:ああ、シュテファンさま……:
どうやらリズそのまま、ウトウトしてしまったらしい。
はっと目をあけたとき、客室係のメイドがリズの体をそっと揺すっていた。
「申し訳ございません」
はい、と、掠れた声で返事をする。体をゆっくりと起こすと、メイドがすかさず体を支えてくれる。さらに、ベッドサイドの水差しに視線を投げれば、すかさず彼女が水を汲んでくれる。どこまでも有能な女性である。
「先ほどから、レオンハルト・ゲーアハウス・シェーバーさまが、お見舞いに入室したいとお待ちですが……」
レオンハルト・ゲーアハウス・シェーバーとはだれのことだったかしら、と、頭を捻る。寝起きで回転の鈍い頭に自分で苛立ちながら、そっと魔法を使う。脳裏にポンと浮かぶ馴染みの顔。
「あ、ああ……レオさまね……そうね、入っていただいて」
「承知いたしました」
メイドはリズの身だしなみを素早く調え、ベッド周りも見苦しくないように直し、ご丁寧にパーティションを置いて、レオを呼びに行った。
「レディ・リズ、足を挫いたって? シュテファンから聞いたよ」
ほどなくして、本当にレオがやってきた。パーティションから顔を出すと見知らぬ令嬢を引き連れての入室である。深い緑のシンプルなドレスを着た彼女は、栗色の髪をきちっと結っていて生真面目そうである。
彼女は、リズを見るなり完璧な挨拶をした。レオのパートナーだろうか。だとしたら、紹介してくれそうなものだが……。
「……わざわざ来てくださったの?」
ああ、とレオが頷き苦笑を浮かべた。
「ああ、彼女は俺の……いや、うちのハンナだ。レディの寝室に男がひとりで入るのはどうかと思い、同行願った」
ハンナに、リズが挨拶を返す。が、『うちの』なんだろうか。立場が微妙にわからない。恋人ですか、と聞くのもはばかられる気がして、リズは二人を観察することにした。
「シュテファンが不用意に離れたせいでこのドアの前には男が群がっていたからな……すまない。追い払っておいた」
ありがとうございます、と言いながらきょとんとしたリズがレオを見た。
「でもなぜ、レオさまが謝罪をなさるのでしょう?」
あ、いや、と、レオがぽりぽりと頬を掻いた。
「シュテファンと俺は親しい。学友ってやつでね。寄宿舎で同室だったんだ。だからあいつにかわって詫びておこうと思って」
「まぁ、そうでしたか! レオさま、律儀でいらっしゃるのですね」
ふふ、と、リズがひそやかに笑った。その瞬間、レオと、レオの斜め後ろに立っていた令嬢が、同時に目をまん丸にした。
「……ハンナ、見たか……」
レオが、斜め後ろに立ったままのハンナを大げさなほどの勢いで振り返った。ハンナが、こくこくと激しく頷いている。
「はい。花が綻ぶような可憐な笑み、とはあのことでございますね。わたくし、閣下をはじめとした美形は掃いて捨てるほど見ておりますが、間違いなくトップスリーに入る美しさでしょう」
「だろう? あの美貌ゆえいつも男に囲まれているんだが、ちっとも天狗にならない」
「稀有な存在でございますわね」
「羞花閉月、沈魚落雁とはまさに彼女のことだぞ……。あのように美しい女性に好意を寄せられているのに、シュテファンときたら……あいつには、勿体無いような女性なんだよ」
大変な褒めようである。美しいと言われ慣れているリズであるが、ここまで褒めちぎられるとどうにもむず痒い。さすがに恥ずかしくなってくる。赤くなった顔を伏せた。その仕草がまた男をそそる、と、レオがひとりで盛り上がる。
話題をかえないと居た堪れないと思ったリズは、一番知りたいことを尋ねた。
「シュテファンさまはどうなさったのですか?」
そうだよねぇ、気になるよねぇ……と、真顔になったレオが天井を仰いだ。そのレオに、ハンナが紙きれのようなものを手渡す。
「閣下、こちらのお手紙をレディに」
「……渡した方がいいのか?」
「預かってしまった以上は渡さなければなりません」
はぁ、と、レオはため息をついた。
「……ハンナ」
「承知いたしました」
静々と近寄ってきたハンナが、リズの手に紙きれをのせた。
「シュテファンさまからの、言伝にございます」
何が書いてあるのだろう、と、期待と不安が混じって手が震える。レオの反応からして、あまり良い内容ではなさそうではあるが……。
「あ……」
あまりに素っ気ない中身だった。ぱき、と、リズの心に小さなヒビが入った。急激に周囲の色が褪せていく。
急に人と会う用が出来たからこれにて失礼する。
「き、急な御用ならしかたありませんわ……」
だが、レオが、くわっと目を剥いた。
「怪我をしたレディ、しかも、自分に好意を寄せてくれている美貌のレディをほったらかして出かけるとは、どんな用事だ! 信じられないね、まったく!」
リズとて、内心穏やかではない。もちろんリズはシュテファンの恋人でも何でもないから、優先順位は低いだろう。
――でも……!
「シュテファンさま……わたくしのことはあまり……」
あまり、どころかまったく興味がないのだろう。
「わたくしでは――だめなのですね……? 振り向いてくださらない……」
まだまだやれることはある、諦めるのははやい、これからよ! と、思うものの、ぽたぽたと、涙が落ちた。慌てふためくレオを宥めたハンナが、白いハンカチで涙を拭ってくれる。
「リズさま、舞踏会はまだ続いておりますが、いかがなさいますか?」
「う……ど、どうしたら……」
「お怪我なさったことですし、お帰りになってはいかがでしょう」
ハンナが、優しく声を掛けてくれる。
「誰かいるか! レディ・リズの馬車の用意を。人目につかないよう、裏に回してくれ」
レオがどこかに叫び、人がすばやく動く気配がした。
「レオ……あなたは、なにもの……?」
「ん、侯爵家の嫡男だよ。風来坊っていうのかな」
違うわね、と、リズはぼんやり思った。