大富豪救出作戦②
「人質を解放したのは俺だ。居場所を知りたければ、俺を倒してみろ」
草むらから一人の男が飛び出した。両手に握られた二本の剣が、陽光を反射して鋭く光る。
その姿を認めたバスカ・ヴァイグは、苛立ちを押し殺しながらも、低く唸るように問いかけた。
「……人質を隠したのはお前か。アルディも、だとすれば……お前、何者だ?」
男は冷ややかに答えた。
「俺が何者かなど、教える義理はない。それよりも、これだけ周到に襲撃を仕掛けてきたお前たちこそ、ただの賊ではないだろう。俺は、お前たちの正体を知りたい」
バスカは無言で応じた。
「……どちらが何者かなど、力づくで答えさせれば済む話だ」
そう言い放つと、バスカは部下たちに命じた。
「お前ら、やっちまえ!」
「おおお!」
号令とともに、九人の兵が一斉に男へと襲いかかる。
二人の兵が前後から挟み撃ちを仕掛ける。
男は左へと身を翻すが、兵たちは軌道を修正し、追撃した。
金属音が響き渡る。男の双剣が、迫り来る斬撃を受け止める。
しかし、その背後から三人目の兵が襲いかかった。
「くっ!」
男は苦しげな声を上げながらも、鍔迫り合いの状態を脱し、右へと身を投げ出して避ける。
だが、その先にも新手の兵が待ち構えていた。男は咄嗟に左手の剣で受け止める。
ここまで防がれるとは、予想外だった。
しかし、これで体勢を崩した。九人の兵が一斉に斬撃を放つ。
だが、男は双剣を巧みに操り、多くの斬撃をいなし、回避不能な攻撃は最小限の傷で凌いでいた。
「はぁ……はぁ……」
男は肩で息をし、身体には五つ以上の傷が刻まれていた。
「ちょいと驚いたもんだが、これで終わりだな」
バスカは再び部下たちに命じた。
「挟み撃ちだ!」
男は再び左へと逃れる。
しかし、その動きに違和感を覚えたバスカは、男の左手の剣が逆手に持ち替えられていることに気づく。
「なんで、片方逆手なんだ?」
その疑問が脳裏をよぎった瞬間、男は逆手に持った左手の剣を投擲し、一人の兵の腹に突き刺した。
同時に、右手の剣で迫り来る斬撃を迎え撃つ。
さらに、空いた左手で四本のナイフを取り出し、四人の兵の頭部に正確に投擲した。
「なっ……」 
バスカは言葉を失った。
五人の兵が瞬時に倒れ、動揺が広がる。
男は右手の剣で近くの兵を斬り飛ばし、再び逆手に持ち替えて投擲。
さらに、両手でナイフを八本取り出し、投擲する。
「ナイフを投げさせるな!」
バスカは斧を構え、守りの態勢に入る。
十本のナイフが放たれ、バスカは三本を防ぎ、他の三人の兵は手足を負傷し、戦闘不能に陥った。
「……そんな分析しても無意味ではあるが、当たってるとだけ言っておこう。それよりも後はお前一人だな」
男は冷静に答え、双剣を構える。
バスカは怒りを露わにし、斧を手に男へと突進した。
「はぁぁぁぁ!!」
「がぁぁぁぁぁ!!」
裂帛の気合いが交錯し、二人の戦士が激突する。
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実際のところ、アレク一人でも方向感覚を頼りに走れば、アルディとその執事フォーテンを助けるには十分間に合っていた。
だが、それは“彼らを助けるタイミング”に間に合うという意味であって、人質まで救うことは叶わなかっただろう。
今回の目的を果たすために最も守るべきは、その“駒”——すなわち、アルディの娘と孫、そして使用人たちだった。彼らが賊に押さえられている状態は、いわば盤面が詰んでいるに等しい。
だからこそ、アレクはグリッドを案内役に据え、一刻も早く邸へとたどり着き、人質を先に解放する必要があった。
もちろん、私有地に侵入するには気配を悟られないようにしなければならない。だがその点は問題なかった。すでに隠密行動に必要な道具はすべて用意してあったのだ。
——「人質を解放したのは俺だ。場所を知りたければ、俺を倒してみろ」
盤面を有利に整えさえすれば、後は賊の掃討に集中するだけでいい。初めて強気な啖呵を切り、正面から力を振るう態勢が整った。
ただし、『迷いの森』で遭遇した賊とは違い、今回の敵は格が違った。数こそ少なかったが、それ以外はまったく異質だった。
武器の手入れは行き届き、統率は取れており、個々の剣技も優れている。中でも厄介だったのが、息もつかせぬ波状攻撃を生み出す緻密な連携の妙——それは、単なる野盗ではなく、訓練を積んだ別種の戦闘集団を思わせるほどだった。
しかし、この手の連携は一点が崩れれば瓦解するという脆さを持つ。アレクには、それを見抜き、崩す技術があった。血のにじむ鍛錬の日々は、決して無駄ではなかった。
——「後は、お前ひとりだな」
十一人いた敵のうち、アレクは七人を仕留め、三人を戦闘不能に追いやった。残るはただ一人——あの集団のリーダー格である男。
