表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
破滅の改変者  作者: 篤
16/22

通り魔事件 ①

 夜が更けはじめたクローデンの石畳には、徐々に冷たい気配が満ちていた。

 王都の南端に位置するこの街は、長らく平穏と繁栄の象徴とされてきたが、今宵ばかりは様子が違った。

 宵闇に灯る路地のランタンは、揺らぐ炎をたたえて石壁を照らしていたが、その影は妙に長く、形をなさず、まるで意思を持つかのように揺れていた。


 その夜、最初に悲鳴が上がったのは港区の外れだった。

 水辺に近いその一角は、昼は荷揚げで賑わうが、夜には人通りも減り、静まりかえる。

 叫び声を聞いて駆けつけた見回りの衛兵が見たのは、倒れ伏した中年商人の姿だった。

 胸元には、一直線に走る鋭い裂傷。だが不思議なことに、衣の裂け目は浅く、皮膚と肉だけが断ち切られていた。

 しかも斬られた当人は、誰に襲われたのかも、どこから切られたのかも覚えていなかったという。


「気づいたときには、ただ――冷たいものが横を通ったような……」


 彼はそう言い残し、目を閉じた。意識は深く沈み、しばらく戻らなかった。


 現場には血の跡も、斬撃の余波も残されていなかった。

 瓦礫も騒ぎも起きず、まるで“何もなかった”かのように静寂が支配していた。

 だが、それがかえって衛兵たちを底知れぬ不安に誘った。

「この街で何かがおかしい」――そんな直感が、誰の胸にもこびりついて離れなかった。


 それからほどなくして、今度は織物職人の家の前で、第二の被害者が発見される。

 男は玄関先に倒れており、やはり胸元に裂傷。

 周囲に争った形跡はなく、玄関扉には何の損傷もない。

 ただ一つ、家の壁に沿って走る低い風切り音が、どこか異様な空気を漂わせていた。

 被害者が口にした言葉は、先ほどの商人と酷似していた。


「一瞬、冷たい光が……横切った……気がした……」


 だがその直後、彼もまた昏倒した。

 医師たちが診察にあたったが、傷口には焼けも痛みもなく、神経さえ麻痺したような状態で、目を醒ましたあとも記憶は曖昧なままだった。

 唯一、治療に当たった医師がぽつりと漏らした言葉だけが残る。


「これは……斬ったのではない。何かが、肉と骨を“選り分けて裂いた”ようだ」


 そう言って、震える手でメスを置いた。


 深夜零時を過ぎたころ、街路樹の並ぶ中央大通りで異変が起きる。

 冷え込んだ石畳を歩いていた衛兵が、ふと耳に違和感を覚えた。

 どこかで――風鈴のような、透き通る音が鳴っている。


 金属同士が微かに触れ合うような高音。

 しかし、その音を追って耳を澄ませば澄ますほど、鼓膜の奥が軋み、不快なざらつきがじわじわと広がっていく。

 それはまるで、音ではなく「神経に直接触れる刃」のようだった。


 その直後――


 大通りの石壁に、一直線の裂け目が走った。

 斜めに、鋭く、美しいほどに滑らかな斬痕。

 石片が音もなく崩れ落ち、砕けた破片が夜風にさらわれていった。

 だが、その斬撃を振るった者の姿は、誰一人として目撃していなかった。


 ――影も、気配も、足音すら残さず。

 ただ、裂け目だけをこの世界に刻んで去っていく。


 それはまるで、風が通り過ぎただけのような、あまりにも静かな殺意。

 だが確かに、そこには意志があった。

 誰かが選んで、誰かを傷つけているという事実だけが、否応なしに街を侵食していく。


 以来、夜ごとに場所を変え、標的を選ばず、ただ裂け目だけを残して姿を消す。

 獲物は商人、職人、衛兵と多岐にわたり、そこに一貫した動機は見出せなかった。

 唯一通底するのは、見えないという恐怖のみ。


 やがて、港の酒場や裏通りの賭場、路地の屋台まで――

 誰ともなく噂が広がり始めた。


「見えざる殺人者が、夜の街を徘徊している」


 誰もその姿を見ていない。

 だが、その通ったあとは確かに存在する。

 薄く裂かれた壁、切り落とされた紙幣の端、音もなく倒れた人々。

 すべてが、その何かの存在を否応なく物語っていた。


 ウォーディア討伐の報を受けて、街にようやく安堵が広がり始めた矢先だった。

 ほっと胸をなでおろした民たちに、新たな不安が忍び寄る。


 それは、凍える夜風の隙間から囁かれていた。

「――次の災厄はもう、扉の向こうで刃を磨いているのだ」と。












