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破滅の改変者  作者: 篤
9/23

屋敷での日々②

 



 

  日が変わり、昨日と同様に修練より始まる一日。

 アレクにとっては、護衛として屋敷で働く最初の日であった。もっとも「護衛」と呼ぶには程遠い、本日の任務の中身は——


 コン、コン。


 豪奢で重厚な扉をノックする。直後、部屋の中からドタバタと駆け回る足音が響き、「だからテリア!そんなに走らないの!」という声が追いかけてくる。そして——


 バタン。


 勢いよく開け放たれた扉の奥から、茶髪を揺らすポニーテールの幼女が顔を覗かせた。


 「もうっ、遅いよアレ兄! 早く一緒に遊ぼ!」


 アルディの孫娘、テリア。その遊び相手が、今日のアレクに課せられた“任務”であった。


 


****************************


 


 「アレ兄! アレ兄! この本読んで!」


 これまでに昔話やおとぎ話、荒唐無稽な物語まで幾つも聞かせたが、どうやら聞くだけでは飽き足らなくなったらしい。彼女は小さな手で絵本を抱え、アレクに押しつけてくる。


 かくして、アレクは彼女の“任務”を遂行していた。

 情報収集や戦闘訓練と比べれば遥かに負荷は小さい。だが、いかに軽微な任務であろうと、命じられた以上は遂行すべきだろう。

 加えて、アルディの孫娘と親しくなれば、屋敷内での信用も一段と厚くなる。


 ——とはいえ、解放の時間はすでに交渉済みである。

 それまでは、全力で“小さな姫”の相手を務めるまでだ。


 「そこで、心根の優しい男の子は言いました。『そんなことばかりしていると、誰も君のことを見てくれなくなるよ』——と。

 その通り、クロンガには最後まで一人の友達もできませんでした」


 “クロンガ”とは、古くより語り継がれる伝説の魔獣の名である。

 人語を解し、高い知能を持つとされるが、実在の有無は未だ定かでない。

 絵本の中では、蠍の頭部に虎の胴体、蛇の脚、蠍の毒尾と、まるでキメラのような姿に描かれていた。


 ——だがアレクは知っている。この魔獣は実在する。


 かつて彼がいた“滅びた世界”の記録には、確かにその生態が記されていた。

 明確な時期は不明だが、いずれ相まみえることになるだろう。


 「うんうん、その男の子の言う通りだよ! そんなことしてたら嫌われるのは当然だよ! ねぇねぇ、次はこれ読んで!」


 一冊を読み終えるや否や、テリアは本棚から次の絵本を取り出し、アレクに差し出してきた。

 その無垢な笑顔に、アレクは深く息を飲み、心中でだけため息をついてから、二冊目の表紙を開いた。


 


****************************


 


 スースー……。


 予定よりも早く訪れた静寂に、アレクは息を吐いた。

 眠るテリアの顔を見下ろしながら、ようやく訪れた解放の時に安堵する。


 「今日はテリアの相手をしてくださってありがとうございます。あの子、お転婆すぎてお疲れになったでしょう?」


 傍らから柔らかく響く声。

 テリアの母、ティーネである。

 先程から遠巻きに娘とアレクの様子を見守っていた彼女が、品のある微笑を浮かべて言葉をかけてきた。


 「いえ……まぁ、確かに元気が良すぎるとは思いますが」


 気遣いに応じようと一度は否定しかけたが、ティーネの見透かすような瞳に観念し、素直に本音を漏らした。


 「ふふ、確かに元気すぎますよね」


 そう言って、ティーネは上品に口元を隠して笑った。

 アレクは、その笑顔の意味が読めず、ただ黙って見返す。

 彼女もそれに気づいたのか、照れたように頬を紅潮させて言葉を続けた。


 「突然笑ってすみません。テリアがあんなに楽しそうにしているのを見たのは、久しぶりでしたので……」


 「……そうですか」


 それ以上の言葉は出なかった。

 本音を言えば、これ以上関わりたくなかった。

 しかし、ティーネはまるで思い出を語るように遠くを見つめながら、なおも言葉を紡ぐ。


 「テリアの父は、昨年亡くなりました。……父のアルディから聞いておられますよね?」


 アレクは頷いた。

 確かに、昨年の秋頃、ティーネの夫が他界したことはアルディの口から聞いていた。

 死因も詳細も語られなかったが、アルディの語り口から察するに、誠実で信頼できる人物だったのだろう。


 「だから、あの子……アレクさんのことを父親のように思っているのかもしれません。助けていただいたあの日から、ずっと『アレクさんはカッコイイ!』と目を輝かせて言ってましたよ」


