:行動開始です:
舞踏会が終わり、人々が帰路につこうかという頃――会場の中庭にある大きな樹が不自然にがさがさと揺れていた。
枝の間から羽飾りのようなものとドレスの裾らしきものがちらりと覗いているのを目撃した人々は、慌てて視線を逸らす。レディが花を摘んでいる、もしくは、会場で良い雰囲気になった若い男女がそこへ飛び込んで事に及んでいる――と想像するからだ。
だがしかし、この会場には最先端の水洗式トイレが設置されている。そのため、ここで用を足す人はいない。となれば――と、物見高い人々はほくそ笑んだのだが。
「きたっ!」
茂みからレディの鋭い声が聞こえたのと同時に、葉っぱだらけの頭がにょきっと飛び出した。しかも二つ。
通りがかった人が、
「ぎゃっ、イシュタル!」
「戦闘態勢よっ」
と叫んで逃げ出したが、当の本人は全く気にした素振りも見せない。というか目線の先に気をとられて、彼らの声が耳に届いていないのだろう。大変な集中力である。
「行くわよ……見失ったらいけないもの……」
力強く一歩を踏み出そうとするそリズの手を、慌てて掴んだ人物がいた。一緒に茂みに潜んでいた令嬢である。
「まだ早いわよ。もっと距離をとってから!」
「え、そう?」
「いま振り返られたら、すぐに見つかってしまうわよ! お願いだからもう少し落ち着いて、レディ・リズ!」
いう傍から、数歩前を歩いていた貴公子たちが振り返った。きょろきょろしている。二人は慌ててしゃがみ込む。
「もう行ったかしらね……」
「本当に、大丈夫なの? 本当に、やるのね?」
と、心配してくれるのは学友のレディ・アンナベルだ。さっとシャペロンが駆けつけて、アンナベルの髪やドレスに着いた葉っぱを取り除き、ついでにリズの葉っぱも払い落とす。
アンナベルはこのところすっかり垢抜けて、噂では結婚が決まりそうとのことである。
それも、例のレオが紹介してくれた男たちの中の一人だというのだから、人の紹介というのは侮れない。
学校を卒業して以来会う回数は減っているが――アンナベルの方が、巷で噂のイシュタルと夜会で一緒になるのを避けていたらしい――手紙のやり取りは欠かさず行っていたため、シュテファンのことも書き送っていた。
アンナベルは、シュテファンのことは諦めてもっといい男を探した方がいい、といつも言う。
「ありがとう、アンナベル……。シュテファンさまをきっぱりと諦めるためにも、やり遂げるわ」
気を付けるのよ――と、アンナベルは本当に心配そうに、リズを見送った。そしてリズの暴走馬車が視界から消えるとほぼ同時に、会場へと戻っていく。
「レオさまに、連絡よ!」
リズの馬車は、会場から出てすぐ、普通にからからと走っていた。
「どうしたの、止まりそうな速度じゃない」
と御者に向かって文句を言うリズだが、御者は、「お嬢さま、いつものように飛ばしますと、御指示の馬車を追い抜かしてしまいます」と、涼しい顔で言う。
「んもう! みんなこんなゆっくり走る馬車に、よく耐えられるわね……」
と、リズは後部座席でふくれっ面になる。レディにあるまじき顔である。
「皆さん同じことをおっしゃいますよ……レディ・リズはよくあんな高速で走る馬車に耐えられるわね、と」
イライラを数回の深呼吸で抑えたリズは、窓から顔を突き出して前を走る馬車をじっと見つめた。この道は、王都のメインストリート、どこへいくのかさっぱりわからない。
――ご自分のお屋敷でないことだけは、確かね。おともだちのところかしら?
なにせ、シュテファンの家はさっき通り過ぎたのだから。