:レディ・リズの失恋:
その日は罪悪感を覚えたらしきアンドリューと、なぜか生き生きしているレオに励まされながら、リズは馬車に乗り込んで自邸へと戻っていった。
「……レオンハルト殿下!」
しんと教会が静まり返ったのを確認し、アンドリューがものすごい勢いでレオに駆け寄った。
「……なんだよ、レディが帰ったとたんに怖い顔だな。それに外では閣下と呼んでくれ」
「失礼しました。仕事を放り出して夜な夜な遊びまわっているので見かけたら連れ戻してくれと手配書が回っています。何日お留守になさっているのですか」
やかましい、と、レオは片手を振る。
「気にするな。三か月ほどだ」
「十分長すぎます!」
やれやれ、と、レオは肩を竦めた。そのうえ煩い爺どもには辟易するとぼやき、アンドリューが「閣下!」と喚く。
「市井に交じって何をなさっているのですか? 花嫁候補探し……にも見えませんが」
「念のため言っておくが、俺は彼女を騙してはいない」
神に誓って本当だ、と、レオは真顔で言う。
「わかっております。意図的に一部の情報を告げていないだけですよね。いつもの手段です」
「そういうこと。それも今回は自分のためじゃないぞ。なかなか結婚しようとしない腹心の部下に嫁をと思ってだな……」
シュテファンとレディ・リズ。リズを始めて見た時から気になる存在だった。
完璧な美貌と完璧な肢体、完璧な知性と教養すべてを兼ね備えているのみならず、それらを隠すことなく使用して狙った男に突進していく肉食獣のような逞しさに驚いたものだ。
「陛下がリズを初めて見かけたのは、サーラス伯爵主催の舞踏会でしたか」
「ああ。正式に社交界にデビュー前だったと思うが、年上の令嬢たちを蹴散らかして、どこぞの嫡男に肉薄し、巧みに駆け引きをしていた。その度胸に呆れた」
そうだろうそうだろう、とアンドリューも頷く。扇の代わりに剣でも持たせたらいいだろうと思われるほどの、突進具合だった。
ちなみにその時のお相手は、リズの美貌と豊満な肉体に惑い、助平心を出し過ぎてリズにこっぴどくふられている。普通だったら結婚するために我慢したり醜聞を畏れて我慢したりするのだが、リズはきっぱりと拒否する。そこも、レオがリズを気に入ったところだ。
美しいだけではない令嬢と、将来有望なライセン侯爵家の嫡男シュテファン・ゾンマーフェルト・ライセン。とてもお似合いの二人に思えたのだ。
「俺の計画通りに、レディはシュテファンに惹かれてくれたが……肝心のシュテファンがああではなぁ……」
ちょっと悪いことをしたかな、と、レオが天井を仰ぐ。
「アンドリュー、レディ・リズの様子を気にかけておいてくれ」
「ほーう、殿下がそんなことをおっしゃるとは珍しいですね」
んあ? と、レオが首をかしげる。
「いいえ、レディたちの心には無頓着、適当に弄んではポイ捨てするか、思わせぶりな態度をとっておいてほったらかし、の、どちらかが常套手段ですからな」
アンドリューが、にやにやと笑いながらレオの顔を覗き込む。見ればレオが呆気にとられたような表情で瞬きをしている。どうやら無自覚だったらしい。
「……お? もしや、レディ・リズのことがそんなに気になりますか? もしや、初恋だったり……」
かっ、とレオの頬が赤く染まった。その変化にアンドリューは驚いたが敢えて触れずにおいた。
「アンドリュー! 俺をからかうとはいい度胸だ」
「あっはっは、殿下をからかえるのは、僕とシュテファンくらいでしょう」
「ま、確かにな……」
この筋骨たくましい神父と、将来有望なシュテファン、そしてレオ。三人は同じ寄宿学校にかよっていた学友なのである。生まれも育ちもバラバラだが妙に馬が合ってしまった。
しかも、三人寄ればなんとやら、あらん限りの悪戯をしてまわり、先生や生徒を悉く困らせ、ついには開校以来の悪童トリオとして名を馳せたのである。彼らが無事に卒業してくれたとき、教師陣は泣いて喜んだという。
「まぁ、レディ・リズの失恋……いや、恋の行方が気になるのはぼくも同じです。彼女の動向には気を配っておきますよ。きっと彼女は、明日か明後日にもここへ来るでしょうから」
「そうか、じゃあ俺も寄らせてもらうよ」
「承知いたしました」
ではまたな、と手を振って帰るレオを見送ったアンドリューは、ひとり小さく笑った。
「これは――もしかしたら……雨降って地固まる、になるかな?」