第一章 ズーロランドにて (2)
申し遅れた。彼女の名前だけは、紹介しておこう。
名を、ウルラという。姓は、わからない。
ついでにいうと、どこで生まれたのかについても、彼女の記憶は鮮明ではない。幼時に村から攫われ、そのまま人さらいどもに養育され、売られ、自然な流れとして少女傭兵となった。ズーロランドに限らず、暗黒大陸の貧しき内陸国あたりでは、よくある話だ。
属する傭兵集団のボスが、先ほど名前の出た、パパ・ドゥンである。
ドゥンは対外的には、おそらくかなり凶悪で残忍な男だったのかもしれない。だって、傭兵のボスなんて、たいていそんなものだろう?
だがウルラはそのことを知らない。パパ・ドゥンは、彼女にとって、まさにパパそのものといっていい存在だったから。
ドゥンは、配下には優しい男だった。彼らが餓えていないか、なにか病魔に侵されていないか常に気を配っていたし、喧嘩騒ぎや派閥争いのようなものが発生したときには、あの葉巻を咥えたニコニコ顔で入ってきては、双方の顔が立つように巧みに仲裁した。
いや・・・今は、まだそんな背景をいちいち説明している暇はないのだ。
ウルラたち数名の少女戦士が、空から襲撃される危険に満ちた河床の開豁地を駆け抜けて、斜面を越え、やっとその反対側に滑りこんだまさにそのとき、河床の反対側に、奴ら炭素繊維の虫けらどもの編隊がその姿を表したからである。
「Bon sang, |ils sont trop tôt!」
(ちくしょう、奴ら、速すぎる!)
ウルラは、身を隠しながら低い声で唸った。
「Merde!」
(糞ったれ!)
毒づく17歳のサルダを横目に、ウルラは汗だくでぜえぜえと肩で息をしている仲間たちを見渡して、言った。
「このぶんだと、逃げても無駄よ。覚悟を決めて、ここで一戦交えるしかなさそうね!」
確かに、今居る場所は、河床から攻め上ってくる奴らを迎え撃つのに適した天然の防壁である。奴らは空を飛翔するが、今だけこちらの姿を見失っている。おそらくは熱感知センサーで走査し、ウルラたち生身の標的が河床のどこかに潜んでいないか、まずはあちこちと嗅ぎ回ることだろう。
そのかん、こちらは息を整え、眼下の河床を探し終えた奴らが高度を上げてくるのを待つ。有効射程に入れば、一斉射撃で、もしかしたら数機は撃ち落とすことができるかもしれない。
ウルラは、気づかれぬように河床のほうを窺った。奴らが散開し、水の枯れた河床をあちこち低空飛行している。慎重に数えると、当座、数秒以内にこちらへ飛翔して来られそうなものは3機だけだ。残りは、彼方に飛び去り姿が見えない。おそらく交戦の音を聞きつけてすぐと殺到してくるだろうが、それまでに先の3機を片付けておけば、彼我の火力と兵力の差をグンと縮めることができる。
時間差を利用した、各個撃破だ。
「敵を分断せよ!常に先手を取り、立ち向かい、牽制し、分断するのだ。そうやって、各個に撃破せよ!」
ウルラは、そう彼女に教えてくれた、リー・ウォンの姿を思い出した。はるか彼方の極東の国、北朝鮮というところからパパ・ドゥンのもとへ派遣されて来ていたかつての軍事教官である。有能かつ熱意に溢れた男で、常に背筋を伸ばして凛とし、生徒たちの前では一度も笑わなかった。
ただ彼女たちの眼を、ひとりひとりまっすぐと見つめ、ただひたすらに小部隊による遊撃戦の要諦を、繰り返し繰り返し説き続けた。やらなければいけないことは、常にシンプルだ。敵より火力が優勢なときは、撃て。敵のほうが優勢であれば、身を潜め決して攻撃するな。ただ、もし優位な敵をどうしても叩かねばならない状況に陥ったとしたら・・・分断せよ。常に先手を取り、脳味噌を絞って、相手を分断せよ。そうしなければ。
「おまえたち自身の脳味噌が、地べたにブチ撒かれることになる。」
リー・ウォンは、そう言った。
いまウルラとともに息を潜める5名の仲間たちは、いずれもリー・ウォンの教えを受けた同期生同士。問わず語りのうちに、意思統一はできていた。
「牽制せよ。そして分断せよ。」
いま、河床を見下ろすこの天然の城壁で、敵を分断し、一撃加えることのできるチャンスが生まれている。
もっとも年かさで、きっぷのいい姉御肌のリリアが指示を出した。
「当座の敵は3機。あたしたちの歩槍は5丁。投射器は、たぶん当たらない。なので、みな同時に一斉射よ。」
「正面から撃っても、たぶん奴らの機関砲に火力負けするわ。側面から叩かないと。」
冷静なロゼオが手短に意見を言う。リリアは頷いて、こう言った。
「あたしが囮になる。あっちのほうに走って、奴らを牽制するから、みんなはここから狙って、奴らの側面を撃って。」
そう言って、北の方角を指さした。河床に沿った崖が、まっすぐ南北に伸びており、約200メートルほど先で西方向へ急カーブを描いている。リリアは、ひとりそちらのほうに走って彼方から奴らに銃火を浴びせ、注意を引きつける気なのだ。リリアがそこから姿を見せれば、殺到する敵の3機は、きっと崖の傾斜に沿って河床から上昇して来る。
リリアが上方から発砲し続ける限り、さすがの奴らも、危険を冒して高位を取るわけにはいかない。眼前でリリアの火線を潜らなければ、リリア以上に上昇することはできないのだ。すなわち奴らは、斜面を縫って、地面ギリギリから突き上げてくる。
そして、奴らがリリアに接近すれば、そのやや長い側方のシルエットが、側面に展開している残りの4名の火線に晒されるのだ。勝負はたぶん一瞬だ。