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鉄路のソレイユ  作者: 早川隆
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第三章 うつろな魂 (1)

空っぽの魂が、あちこちを彷徨(さまよ)い、居場所を求めて、ただ泡沫(うたかた)のように水面(みなも)を浮き沈みしている。


彼は、半年前までは東京の秋葉原にいた。その昔の闇市から、電気部品の自由市場(バザール)のようだった経済成長時代を経て、今では色とりどりのポップで妖しげな色合いをまとう店舗が軒を連ね、世界中から多くの観光客を集める独特の文化空間となったこの一角。


誰もが忘れたふりをしているが、かつてここでは、のちに多くの犠牲者を出す内乱騒ぎを起こした新興宗教団体の末端構成員が、みずからのアジトにおいて信者たちの無償労働力を使い組み立てた格安PCを売るため大声で汗をかきながらビラを撒いていた。また、電脳空間(インターネット)における自己の承認欲求から起こった突如の殺意で通行人を多数殺傷した、なんということのない普通の男が取り押さえられたりした場所でもある。


多くの希望と絶望とが行き交うこの街で、彼は、ただふらふらと歩き、街の辻々に、まだそれがなにかわからぬ自分の目的を探した。


自分の故郷が、家族と、町ごとまとめて波に(さら)われてしまってから数年。魂の落ち着きどころを失った彼は、天災やら、盛んに叫ばれた「絆」のことなど綺麗に忘れ、そのギラギラとした明かりを戻した個々人の欲望がただすれ違うだけの街を、日々あてどもなくさまよっていた。




またも申し遅れた。彼の名前も、紹介しておこう。

名を、ヒロシという。姓もわかるが、ここではただヒロシとしておこう。なぜなら、これからの物語で、彼はただ、ヒロシとだけ呼ばれるから。だから、とりあえずこの名だけで充分だろう。




彼の家族の運命については既に述べた。その悲劇が起こるまで、彼の人生は順風満帆であり、彼はしあわせであった。この大都会に出てきて、申し分ない高等教育を受け、特に理系科目と語学に天与の才能を持つ彼は、自在にプログラミングをこなし4ヶ国語を話せた。朗らかな性格で、故郷には役所に勤める恋人も居た。将来、彼女を呼び寄せてこの大好きな秋葉原に住み好きな仕事をするか、それとも美しい故郷に戻って、地理的制約など意に介す必要のない自らの才能を活かした別の人生を築くか、いずれにせよその前途は洋々たるものであった。


ウルラが、まだズーロランド辺縁の森にあった新兵教習所で、リリアや仲間とともにリー・ウォンの厳しい軍事教練を受けていた頃の話である。


だが、あの大津波ですべてを失った。家族と、故郷と、恋人と。ウルラは故郷をただ彼女の記憶の中からだけ失ったが、ヒロシは、実際にそのすべてを失った。書くのも(はばか)られるほど気の毒な話ではあるが、あの悲惨な天災のときには、まあ、他にもよくあった話だ。




補償金だか保険だか、なにかの給付だか・・・よくは覚えていないけれど、先進国ならではの最低限の社会保障とセーフティ・ネットのお陰で、しばらくは仕事をしないでも済んだ。しかし、数年も経つとそれが甘えだと認定され、社会に見捨てられかかり、彼はやっと仕事をする気になった。


なぜか、それまで自分が好きだったプログラミングで効率よく金を稼ぐ気はしなかった。なにかもっと、実際に自分の足で動き、出かけて、人と触れ合う仕事がしたかった。そういうわけで、彼はテレビ番組の制作会社のスタッフ募集に応募し、問題なく採用されて、夜も昼もない激務に追われた。楽しかった。寝る間もないほど仕事に追われている限り、彼はただ自動機械のように、なにも考えず、なにも悩まずにただ日々を生きていることができたから。


しかしやがて、彼の才能が彼自身の運命を変えた。採用時になんとなく見過ごされていた語学能力の記載が、とある人事担当者の脳裏に(よみがえ)り、彼は、大掛かりな海外取材のクルーに選ばれた。現地スタッフとの意思疎通を円滑にし、自社のチームの若手スタッフたちをまとめて、取材を効率化しコストをセーブする。ヒロシの経歴は、発注元のテレビ局に対する自社プレゼンテーションの隠し玉として使われ、みごと、年間数億すなわちこの制作会社の売上の数割を占める巨額取引を獲得することができたのだ。


行き先は・・・アフリカではなく、東南アジアであった。ここで、取材スタッフにあまりにも無慈悲で粗暴な態度を取る番組パーソナリティのお笑いタレントと衝突したことで、ヒロシの運命が暗転した。すでに安定した人気を誇るこのタレントは、番組制作続行の条件として気に食わぬヒロシの馘首(クビ)を要求し、選択肢のない会社側は即座にそれを実行した。せざるを得なかった。




異国でとつぜん放り出され、彼の行動に感謝する他のスタッフからのカンパと会社側から上乗せされたわずかばかりの退職金を元手に、帰る先のないヒロシは、徒歩で西へと向かった。故郷と違った方角に行けば、もしかしたら何か生きるよすがが見つかるかもしれないと思ったからである。貧困と富貴、19世紀とと21世紀とが同時に存在するような、どこに行っても人々で溢れかえるインドを越えて、さらに西へ。

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