:馬車の中にて:
馬車の中では、レオがお腹を抱えて大笑いしていた。
「何が楽しいのかわかりませんが、それ以前に、レオさま、だいたいなぜあなた様が、うちの馬車に乗っているのですか」
向かいの座席では、陶器のような肌を真っ赤に染めたリズが吠えていた。無理もないだろう。レディの馬車にくっついて乗り込んでくる貴公子など、怪しいことこの上ない。
「レディ・リズの熱い思いにまったく気がつかないシュテファンもいっそ立派だ。あんな頓珍漢のにぶにぶ野郎だとは知らなかったよ。だが、それでもうっとりして見つめるレディ、その視線でシュテファンに穴があきそうだ。そんな二人を複雑な顔で見送るアンドリュー、実に傑作だ」
どこがですか、と、リズは眇めた目でレオを見る。
「人様の恋模様を露骨に楽しむなんて悪趣味ですわ」
リズの怒りに中てられたのか、はたまた主人の『号令』だと勘違いしたのか、突然馬たちが駈足を始めた。
「うわっ」
「きゃっ」
定番といえばあまりに定番の状況であった。ぐらりと傾いたリズは――咄嗟にレオに抱きかかえられ、レオの膝に横座りしてしまった。
「ご、ご、ごめんなさいっ」
「いや、構わないよっ……」
ぴったりくっついたレオの体は思いのほか逞しい。身に着けている衣服も、纏っている香水も上等のもの、至近距離で見た顔はとても整っている。やっぱりただの『道楽息子』ではなさそうである。
「……レディ・リズ」
「は、はいっ」
「……そんなに見つめないでくれ……その桁外れの美貌で……キスできそうな至近距離で見つめられたら、さすがに……照れる」
慌てて視線を剝そうと思ったが、レオの顔が真っ赤になっていることに気付き、つられてリズモ真っ赤になる。たちまち心臓がどきどきと早鐘を打つ。
「れ、レオさま、わたくし隣へ移りますので……」
よいしょ、と、リズが座席を移動しようとしたが、おおきく馬車が跳ねた。リズの気持ちが昂ったことを察した馬たちが、さらに加速したのだ。
感覚でそれを察知したリズは咄嗟に踏ん張ったが、跳ねる馬車になど乗った事のないレオが、座席からずり落ちた。
「な、な、なんだ!?」
「レオさま、お気を付けて!」
レオを助けようとリズが伸ばした手にレオが捕まるが、馬車はさらに加速する。
「なんて速度だ……」
「ごめんなさい……普通に歩くことを調教メニューに加えておきますわ……」
さらに速度を上げた『暴れ馬車』だが、レオは乗りこなすコツを掴んでしまったらしい。座面に落ち着き、窓をあけて外を見ている。
ぴゅうぅと口笛を吹いてご機嫌である。
「すごいわ。わたくし以外にこの馬車に乗れる人がいらっしゃるなんて」
「昼間だったら飛ぶような景色が見えるんだろうな」
「では今度は昼間にいらして」
「ああ、そうさせてもらうよ」
さらっと約束してしまった。そのことに一拍遅れて気付き、二人して慌てふためく。
「そ、そ、その、深い意味はない」
「わ、わ、わかっております。馬車、馬、そちらにご興味がおありなのですよね」
「そ、そうだ、うん。今度、きみの家の厩を見せて欲しいんだ。うちの軍馬の調教の参考にしたくてね」
軍馬の調教? と、リズは首を傾げた。貴族の屋敷でそのようなことをするとは、聞いていないが――。
「いやぁ……きみの家の馬はやっぱりすごいな。うちの馬も悪くないと思っていたが、全くかなわない。とんでもない速度と体力だよ……」
そりゃまぁサラブレッドの調教を真似て育ててますからね……とは胸の中だけで答えておく。
「これだけの上質な軍馬が揃っていれば……騎馬隊も戦車隊も、戦力が異なってくるんだよなぁ……」
「え?」
「きみの馬は立派な蹄鉄だった」
はい、とリズは頷く。前世で覚えた装蹄師の仕事を見よう見まねでリズが行っているのは内緒だ。
「馬にとって蹄は何より大切ですから……」
「そう、そうなんだよ。いやぁ、話がわかる人がいてくれて嬉しいよ!」
レオの瞳がきらりと輝いた。思わずリズは瞬いてしまう。
(馬が好き、なのかしら?)
「……我が国にも少し前……鉄の産出が今ほど減少する前は、馬たちそれぞれにあった蹄鉄を作っていたし、短期間で交換してやれた。だが今は、鉄が激減し貴重品となってしまった。再利用に再利用を重ねるから、あまり質がよくないんだ」
「それは心配ですわね。バランスが悪くなったり、かえって蹄を痛めてしまったりしますわ」
全くその通りだ、と、レオは頷く。
「馬の脚がしっかりしていれば、補給部隊だってもっと早く移動できるはずなんだ……」
レオがぶつぶつとつぶやきながら、何かを考え始めてしまった、
聞き耳を立てるのは失礼と思いながらも、そっと様子をうかがう。
(軍人さんの家系……かしらね?)
しかし普通の軍人が、戦力の計算や補給部隊の速度など気にするものだろうか。それは軍人というより、軍の幹部がすることのような気がする。
(うーん、軍事大臣とかかしら? にしては若いわよね……)
単なる馬マニア、軍事マニアということも考えられるが、それは少し違う気がする。
「……不思議な方ねぇ……」
リズはじっと、目の前にある端正な顔を見つめた。