第十三話 炎獄の魔術師
――西フォークラング大森林
日が沈みきった大森林は不気味なほどに静まり返っている。
昼には、まばらに存在していた動物たちの気配が一匹も感じられない。そのためか、不安を誘うような感覚が、森全体から発している。
だが、その不安を打ち消すかのよう――この森全体に繁殖している “光キノコ” の明かりによって、僅かだが森全体が青緑色に光り輝いて見える。
その幻想的とも呼べる光を頼りに、一台の馬車がガタガタと荒い音を立てながら森の中を突き進んでいた。
「ニコル。何も異常はないな?」
「はい、ユリウスの旦那。今のところ、追っ手の姿はないようです……」
――ニコル・エニアス。
ニコルと呼ばれた馬車を運転している男性。三〇代半ばだろうか、彼の顔には濃いヒゲが生えている。
彼の装備しているシルバープレートによって、体は硬い銀で覆い尽くされていた。
着ている鎧は “騎士” と呼ばれる、国を守る資格を得た者のみに配給されている証でもある。
そして、プレートに描かれている国章は、フォークラング大森林の西に存在する “ルーベル帝国” を象徴するものだ。
そんな、彼の額からは滝のような汗が吹き出ており、ほとんど休憩しないで馬車を走らせているためか、彼の表情には疲労が浮かんでいた。
「そうか……。すまないがこの森を抜けるまでは頑張ってくれ。そこから先は帝国の領土ではないからな、奴らも追ってはこれまい」
「もちろんですよ旦那!それよりも、私のことは大丈夫ですから……リリスお嬢様の心配だけをしてあげて下さい!」
「すまない……ニコル」
ルーベル帝国――三大貴族の一人、ユリウス・フューク・ド・ライル。
またの名を “炎獄の魔術師” と呼ばれる彼の一族は皆、火属性魔法の扱いに長けている。
そんな彼の、魔術師をイメージさせる服装は、赤をメインとした色彩で彩られ、所々に金の刺繍が施されている。高級な毛皮でできている彼のコートは、ヒエラルキーの中でもトップの位置に存在することを証明していた。
彼が首にかけているペンダントの中心には、燃え盛るよう――真っ赤に輝く宝石が埋め込まれている。
彼は今、娘であるリリス・フューク・ド・ライルを連れて、帝国領土から逃げ出すため、馬車を走らせていた。
「……お父様」
「リリス、何も心配することはないぞ。後二時間ほどで、この森を抜けることができる。そうすれば “学術国家 ファロン” の王が、我らを迎え入れてくれるだろう」
リリスと呼ばれた女の子は、まさに貴族のお嬢様を模ったような服装をしている。高級なレース素材で出来たドレスは、父と同じように赤をメインとして彩られている。
黒と赤が混じり合った彼女の髪は、着ているドレスの色と重なり、上品な美しさを放っていた。
そんな彼女を怖がらせまいと、父であるユリウスは、言葉一つ一つに優しさを含んだ表情を込めて伝える。
「……そ、そうですよね。それにお父様がついていますからね!」
「そうだぞリリス! 私は帝国で一番の実力を誇る魔術師だからな」
ユリウスの返答にリリスは笑顔で答える。
そんな和らいだ雰囲気の中、間髪入れずニコルがツッコミを入れた。
「二人とも私を忘れていません!? 確かに実力はトップとは言えないですが、こんなんでも部隊を収めるほどの統率力はあるんですよ?」
「せめて軍団長だったらな……。部隊長程度の実力を誇っていては、騎士王の道は程遠いようだ。所詮、コップの中の嵐にしかすぎんぞ?」
「ははっ! こりゃ手厳しいや!」
三人の笑い声が、馬車の周辺に微かに響き渡る。先ほどまで、重い空気によって支配されていた馬車内――今ではニコルの冗談によって明るい雰囲気が周囲に漂っている。
こんな時、ニコルのお調子者な性格は本当に助かるとユリウスは感じていた。
そんな彼らの時間など気にもかけないように、複数の影が彼らの馬車を人知れずに取り囲む。
僅かに聞こえた大森林の自然音とは違う、人工的な物音にニコルは気づく。
「……ん。今何か変な物音がした気が……」
即座に彼の鋭い目があたりを見回す。帝国大二師団、部隊長としての経験が、彼に不安の警鐘を鳴らす。五感をフルに発揮し、全ての神経を周囲に集中させる。
…………
…………
――おかしい、一切の気配が感じられない?
そんな彼の不安の種を摘むように、馬車の進む方向――100メートル先に黒い影が1つ存在していた。その影は徐々に収束し、人の形を形成していく。
そこには、黒のロングコートで身を包んだ男が一人存在していた。
――暗月の剣 マーシー・アベリウス
ニコルはその男に見覚えがある。彼でなくとも帝国に暮らしている人間なら知らぬ者はいないだろう。
ルーベル帝国――特殊諜報部隊、通称CALNE<カルン>のリーダー。その強さは世界最強とも言われる実力者であり、暗殺や他国へのスパイ行為など、裏の世界では “伝説” とも呼ばれる存在。
彼の体からは、瘴気をあたりに撒き散らすように、全て光を飲み込んでしまうような、暗黒の粒子が周りを漂っていた。
アベリウス――彼に目をつけられ、無事生還した人間はいないと噂されている。
そんな絶望の登場に、ニコルの表情が凍りつく。
だが、一瞬の油断も許されない状況。ニコルは、馬車の中にいる二人にハッキリと聞こえる大声で叫んだ。
「――ヤベェ、旦那! 奴が来た! 早く馬車から逃げて!」
ニコルの言葉が終わると同時に、アベリウスの周辺に漂っている粒子が幾何学的な動きで中を舞う。この世のものとは思えないような、規則性のある動きを見せた粒子は、徐々に形をなし、巨大な刃のような形状となる。
――突如、形状を帯びた粒子は、尾を引きながら馬車めがけて一直線に飛んでいく。
「……ひぃ」
先端が鋭利な刃と化したその物体は、馬車へと衝突する。
馬車を引いている馬と、その馬を操縦していたニコルもろとも、馬車ごと真っ二つに引き裂いた。
衝突の衝撃で四散した粒子は、アベリウスの元へと収束し不気味な動きで空中を漂っている。
<エクス・プロージョン / 大爆発>
――巨大な爆発が起きた。