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魔狐少女ダキニちゃんの帰還

作者: 灰都とおり

 僕の同い年の従姉妹について話したことはあったかな。その子は――ここでは如月(きさらぎ)ちゃんと呼ぶけど、6歳のとき神さまになったんだ。正確には〝やかんさん〟っていう、実家の島根県八束郡で信仰される狐の霊で……ああ、まあ狐憑きみたいなものかも知れない。

「わしに心臓を捧げるのじゃ……」

 幼稚園を出たばかりの如月ちゃんがそう言うと、僕もおおせのままに~なんて調子を合わせてた。すべての始まりは祖父の通夜の日で、僕たちは夕刻、お屋敷の裏を歩いてたんだ。畦道(あぜみち)の向こうに夕陽を照り返す鳥居があって、そこに〝やかんさん〟が現れた。十五、六歳の女の子に見えたよ。出現の瞬間、稲刈り後の田んぼにいたカラスが一斉に飛び去った。まもなく星が消える。されば曾祖父の約束を果たすのじゃ――なんて託宣があり、直後それが如月ちゃんの体に降りたんだ。

 如月ちゃんとは同じ学校だった。彼女は友達相手にも神さまという自覚を忘れず、今日はみこちゃん家で遊ぶのじゃ、プールのあとはねむいのじゃなんて話してた。偉そうな風でなく、ただ人外であることを主張する言葉。猫背でニヒリスティックに微笑む如月ちゃんに、その口調は馴染むと僕は思った。

 魔狐少女ダキニちゃん――あの愛称は誰が言い出したんだったかな。マンガかアニメが元ネタなんだろう。如月ちゃんは大人との会話は普通にこなしたから、あの喋り方は確かにアニメのごっこ遊びに見えたかも知れない。一応断っとくけど、あの子の振る舞いに人の気を引くあざとさなんてなかったよ。

 とはいえ3年生にもなると、そんなノリも浮くようになる。同じ組だった僕も正直はらはらした。夜空の星は戦争の光じゃ、添い遂げる相手はそなたが決めるのじゃ、なんてセリフとの対話は難しいんだ。いつしか如月ちゃんは〝不思議ちゃん〟枠に入っていた。

「おまえ、あいつの従姉妹なんだって?」

 中学に入るとそんな言葉をかけられた。知らねえよって姿勢を僕は貫いた。思春期の繊細さが波風を嫌ったんだな。中学じゃ同じクラスにならなかったから、ひとり旧校舎のトイレでお弁当を食べたり、汚れた制服で早退する彼女を見ないふりするのは簡単だった。

 僕たちは別々の高校へ進んだ。でもうちの家族は盆と正月には如月ちゃんのいる祖母の屋敷に帰ってたから、彼女と定期的に会ってはいたんだよ。高校時代は他愛ない会話で気まずさを誤魔化すくらいしてた気がする。

「おまえは最近何を聴いておるのじゃ」

 もちろん如月ちゃんはダキニちゃんであり続けた。あのころ僕たちはよく音楽の話をしたと思う。周りが不思議ちゃん、中二病などと呼んだあの言葉遣いも、高校生となればつけるレッテルが見当たらなくなるんだ。あれはかまってちゃんではなかった。この世界と相対する彼女の視座であり、アティチュードだったんだ。そのことを目の当たりにした僕は痛快だったし、同時に自分がひどい過ちを犯したという罪悪感を背負い込んだ。

「人間をやるのも大変じゃのお」

 卒業のころ、最後にそんな言葉を聞いた。

 僕は大阪の大学へ進み、帰省するのも稀になった。彼女は地元の登録派遣で働いてたらしい。リーマンショックの余波の余波で彼女の父が失踪したことも人づてに聞いた。僕たちは電話する仲じゃなかったからね。彼女はあの屋敷で祖母とふたり暮らしになった。

 大学4年くらいかな。僕はTwitterでダキニちゃんというアカウントを見つけた。ネトゲのキャラらしいけど、野干(やかん)さんがどうと呟いてて気になったんだ。それはインドのジャッカルに由来し、日本で狐とみなされた生き物。ダキニちゃんは語る。野狐、人狐、狐憑きの一族、山陰地方には狐の俗信が色濃い。そしてこの地は黄泉に降ったイザナミ、根の国に住まうスサノオ、幽世(かくりよ)を統べる大国主(オオナムチ)など、神代(かみよ)から幽冥界との縁が深い。一方でインド渡来の神格であるダキニは暗黒を統べる大黒天(マハ・カーラ)の眷属であり、ジャッカルを持物(アトリビュート)とすることから日本では狐信仰と習合する。大黒天はのちに大国主と結びついた……。それらは闇の一族なんだ。如月ちゃんはよく言ってたよ。わしはこの世を裏側から眺めておる。裏とはそなたらの主観に過ぎぬがの……。

 僕は大阪の印刷会社にもぐりこんだ。30も間近、偉そうに仕事を語るオトナになってたある冬の日に、祖母が亡くなったんだ。島根に帰ったのは数年ぶりだった。

 如月ちゃんはいた。やっぱり猫背で、でも喪服を着こなし、いまはどこに、信金の仕事で、なんて親戚連中と話してた。久しぶり。大阪は遠いね。そんな言葉が如月ちゃんの口から流れるのを僕はなすすべなく聞いた。

 通夜の席では屋敷の処分が取り沙汰された。残された如月ちゃんひとりで維持できるもんじゃない。相続税。遺産分配。僕は客間の窓からぼんやり夜空を眺めていた。

 びっくりした。オリオンの右肩がもぎ取られていた。二〇二〇年一月、冬の大三角を構成するオリオン座ベテルギウスの急速な減光――。客間の向こう、如月ちゃんと目が合った。そのとき、言葉が僕の胸につかえ、ごろんとこぼれた。狐は。形状から北斗七星の属性となり。星辰信仰と結びつく。狐を持物とする荼枳尼(ダキニ)天は。辰狐王と称された――。

 喪服の連中が会話を止めていた。如月ちゃんはお棺のそばに立ち、はっきりと告げた。

「一九四四年、空から降る火が岡山を焼いた夜、わしはこ奴の曾祖父と約束を交わしたのじゃ。それは彼奴(きゃつ)がひとり娘に、そしてその孫に伝え、いま果たされるときを迎えた」

 屋敷は売りませんよ。僕は如月ちゃんの隣でそう宣言し、そして彼女に囁いた。大丈夫、やりようはある、手伝うから。

「当たり前じゃ。おまえはとうに心臓を捧げておるのじゃからの」

 幽冥界の主がニヒリスティックに笑っていた。

 僕はその屋敷に住んでるんだ。彼女とね。


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