 「……そうですか」


 ——そうか、だから懐かれていたのか。


 純粋無垢な少女が、命を救ってくれた人物に憧れを抱くのは自然なことだ。

 だが——その生い立ちを思えば、アレクの心には微かな痛みが走った。


 「……いえ、あの……兄のような存在、という意味ですから!」


 ティーネが慌てて両手を振る。

 アレクの沈黙を、誤った意味に捉えたのだろう。


 「ふふっ、『アレ兄』って呼ばれてましたものね」


 ——言及してほしくなかった。


 まだその呼称には違和感がある。

 だが、今は流すしかない。


 「アレクさん。テリアは可哀想な子です。……ですから、これからも、時間のあるときで構いませんので、彼女と遊んであげてください」


 そう言って、ティーネは深く頭を下げた。

 その声音には、母としての切なる願いがこもっていた。




****************************







 ——さて、早めに解放されたことだし、予定より多少早いが問題はないだろう。そろそろ、例の品を受け取りに向かうとしよう。


 アレクは心中でやるべき事を明確にし、黙然と廊下を歩む。と、不意に前方から一人のメイドが現れた。波打つ藍色の髪を耳にかけ、礼儀正しく腰を折って一礼するその女性は、お淑やかな微笑を浮かべてアレクに言葉をかけた。


 「こんにちは、アレクさん。テリアお嬢様のお相手は、もうお済みですか?」


 「メイテルか。ああ、大丈夫だ。お嬢様は可愛らしい寝顔でお休み中だ」


 彼女の名はメイテル。柔らかな物腰と裏表のない優しさを持つ、気配りの利く有能なメイドである。琥珀色の瞳とすらりとした長身、整った容姿も相まって、屋敷内では一目置かれる存在でもあった。


 「こんにちはアレクさーん!って……メ、メイ姉?」


 突如、背後からフィアラが駆け寄り、アレクの右腕に抱きついてくる。だが、メイテルの姿を目にした瞬間、ぎこちなく腕を離し、気まずげに距離を取った。


 計算高く、表面を取り繕うことに長けたフィアラと、飾らぬ自然体のメイテルとは、ある意味で対照的な存在である。


 「フィアラ……あなた、アレクさんの前ではそんな態度を取るのね」


 「べ、別にいいじゃない!これは感謝の気持ちを行動で示してるだけなんだから!」


 メイテルの呆れ混じりの声に、フィアラは顔を真っ赤にして言い返す。


 「あ、いえ、これは……えっと……」


 アレクの視線を受け、さらに視線を逸らしつつ小さく誤魔化そうとする彼女に、アレクは一言、柔らかく声をかけた。


 「フィアラの感謝、ありがたく受け取っておく」


 「は……はい……」


 フィアラは赤面しながらも、指先をもじもじと組み合わせ、視線を下げた。


 アレクはその様子を横目に見つつ、ふと思い出した疑問を口にした。


 「ところで、フィアラはグロードの教育係だったはずだ。今は小休止中なのか?」


 「いえいえ、あれには適当にノルマを与えてやらせてますよ!最近は聞き分けも良くなってきたので助かってます!」


 つい先ほどまで恥じらっていたかと思えば、すぐさま調子を戻すあたり、実に切り替えが早い。


 「ちょっと待ちなさい、フィアラ。つまりあなたは、グロードさんを放置しているということね……?」


 「あ、やば……メイ姉がいたの忘れて——んぐっ!」


 慌てて口元を押さえたが、時すでに遅し。口を突いて出た言葉は取り返しがつかない。


 フィアラは怯えたようにメイテルを見上げた。背の高い彼女を自然と見上げる形となるが、そのメイテルの肩が小さく震えていた。


 「『忘れてた』では済まされません。……さっさと仕事に戻りなさい!」


 「は、はぃぃぃいっ!」


 叱責を受けたフィアラは慌てて駆け出していき、アレクは黙して、あさっての方向を眺めながら己の関与を回避していた。


 * * * * * * *


 「見苦しいところをお見せしてしまいました」


 「いや、賑やかでいいと思う」


 アレクは軽く言葉を返しつつ、先程の一幕を思い返していた。あのフィアラにも、抑えの利く天敵がいたとは少しばかり意外だった。


 それを踏まえつつ、彼は以前から気になっていたことをメイテルに問う。


 「一つ、気になっていたのだが……俺の前ではフィアラは愛想よく振る舞っている。しかし、それ以外の表情を俺は見たことがない。グロードに向ける冷淡な態度も、あれが素顔の一端ではあるのだろうが……それだけではないような気がしている。彼女は、普段どのような人物なのか?」


