両親は死んだ。
死んでからおかしくなったのだ。
ただならぬ気配を察知したユーイルは真剣な表情を浮かべると、
「鬼灯よ、本当に両親は死んだのか?」
「死んだわ」
「なら、家にいるのは一体何だ?」
その質問に対する答えを、鬼灯は持ち合わせていなかった。
あれは両親であり、両親ではない何か。
おかしくなった彼らは、一体何なのか。
「分からない。だって――」
顔がないんだもの。
――それを果たして両親と判断していいのかさえ、鬼灯には分からなかった。