「……てめえ、よくもやってくれたな。絶対に許さねえ。生け捕りにして、拷問して、八つ裂きにしてやる」
その男の危険性は、戦闘前から察していた。肉食獣のような双眸、空気すら刺す殺気。両手に構えた二丁の斧は、異様なほど彼の体に馴染んでいた。
斧はどちらも上下の刃が鋭く尖り、黒い刀身がまるで殺意そのもののように鈍く光っている。柄もまた特異な素材で作られており、木ではない何か——得体の知れない黒光りする物質だった。
彼は激昂していた。だが、それでも冷静さを失わない。アレクの戦いぶりから慎重に、そして理知的に分析を続けているようだった。
明らかに、修羅場をいくつも潜り抜けてきた猛者だ。その立ち居振る舞い、その間合いの取り方、どれを取っても隙がない。
——一筋縄ではいかない相手だが、やるしかない。
できれば戦闘は避けたいところだったが、ここまで来ればもう選択肢はない。全力を尽くして倒すのみだ。最悪、殺してしまっても構わない。まだ三人、賊は残っている。手加減など必要ない。
「はぁぁぁぁ!!」
「がぁぁぁぁぁ!!」
交錯する気合いが空気を震わせる。アレクは両手に握った二本の剣を掲げ、最後の壁へと挑みかかった——。
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刹那、二人の間の距離が爆ぜた。
轟音のような足音と共に地面が揺れ、疾風の如く飛び出したのはバスカ。両手に構えた斧が唸りを上げ、重さと鋭さを兼ね備えた刃が、斜め上から振り下ろされる。
「ッ!」
アレクは一歩も退かず、両の剣を交差させてその斬撃を受け止めた。
だが、重い。
全身にのしかかる圧力に、靴の裏が土を抉り、剣が唸るように軋む。
「はああああっ!」
バスカはそのまま力任せに二撃、三撃と斧を打ちつけてくる。
斧が交互に振り下ろされる度に、剣が悲鳴をあげ、アレクの体が軋む。
だが、ただ耐えるだけではない。
アレクはその合間に細かなステップで間合いを調整し、斬撃の軌道を斜めに逸らすように受け流していた。
身体強化によって尋常でない威力となっていた斧撃は受け流さなければ腕ごと粉砕されてしまうだろう。
「ぬうっ!」
バスカの額に汗が滲む。全力の一撃を何度も浴びせているというのに、アレクはまるで芯を折らせないまま防ぎきった。
その柔軟さと冷静さ、そして……確かな技量にバルガの苛立ちが募る。
「なら——ッ!」
斧の一つを投げた。
空を裂くように回転する刃が唸りを上げ、アレクの左肩めがけて迫る。
アレクは即座に左の剣で弾こうとするが、それを読んだバスカが、もう一方の斧を低い軌道で踏み込みながら突き出してきた。
「チッ!」
アレクは剣をクロスさせ、反射的に二つの刃の動きを止める。だがバスカの巨体が勢いのまま押し寄せてきた。
その膂力に、アレクの足が浮き、数メートル後方に吹き飛ばされる。
「ぐ……っ」
土煙を上げて地面に背中を打ちつけたが、アレクは即座に転がって体勢を整え、息を乱すことなく立ち上がる。
「まだかよ……まだ立つのかよ、てめえは!」
バスカは斧を拾い直しながら吼えた。だがその瞳には恐れすら宿り始めている。
アレクは深く息を吸い、剣を逆手に持ち替えた。
その構えは、迷いの森で見せたものと酷似している。
だが今は、それ以上だ。
「……俺は、ここで負けられない」
その言葉と共に、空気が変わった。
呼吸が深くなり、筋肉が研ぎ澄まされる。
その場の重力すら変化したかのような圧力に、バスカの背筋がわずかに震えた。
「来いよォッ!!」
応じるようにアレクが地を蹴った。
——瞬間、視界から消えた。
「な——がッ!!?」
バスカの腹部に一撃が突き刺さる。
避けようとした時には既に斬られていた。剣が骨の手前で止まり、激痛が走る。
怒号を上げながら反撃の斧を振るうが、アレクはその斬撃の中を潜り抜け、今度は背後から斬り裂いた。
「ぐおおおおッ!!」
バスカの叫びがアラディ邸に響く。
血が舞い、斧が地に叩きつけられる。
その刹那、アレクは間合いを取り、宙を斬るように構え直した。
「……終わりだ」
踏み込む一歩目が地を砕き、二歩目が風を切り、三歩目で——
「やめろォォォォ!!」
絶叫するバスカの瞳が、恐怖に染まる。
しかしアレクの剣は、その声に一切の揺らぎを見せず、一直線に首筋をめがけて振り下ろされた。
斬撃が空を裂き、火花が走る。
そして——
刃がバスカの頸動脈を掻き切り、盛大な赤を飛沫させた。
「これでまた一つ目的に近付いたな」
アレクの目は冷たかった。
勝者の瞳ではなく、目的のためだけに命を秤にかける者の目だった。
アレクは剣を納め、静かに呼吸を整えると遠くに潜ませておいたグリッドへ合図を送り、
ーー力を制限されている不安はあったが、なんとか最初の目的は達成できたな……。
一人内心で呟いた。