 メイテルは一瞬驚いたように目を見開き、次いで、ふっと笑みを浮かべたかと思えば、顎に指を添え、少しの沈黙を挟んでから口を開いた。


 「そうですね……先ほど、アレクさんは『逞しい神経』と仰っていましたが、ああ見えてフィアラはとても繊細な子なのです」


 「繊細……?正直、そうは見えないな」


 アレクの目には、フィアラはグリッドを巧みに翻弄する強かな少女としか映っていなかった。


 「傷つくのが怖くて、それを表に出さないだけです。……おそらく、アレクさんとの関わりが深まれば、いずれご自身でお気づきになるかと」


 メイテルは小さく苦笑しながらも、どこか嬉しげにそう告げた。


 「メイテル、なんだか嬉しそうだな」


 「ええ……。ですが、私の口から言えることは限られています。ですから、アレクさんがフィアラに関心を持ってくださることが、私にとっても嬉しいのです」


 「そうか」


 アレクは静かに頷く。


 フィアラに秘められた事情——彼女が素性を隠していること。それが何であるかは未だ定かではないが、いずれ明らかになるのだろう。


 だが、今はまだ関係を築き始めたばかり。「他人」としての距離を保つべき段階であるし、アレク自身も、進んで踏み込むつもりはない。ただ、気になった。それだけだ。


 その思考の余韻を残しつつ、メイテルが一礼する。


 「アレクさん、これからもあの子のことを、よろしくお願いいたしますね」


 その声音には、どこか強い願いが滲んでいた。

 

 






****************************





 



 ——いるとすれば、アルディの書斎の近くか。


 そう見定めたアレクは屋敷内を進み、程なくしてその扉の前へと辿り着いた。廊下を一瞥して周囲を窺うも、人影は見当たらない。


 ——いや。


 ガチャリ、と間の良い音が鳴る。アルディの書斎から二つ隣の扉が開かれ、そこから姿を現したのは、三十代ほどの銀髪銀瞳の男であった。


 「お待ちしておりました、アレク殿」


 柔和な声が静かに響く。年若き執事——フォーテン。その声音は包み込むような穏やかさを持ち、安堵を誘う一方で、ひとたび瞳を細めると、剣呑な気配を纏う。その落差こそ、彼の持つ特異性であり、油断ならぬ人物であることを強く印象付ける。


 今もアレクの抑えられた気配を正確に察知し、扉を開けて現れた。常日頃から気配を隠す訓練を積んでいるアレクですら、それを感知するのは容易ではない。それを難なくこなすあたり、この屋敷の中でも彼の戦闘力は群を抜いていると見ていい。


 むろん、なぜこのような人物が盗賊団からアルディを救わなかったのか、という疑問もある。しかし一応の説明は受けていた。アルディの娘と孫——すなわちティーネとテリアが人質に取られていたという。屋敷内に裏切り者がいたために、最も守るべき者が人質となり、屋敷の者たちも動けなかったのだ。


 つまりこの屋敷の者たちは皆、戦えない訳ではない。ただ、動けなかった。中でもフォーテンの力量は別格である——そうアレクは確信していた。


 「どうぞ、こちらへ」


 フォーテンの案内に従い、アレクは初めて足を踏み入れる部屋へ入る。


 そこは物が雑然と置かれた、生活感のない殺風景な空間であった。家具らしい家具は見当たらず、部屋の隅には雑巾とモップが無造作に掛けられている。埃も汚れもなく、清掃が行き届いていることから、つい先ほどまで彼が掃除していたのであろう。


 その中でアレクの視線が自然と向いたのは、部屋の中央に置かれたテーブル。そこには二つの大袋と一つの中袋が整然と並んでいた。


 ——間違いない、あれが約束の品だ。


 「はい、アレク殿がご覧になっているそれでございます」


 まるで内心を読んだかのようなタイミングで、フォーテンが穏やかに頷く。思わず眉をひそめつつ、アレクはゆっくりと袋のもとへ歩を進めた。


 「では、ご確認ください」


 確認の許可を問う間もなく、既に促されていた。


 アレクは一つずつ袋の口を開け、中身を丁寧に検めた。注文通りの品であり、安全調整も問題ない。内容に満足したアレクは袋の口を締め、フォーテンに向き直る。


 「感謝する、フォーテンさん」


 「いえ、私はただお預かりしただけでございます。お礼は当主様へお申し付けください」


 フォーテンは謙虚に首を振りつつ、腰を折った。


 「いずれにせよ、こうして順調に事が運ぶのはありがたいことだ。改めて礼を言う」


 そう言って穏やかに微笑むアレクだったが、もう一つ頼むべき事柄があった。


 「これを明日まで、この部屋で保管してもらえるか?」


 この袋の中身を実際に用いるのは一週間後。その時まで必要ないゆえ、余裕を持って用意したに過ぎない。


 「かしこまりました」


 フォーテンは恭しく応じ、深く礼をした。


 「では、よろしく頼む」


 アレクも軽く頭を下げ、静かに部屋を後にした。


 


 夕刻。テリアの相手役を務め終え、夕食と入浴(無邪気な誘いは断った)を済ませた後、アレクは机に向かった。現代知識の補填はなお不十分であるため、魔石の灯りを頼りに遅くまで書を読む。


 二冊と半ばほどを読み終えたところで、強烈な眠気が襲ってくる。


 それに抗うことなくベッドに身を横たえたアレクは、今宵もまた、何も考える間もなく深い眠りへと沈んでいった。

 

 


 


 







 


 







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