第十話 ニル・ヒストリア
考えがまとまったのだろう、ニルは瞼を開きロフィスの目を見つめる。彼女の口が開き、透き通った声がロフィスの耳まで届く。
「私はロフィス様の指示により、空中都市アルカナの市街地南方にある噴水前にて待機していました」
(あぁ……。確かNPC達に対してそれぞれの持ち場で待機するようにシステムを利用して呼びかけたんだったな)
「そしてロフィス様が私の前に近づき、そちらの指輪を装着したところ、突如光に飲み込まれ意識を失ってしまったのです」
「そ、そうか……」
ここまで話の内容に矛盾はない。
だが彼女の語る内容全てが真実だということに問題がある。
――彼女の記憶はいつから存在していたのか?
「ところで、ニル。君はいつからの記憶を覚えているんだ?」
「いつから……ですか? もちろんロフィス様が私を世界に召喚してくださった日から記憶はありますが?」
――え?
この世界に来る以前からニルの記憶が存在していた?
AIとして接していたNPCに記憶が存在していたとでもいうのだろうか?
あまりにも現実離れな内容に、ロフィスは再度、額に手を当てて考え込む。ロフィスの体調を心配してか、彼女のクールな外見には似合わない大げさな身振りで反応する。
「ロフィス様!? 」
「い、いや……。少し考え事をしていただけだ」
「そう……でしたか。ですが先ほどから手を頭に当てているご様子。やはり、体調がよろしくないのでは……?」
彼女が口ごもりながらうつむいてしまう。
頬を少し赤らめている彼女は何かを伝えたかったからだろうか? 大きく胸を膨らませ深い深呼吸をしてから話はじめる。
「そ、その……。私の膝枕ではロフィス様を癒すことはできなかったのでしょうか?」
――あぁ、そういうことか。
目が覚め、上半身を起こしたロフィスの後ろに、ニルが膝を曲げて座っていた理由がはっきりとした。
「い、いや! 凄く気持ちがよかったぞ! 女性にされたのは初めてだからな」
(いや待て……。 気持ちいいとかセクハラじゃね?)
誤解を生みかねない発言をしてしまったことに、ロフィスは焦りを感じる。
ニルは頬はさらに熱を持ち真っ赤にはれ上がる。肩は震え、装備しているプレートの擦れる音が辺りに響く。
「あ、いや――気持ちいいというのはだね」
ロフィスが言い訳の言葉でお茶を濁そうとした瞬間。
「あぁ! 我が愛しき方――ロフィス・アーレガルド様の初めてを頂けるとは、なんと光栄なのでしょう!」
(…………え?)
もはや王に従える騎士の風格など、一片の欠片すらない彼女の表情。
ロフィスを見つめるその顔は、愛情に飢えた獣のように、発情した彼女の体からは妖艶な雰囲気を漂わせる。
完全に理性という枷が外れたニルは、馬乗りになる形でロフィスを押し倒す。
急な出来事にロフィスは動転する。少しでも彼女に抵抗するため、両手でニルの肩を抑えることで、彼女の侵攻を防いでいる。
「お、おい! 落ち着け、ニル!」
「この手でロフィス様を触れる日が来るなんて……! 感動で胸の高鳴りが止まりません!」
(ちょっ! キャラ崩壊してない!?)
NPCの性格を設定する機能は存在しない。自分の脳内で描いていたニル・ヒストリアという女性の姿、それは気高い騎士のような物を想像していた。
――がその妄想は、目の前で興奮している彼女によって打ち消される。
「いい加減目を覚ませ!」
「あぁ……! なんと愛おしいのでしょう……。 ロフィス様の初めてを奪ってしまったのです。代わりに私の初めてを奪っていただけますでしょうか?」
(――ッ! だめだこいつーー!)
いくら女性に免疫がないとはいえ、急に上乗りに股がられ、今にも自分を襲おうとするニルに対し、興奮よりも身の危険を感じる。
――プチン
「いい加減にしろーーーーー!」
突如、空中に文字が一つ浮かび上がる。 浮かび上がった文字は消える――それは詠唱の始まりを告げるものだった。