:あと少し:
その翌日の舞踏会会場では、久しぶりに暴走馬車が会場に横付けになり、きりっとした表情のリズが威厳たっぷりに降りてきた。
そして、シュテファンを見つけるや否や突進する。「わ、イシュタル化してるぞ!」と誰かが叫び、人々は思わず道をあけた。
光沢のあるワインレッドのドレスは、袖も裾もたっぷりと布やレースが使われている。四角く開いた胸元からウエストにかけてクリスタルを使用した刺繍が施され、シャンデリアの光を反射してキラキラ輝く。
もちろん、イヤリングもブレスレットも、扇子も手袋も一切の抜かりはない。
それだけ豪華なドレスを着ていても『ドレスに着られた』様子は一切なく、裾捌きも鮮やかにシュテファンを取り巻く令嬢たちに近づいていく。取り巻きたちは、リズの美しさ、ただならぬ雰囲気に圧倒され、じりじりと後退ってしまう。
「これはレディ・エリザベス」
「ちょっとあちら、よろしいかしら。ここではうるさくって」
「……いいよ、行こう」
衆人環視の中、リズはシュテファンとともにテラスへと出ていった。
ほぼ同じころ、アンドリューの教会ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
「待つんだ、レディ・ティレイア!」
レオが、泣いて駆け出すティレイアの腕を捕まえて自分の方へ引き寄せていた。見ようによっては抱き合っているようにも見え、当然周囲はざわざわとし、アンドリューが息せき切ってやってくる。器用にティレイアとレオの間に割って入り、ティレイアをかばう。
「どうしたんだい? 相手がそれぞれ違うじゃないか!」
小さな声で囁く。レオが呆れ顔でアンドリューを見た。
「……アンドリュー、やっぱりお前知ってたか」
まぁね、と、肩をひょいと持ち上げて肯定。
「……たぶん、すべての事情を知ってるよ。レディ、この際だ、彼に縋ってみようじゃないか」
衆人環視の中、三人は教会の裏庭へと出ていった。
異なる場所で、レオとリズの口から飛び出した言葉は同じものだった。
「ティレイア嬢とシュテファン卿二人は愛し合っている。違う?」
シュテファンは一瞬言葉を失ったが、即座に肯定した。
「なぜ仲を隠すの? お似合いのお二人よ! わたくし自慢のおねえさまと、わたくしが一度は愛したシュテファンさま。王国一のカップルだわ」
「なぜって……ティレイアが、自分の家は程なく没落する。身分違いだからダメだと……一緒にはなれないのだと……俺はそんなこと、気にしないのに!」
心底悔しそうにシュテファンが言う。リズは、いけないと思いつつも『禁断の魔法』を使った。俯いているシュテファンの思考を少し、覗いたのだ。
――まぁ! レディ・ティレイアのことばかり!
二人が三年も愛し合っていること。
ティレイアが縁談を受けようとしていること。
身分違いだからと別れようとしていること。
二人が何度も何度も話し合いを重ねたこと。
――そして、結婚が許されないのなら、シュテファンはティレイアを連れて隣国へ駆け落ちしようとしている。
「……隣の国なら、そうね……比較的結婚は容易よ。これまでに駆け込んで隣国で結婚して、この国へ戻ってきた男女は数多いる――……」
「レディ?」
「でもね、そのあとは大変なのよ。駆け落ち婚なんてしたら、一生親戚や友人たちから非難され、社交界から締め出され、財産や爵位も相続できないかもしれない。もし子どもが生まれたら、その子たちも不公平と好奇の目にさらされるわ。その覚悟は、あるの?」
ある、と答えるシュテファンの声が震えるが、その目はしっかりと先を見据えている。魔法を使うまでもなく、シュテファンの意思、ティレイアへの深い愛を感じる。
羨ましい、と思わないわけではない。それは『深く愛し合う相手がいる』ことが羨ましい。これまで何度も転生を重ねてきたが、そのような相手に巡り合ったためしはない。
だからこそ、ここまで愛し合っている二人に一緒になって欲しいと願ってしまう。
「そこまでの覚悟があるなら、ティレイア嬢を攫ってアンドリューの教会で結婚しちゃいなさいよ。ティレイア嬢の家だってまだ没落していないでしょう?」
「しかし……結婚するには結婚許可状にそれぞれの親や然るべき人のサインが必要だが……」
にこ、と、リズは微笑んだ。
「こういうときは、王族にお願いすればいいのです」
「な、なんだって?」
「今ではサイン=両親って定番でしょう? でもね、昔はそうやって結婚していたのよ。法律が変わっていなければ今も有効な手のはずよ」
項垂れていたシュテファンの顔に生気が戻ってきた。あと少しね、と、リズは小さく頷いた。