第一章 ズーロランドにて (1)
はるか遠くに原初の山々が蒼く霞み、緑の沃野にせせらぎが流れ・・・などと、まずはズーロランドの雄大な自然の描写からストーリーをお届けしたいのだが、あいにく、そうはいかないのだ。
今は、あまりに時間がない。
なにしろ、彼女は追われているのだから。
何に?
人ですらない、あいつらにである。
突如として視界に現れ、不気味な飛翔音を響かせながらグイグイと近接してくる、あの不快な、虫のような奴ら。虫、とは書いたが、彼女は、それが自然を統べる神の造りたもうた被造物でないことを知っている。なぜなら、その虫どもの固い甲羅は、グラスファイバーとグラフェン、ハイモジュラス・グラファイト、さらに少量のタングステンとケブラーを混ぜたコンポジット外皮でできているのだから。
もちろん、彼女が、そうした成形樹脂や補強素材の名前までを知っている訳ではない。しかしとにかく、奴らの外皮は固く、軽く、しなやかだ。頭にくるくらいに機能的で、丈夫で、そして・・・。
そう、なんというか・・・人間よりは上だ。
少なくとも、いまここで、これから彼女が奴らとやらにゃならないこと。
戦闘に関しては、特に。
要は、強敵ということだ。
少しの間でも、ふと気を抜いたら、その瞬間に殺られるということだ。
血まみれになって、自分が死ぬ、ということだ。
年若く、身体能力に優れた戦闘熟練者である彼女にとっても、だから今は、死ぬか生きるかの瀬戸際にいる、ということになる。
現に、彼女と同じくらいに経験豊富で、彼女と同じくらいに冷静で、彼女と同じくらい優秀で勇敢な戦友たち・・・レイア、モトト、プバスは、すでにあの虫けらどもに屠られてしまっていた。レイアとプバスは、奴らの腹のガンポッドからニョッキリと突き出したあの忌々しい機関砲の斉射に捉えられ、わずか0.035秒ほどの間に、大量の土煙にまみれた、赤黒いミンチ肉にされてしまった。
モトトは、敢えて直射を控えた奴らに追い立てられ、じわじわと地雷原に誘い込まれて、爆死してしまった。
いや、そうではない。爆死ではないのだ。奴ら・・・思考力を持ったあの忌々しい虫けらどもは、モトトを、わざと対人殺傷用の地雷原へと誘導し、埋設位置との距離を測りながら短い掃射を加えて彼女を走らせ、まずは片腕、背中、腰と、順繰りに傷つくように地雷を叩いては炸裂させ、ゆっくりとスライスするように彼女の命を削り取っていった。
あきらめて、座り込めばいい。なにもかも擲ち、足を止めて、虫けらどもに唾でも吐きかけてやればいい・・・そうすれば、虫けら共も、彼女をいたぶって他の兵たちに見せしめ的な恐怖を与えるという心理戦的な目的をそれ以上達成できないと判断し、瞬時に機関砲の直射で彼女を射殺するであろうから。
ところが、モトトは勇敢だった。決して、生への執着を自ら断ち切るような女ではなかった。彼女は、抗い続けた。左手を失い、背中に致命傷を負いながらも、なおも動くことを止めなかった。そのまま、もがくように地雷原の中を這い回り、なお二つの地雷の炸裂を喰らった。それでも彼女は死ななかった。虫けらどもは、そんな彼女の様をまるで見物するかのように遠巻きにして飛び回り、疵だらけになった彼女の肉体が5分後にやっと動くのを止めてから、最後の仕上げとばかりに斉射を加え、その肉体をバラバラにした。その火力で周囲の埋設地雷が一斉に吹き飛び、まるで火山の爆裂火口のように、焔と煙と岩礫とそして、数秒前まではモトトの一部だった肉の欠片が天高く飛び散った。
奴らは、それを見届けると、まるで小さな悪魔が空中で喜悦に満ちたダンスを踊るかのように凄まじい土煙の周囲を飛び交い、人間には予測のつかぬ三次元の複雑な曲線を描いて互いに交錯し合い、声なき凱歌をあげた。
もちろん、奴らは、虫けらではない。
思考力を持った、精巧な殺戮の道具だ。
パパ・ドゥンは、奴らを「ドローン」と呼んでいた。
ただそれは、今から何年も前の話。当時の奴らは、あんなに強くもなく、精巧でもなく、もちろん、頭だって悪かった。ただ回転翼の音を響かせて、直線的に飛び、腹の下に搭載した大して効果的でもない火器でこちらを脅して来る。
今よりもまだずいぶんと幼かった彼女たち戦士は、きゃっきゃと笑いさざめきながら、鍛錬に鍛錬を重ねた腕前で悠々と、奴らを撃ち墜とした。惨めな奴らは、だらしなく黒い煙を曳いて空中を斜めに墜ちて行き、かなたの地面に小さな火花を立てた。ぶざまなものだった。
ところが今や、攻守逆転。
あのバカな虫けらどもが、遥かに強く、疾く、狡猾になり、もとは絶対的な強者だったはずの彼女たちを上から追い立てている。すべてが計算通り。すべては地上の神、アルゴリズムの命ずるがままに。敵兵の思考と心理と恐怖の総量を計測し、次の不合理な動きを予測する。ビッグ・データの導きのもとに。
・・・何度も言うが、地上にいる彼女が、そうしたことをいちいち把握しているわけではない。彼女はただ、空飛ぶ虫けらどもが、この短期間で飛躍的に強くなった、そのことを極限の恐怖とともに身体で感じているだけなのである。殺されゆく仲間たちの最期を見て、それを悲しむ暇もなく、ただひたすら、身に擦り込むように学んでいるだけなのである。
そうしていま、彼女自身がどうやって生き残るのかを、必死になって考えているのである。考えながら、ズーロランドの大地を駆け、数名の生き残りの仲間たちを引き連れて、ひたすらに逃げているのである。