：ちっとも思い通りになりません：
複雑怪奇な表情で、何とも言えない時間帯に帰宅した娘に、文字通り前世から苦楽を共にしている母が気付かないわけはなかった。
ふらふらと応接間のソファーに座り込んだリズに、そっと近寄った。
明らかに、まぶたが腫れている。何かあったのは間違いない。だが、それより先に、すべきことがあった。
母は、暖炉の前でひたすら恐縮している黒服の男たちと老婦人――老婦人はこの屋敷のメイド頭だ――をちらりと見た。
「おかえりなさい、リズ。あなた、シャペロンがレディを見失いましたと血相を変えて帰ってきたわよ。これがどういうことかわかるわよね？」
リズは「あ」と小さく声をあげた。いろいろなことがてんこ盛りの一夜だったため、直近の前世ではなかった制度――シャペロンの存在をついうっかり忘れてしまった。
「今は、シャペロンなしで結婚前の娘が歩くなんてはしたないことですよ。あなた自身はこれまでの経験上一人で行動することに違和感がないでしょうけれど……よくよく気を付けるのです」
「はい」
ごめんなさい、と彼らの前に行って頭を下げる。
「お嬢さま、大変なことになったと聞きました。順序良くご説明頂けますか」
黒服の男の一人が控えめに、だが、誰もが知りたくてたまらないことをはっきりと聞いた。おろおろするリズが母を見るが、母はにっこりと笑う。
「さ、リズ。皆様にご説明なさい」
「は、はい……」
かくしてリズは、いつの間にかぞくぞくと集まってきた屋敷の人々に向かって、己の失態から失恋まで――いや、まだ失恋と決まったわけではないが、それを微に入り細を穿って話す羽目になった。
母をはじめとした使用人たちは聞き上手であったため、リズは前世で培った演技力を活用して熱演してみせた。
が、ふと我に返るととんでもなく恥ずかしい。自分の首から上が真っ赤になったのがわかるが、使用人たちは涙を拭きながら拍手喝采である。口々に、次こそは幸せな恋愛を、と、励ましながらそれぞれの持ち場へと帰っていく。
（ひーん、どうしてこんなことになってるの！）
おかしい。
完璧な令嬢に転生し完璧な人生を送るはずだったのに、惚れた相手には猛アタックの甲斐もなくまったく興味を持ってもらえず、その顛末を大勢の使用人に向かって演説するなんてリズの計画にはない。どこかで人生設計が狂っている。
「リズ、小さな気のゆるみが大きな失敗につながりかねません。あなたは転生者としての自覚が欠けていますよ。気を付けるのです」
「はい、わかりました、お母さま」
もちろん、大きな失敗をしたなら魔法で『なかったこと』にすればいいし、リズや母の手に負えないときは『会社』が降臨していいように取り計らってくれる。だからリズは、思い通りに動いて良いはずなのだ。だが、人の気持ちだけは、魔法でも会社の力でも、どうにもならない。それはそのように誰かが決めているらしかった。
リズは、はっと自分の置かれた状況を思い出した。
「……お母さま」
「どうしたの？」
「わたくし、おねえさまを蹴散らすことはできません！」
いきなり抱き着いて泣き出したリズを抱きしめた母は、すばやく過去の記憶を検索した。リズが過去にもこのように泣いたことがあった。
それは極めて親しい相手や尊敬する相手が恋敵だったとき。リズはいつも、彼女たちに相手を譲ってしまうのだ。
（しかもその半数が、リズの勘違いなのよね……）
柔らかい髪の毛を撫でてやりながら、母は思った。
これまでの失敗のいくつかは、リズの早合点や思い込みによる勝手な失恋がある。
そのことをリズ本人はわかっているのかどうか――。これは彼女の『死んでも治らない性分』なのだから、本人が強く意識してどうこうするしかない。
「ねぇ、リズ」
「はい」
「シュテファンさまは、本当にレディ・ティレイアのことがお好きなのかしら？ 確認はしたの？」
少し考えた後、いいえ、とリズは首を横に振った。シュテファンの口からティレイアの名前をきいたわけでもなく、レオがつぶやいた言葉だけが根拠なのだ。
「別のレディかもしれないわよ？ 確認するのが先ではなくて？」
「そうよ！ そこからきちんと確認しなくちゃ！」
レディ・ティレイアでない場合は遠慮なく蹴散らせばいいのだ。
リズは、深呼吸したあと軽く目を閉じた。魔法でシュテファンの行動や気持ちを探ろうというのだ。
「だ、だめだわ……お気持ちは探れないし……馬車で王都をあちこち移動していることしかわからないわ」
あきれた、と、母が笑った。
「リズ、恋は魔法を使ってもどうにもならないと心得なさい」
「やっぱりだめなのね……ぜんぜん思い通りにならないわ……」
ふ、と、リズが肩を落とす。せっかく剣と魔法の世界に転生したというのに今生ではあまり魔法の出番がない。
「大昔の魔法なら別ですけれど。魔法に頼らず自分で調べるのです」
「はい。そうします。お母さま、ありがとうございます！」
ふいに瞳を爛々と輝かせたリズは、どたばたと自分の部屋へと飛び込む。その後ろ姿を見送りながら母はつぶやいた。
「……なんでしょう。妙に心配だわ……」
