:束の間の幸せ:
それから数日。リズの頭の中にはしょっちゅうレオが出てきていた。
「シュテファンさまのお相手も気になるんだけど……」
庭で剣の素振りをしながらあれこれ考える。木製の剣は、訓練のためにとシュテファンが贈ってくれたものだ。これがリズにぴったりで、素振りが楽しくなっている。
(レオさまの正体も気になって仕方がないのよね……)
思い余ってアンナベルに手紙を書いてみたが、侯爵家の嫡男ということしか知らないとのことだったし、特に馬愛好家だという話も知らないとのことだった。
「……魔法もかけてみたけれど……ダメだったのよね」
まれに、魔法使いでもないのに心をがっちりと防御した人がいる。日常的に相手に本心を悟られてはいけない立場の人に多いのだが――。
「レオさまは侯爵家のご子息、そこまでだとは思えないのよね……」
等間隔に並べた藁人形を強かに打ったところで、母が昼食だと呼びに来た。今日の訓練は終わりにする。
「そうそう、エリザベス。明日の朝、例のものが届くそうですよ」
優雅に食後の紅茶を飲みながら母が言う。
「わ、楽しみ!」
「まったくあなたときたら……ちっともレディらしくしないんだから……」
リズが待ち望んだソレは――屋敷の玄関に鎮座していた。
「うん、形もほとんど記憶にあるものと同じだわ」
「密かに自転車の改良をしていたなんてね……驚いたわ」
前世の『便利さ』を覚えているリズの不満はいくつかあるが、その中の一つが移動手段の少なさだった。現時点で貴族令嬢に許された手段は、馬車か徒歩、これだけなのだ。これにリズは、貴族の男性が乗り始めている自転車を加えることを思いついた。
ただし、現存する自転車の形態のままでは危なくて乗れない。ので――記憶を頼りに自転車職人に改善を頼んでみたのだ。改良すること数度、ようやく前世で見慣れた自転車に近いものが仕上がった。
「行ってまいります、お母さま」
「ああ、本当に? 本当に追跡に行くのね、大丈夫なのね? というか自転車……あなた今生では練習していないでしょう? せめて補助輪つきにしたら……」
大丈夫大丈夫、と、手をひらひらと振ったリズは、このところ流行の兆しを見せている自転車にまたがる。そのため、今日は裾や袖の膨らんだドレスではなく、丈の短いスカートの下に足首のところですぼめた女性用のズボンを着用している。
「ドレスも嫌いじゃないけれど、やっぱりこっちの方が動きやすいわね……」
ともすると動きが『今生らしくない』ことになるため、普段以上に気を付けなくてはならないが――。
「出発!」
練習が必要かと思ったが、前世で乗り回していた感覚を覚えていたため、スっと乗ることが出来た。
「ふふ、何をやっても完璧よ!」
ただし、石畳の上は非常に乗り心地が悪い。それはリズが悪いのではなくて……。
「あうあうあう……悪路ってこれよね……ええい、魔法よ!」
凸凹のある石畳をつるつるの石畳へとかえたうえで、自転車にも安定感を足すよう魔法をかける。
微調整を加えながら自転車を飛ばす。
「ひゃっほーう!」
坂道を勢いよく下る。新鮮な空気が頬にあたって気持ちがいい。
「あ、いけない!」
急停車したのはわけがあった。行く手に馬車が止まっている。
「朝から元気だねぇ……レディ・リズ」
窓から顔をだしたのは、満面の笑みのシュテファンだった。今日は騎士団の制服を身に着けている。これから仕事なのだろう。
「まぁ! シュテファンさま、おはようございます」
「勢いよく坂を下りてくる姿が見えて、思わず馬車をとめてしまったよ。それ、自転車かい?」
「はい」
「いいね、ちょっと……触らせてもらえないだろうか? ずっと興味があったんだ」
なんてすばらしい日だろう、と、リズの心はたちまち明るくなる。馬車から降りたシュテファンに自転車を渡し、乗り方を簡単に説明する。
その間、リズの心はふわふわと舞いっぱなしである。なにせ、外とはいえ二人きりである。シュテファンと手が触れたり、シュテファンの体に触れたり……。なにより、新しい自転車というもののおかげで、互いに笑いっぱなしである。
(ああっ、幸せ……)
――この笑顔を、いつも誰に向けているのだろうか。
――この自転車で、シュテファンはどこへ行くのだろうか。
そんなことも思ってしまうが、何より、シュテファンと一緒に笑いあえることがリズは素直に嬉しかった。