繁華街の記憶
二つ返事で引き抜きの話に乗った俺は、所属していた店をさっさと後にして、別の店に移った。思えば、俺の同期は誰も生き残っていなかった。それが未練なく店を移れた一因であったのだと、今になると思う。面倒を見ていた後輩も何人もいたが、足を引っ張られたくない俺は、新しい店にあいつらを連れては行かなかった。それは、店を辞める俺なりの、店への筋の通し方でもあったし、少し寂しいことだが、兄さんと俺の様な絆を、俺と後輩の間にはかんじられなかったからでもあった。俺は力不足のあいつらを信頼していなかったし、だからこそ、特に可愛がった記憶もない。お荷物だとしか思っていなかったのだ。
とはいえ、人間的には面白い奴らもいないではなかった。俺を兄さんと呼んだ奴らの中で印象深いのは、桐人、海、勇気の三人。全員、歳は俺と同じだったはずだ。同じ歳だからこそ、印象深い部分もあったのだろうか。桐人は背が高く、髪が傷んで、やたらゴワゴワしていたのを覚えている。元ヤンで、眉がほとんどなかったのが傑作で、俺はあいつの髪と眉をイジるのが嫌いじゃなかった。あいつと俺は、俺の地元の先輩が共通の知人で、お陰で俺は、あいつの入店を事前に知っていた。だからどうということでもないが、俺があいつを覚えている理由の一つではある気がする。
次に海。あいつは細目にタラコ唇で、毛先だけ妙にすいたダサい長髪だった。およそ一般人が想像するホストの風貌ではない。気の利いた話題も持たず、面白味もなくて、ホストとしての大成はないと思ったし、実際、いつになっても何の素質も見せなかった。今もあまり変わらないだろう。面白味のなさが、ある意味、逆に面白い奴だった。
最後は勇気。勇気は少年アイドルの様な容姿で、多分、一般人が想像するホストのイメージにかなり近かったはずだ。前の二人と並ぶと断然目はひいた。あいつは見た目はよかったが、ギャンブル狂いでどうしようもない借金野郎だった。品性も下劣で、下ネタばかり言っている奴だったという印象しかない。あいつの中身は、負け組のオッサンをギュッと搾った果汁100%といった風で、あの頃は割と不快だった。今の俺ならば、オッサンの年齢になったことだし、死んだ様に生きているから、あいつの負け組オッサンメンタルに、どこかでシンパシーをかんじることもあるかもしれない。だが、競馬も競艇もやらない俺は、そもそもあいつと合う部分がないので、会えばまた不快な気持ちにしかならないだろうとも思う。勇気だけではない。桐人にも海にも、俺は会いたいとは思わない。あいつらに愛着も興味もない。印象深いあいつらにさえ、こう思うのだ。他の奴らには、もっと薄い感情しかないのではないだろうか。
こんなことを思いながら歩く俺は、繁華街の大通りに差し掛かっていた。吹きっさらしのゲームセンターの向かいには、昔は喫茶店があったが、今はもうない。だがその前の歩道には、見知った顔がある。昔からいる、客引きのオッサンだ。俺は反対側の歩道、つまり、ゲームセンターの前を歩いていたのだが、あちら側へと渡る。まだ閑散としている車道は、左右確認などしなくても容易に渡れる。少し先を警官が歩いているが、車道を横断する俺を注意する様子はない。繁華街の警官はこういうものだ。俺も警官を気にしない。オッサンも同じくだ。そして俺とオッサンの目が合った。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
俺が言うのが早いのか、向こうが言うのが早いのか。俺たちはどちらともなく、繁華街の住人ならではの、少し疲れた愛想笑いをお互いに向けた。オッサンは、ハゲでチビでデブ。俺がペーペーの頃にはもうここに立って呼び込みをしていたから、俺が知るだけでも十年以上ここにいる。だが俺は、このオッサンがどこの店の客引きなのか知らないし、オッサンも、俺がどこの店の誰だったのかは知らない。ただ、今は俺の女の店で、時折顔を合わせる仲だ。