勇気が出た
夜が来た。地下から上がると、寒風吹きすさび、雨あがりの匂いが鼻についた。往来は寂れていて、人はまばらだ。昔なら、ゴミの匂いが混じった、繁華街独特の夜の臭気になったものだが、今ではもう、あの頃の匂いを運ぶ風はどこにも吹かない。雨上がりの匂いさえも、薄まって消えて行く様な気さえする。俺がこの街で沈んでいる間に、あまりにも時間が経ちすぎて、何もかもが変わった。俺だってもう昔の俺とは違ってしまっている。
前の俺は、亜希子とナギサの生き血を啜って生きていたゴミの様な男だった。だが今は違う。亜希子、ナギサから離れた俺は、何の憂いもなく瑠美架と一緒にいられる俺になろうとしている。だが、夜の臭気が俺の中から完全に消えることはないかもしれない。仕事をするにしても、結局はこの街にいるままなのだから。だが、俺はきっとこれからも変わって行ける。瑠美架がいてくれるならば、それだけで幸せだ。思えば、俺の人生で幸せをかんじる瞬間は、瑠美架の存在を噛み締めている時だけだ。瑠美架にとっての俺はきっと、運命の相手なんかじゃない。だが俺にとっての瑠美架は、運命の相手に決まってる。だからこそ、幸せにしないといけない。
新しい職場となるビルの前で空を見上げると、白い月が俺を見ていた。少しの間、月を見ていると、すぐそこにあるエレベーターが開いた。中は無人で、足早に俺が乗ると、上の階のボタンが全部押されていた。繁華街も俺も変わって行くが、しょうもないイタズラは変わらず夜に存在してる。二階で止まったエレベーターのドアが開くと、そこには真新しい店があった。開店前で真っ暗だ。そのままエレベーターに乗っているとドアが閉まり、三階にもやはり止まる。ドアが開くとそこは事務所で、奥にオーナーがいるのが見えた。そしてその傍らに金髪の男が一人。エレベーターを降りて近づくと、男がこっちを見て、ヘラヘラとした、嫌な笑顔を見せた。年齢は俺より少し年下か。顔は割と整っているが、とにかく笑顔が癪に障る。服装も何だか気に入らない。丈の長い黒い薄手のコートに、下は黒のワイドパンツで、スニーカーのかかとを履き潰している。何だか俺はこの男を知っている気がした。
「お前……?」
「お久し振りですねぇ、兄さぁん」
声を聞いた瞬間、昔の顔がダブって見えた。この男は、ホスト時代の後輩、勇気だ。昔に比べて肌の透明感はなくなったが、女に好かれる顔立ちは健在で、一応華はあった。俺はこいつに何かされた訳じゃあないし、後ろめたいこともないが、苦笑いしか出て来ない。下劣な品性が服を着て歩いてる様な奴だったし、空気を読めない奴だったが、幾分成長したらしく、「あれ?俺がいると微妙でした? じゃあ、俺はこれで~……」とか何とか言いながら、するりとエレベーターに滑り込んで、いなくなってしまった。