 王都から正式な事件概要が届くよりも早く──

 商都クローデンの丘陵に建つ領主館では、すでに深夜の灯が消えぬまま慌ただしい応接が進んでいた。


 古い石造りの回廊を抜け、重厚なオーク扉が開かれる。

 そこへ足を踏み入れたのは、《王国の盾》の二つ名で知られる近衛騎士・ブロウと、王室治安院所属の高官。

 ブロウは鍛え抜かれた体躯に紋入りの胸甲をまとい、腰に制式長剣を佩く。高官は深い藍の礼服に巻物と封蝋を携え、書記官を伴っていた。


 迎えたのは、この街の若き領主、アルディ・リューネ。

 彼は夜会用の外套を急ぎ羽織り、大理石の床に杖を鳴らして一礼した。

 そしてすぐに、もう一人の来客を同席させる。


 黒髪の青年――アレク。

 肩口まで伸びた艶のない髪を無造作に束ね、質素な上衣の下に革鎧をしのばせている。

 書面上の肩書きは「領主付き護衛兼顧問」。

 それでもアルディは軽く咳払いすると、わざわざ正式な場で紹介を続けた。


「諸卿におかれましてはご多忙の折、拙邸へようこそ。

 捜査は無論、王国の専権と存じます。されど彼は私が全幅の信頼を置く調査士。

 ギルド網を束ね、ブロウ殿の後方支援に当てたい所存です」


 ブロウの隣で治安院の官吏が露骨に眉をひそめる。

 民間人の介入は不要――その無言の圧力が室内を満たした。

 だが、その瞬間を割って、ブロウ本人が顎を僅かに引き、肯定の意を示すと空気が反転した。


「……承認しよう。ただし条件がある」


 高官が声を硬くして列挙する。


 ――ひとつ、アレクは公式指揮系統に入らないこと。


 ――ひとつ、押収資産の一部を〈復興財源〉としてクローデンへ譲渡すること。


 端的で非情な条件だったが、アルディは即座に首肯し、アレクも無言でうなずく。

 銀盆に乗せられた羽根ペンが走り、合意文がその場で交わされた。


 鎖骨まで垂れた黒髪の青年が静かに頭を垂れる傍らで、ブロウはその横顔を斜めに視界へ納めた。

 胸甲の下に息づく自負が、微かな熱を帯びる。


 ──ウォーディアを独力で討ち取った男か……。


 無二の盾を誇る騎士にとって、それは自らの存在意義を揺さぶるほどの衝撃だった。

 称賛と嫉心、そして久方ぶりに湧き上がる競心。

 複雑な炎を喉奥に飲み下すと、彼は盾装飾を軽く叩き、言葉にした。


「影の援護は助かる。だが正面は俺が通す。王国の盾の名に懸けてな」


「それで充分。私は影の通路を閉じるだけです」


 アレクの声は穏やかだったが、その瞳の奥で鈍い闘志が瞬く。

 一瞬、二人の視線がぶつかり、目に見えぬ火花が散った。


 卓上には、衛兵が走り書きした粗いスケッチ地図と、被害記録を重ねた紙束が広げられている。

 襲撃地点は港区から職人区、そして中央大通りへとジグザグに転移。

 しかし護衛線の再配置を逆手に取り、《盾》を中央へ誘導する軌跡でもあった。


 ブロウは顎に手を当て、指で南市場を示す。


「俺を試しに来ている。次は南市場だろう」


「同感。魔剣の使い手は貴方との正面衝突が本懐でしょう。なら、正面は任せる。私は退路を水上で塞ぎます」


 アレクが示したのは闇取引の台帳。

 そこには《防御破りの魔具》と呼ばれる試作品の売買履歴が記されていた。

 出所は王家登録簿に存在せず、封印研究の禁忌を越えた裏流通品。

 アレクはアルディの資金を用い、港湾ギルドの手で小型船を押さえ、運河を利用した逃走経路を封鎖する算段を示す。


 ブロウは愛用の盾紋をそっと撫で、隣で指差す青年の横顔を一度見遣る。

 深い蒼の瞳に火を灯し、


 ーー……今度は俺が奴の一歩先を取ってみせる。


 胸奥で秘やかな炎をくゆらせながら、二人は夜明け前の作戦卓に肩を並べた。

 月光を吸う窓と、油燈のかすかな滲光が、二重の影を壁に映す。

 それは、正面と影──二重の刃として街を守る者たちの宣誓であった。





 本来の歴史では──

 防御破りの魔剣が、真正面から《王国の盾》の胸板を穿ち、

 その不滅と謳われた巨躯が、クローデンの夜に崩れ落ちる。

 無敵の防壁が敗れ、混乱の渦が商都を呑み込み、

 正義の象徴は血に染まり、その名誉は静かに潰える。


 それが、記録されるはずの正史だった。


 だが今、夜明け前の作戦卓にて――

 一枚の地図の上に、もう一つの布陣が描かれた。


 盾は正面から進撃し、剣戟を受け止める。

 その背後を、影が包囲し、退路と伏線を断つ。

 迎え撃つのではない。導き、誘い込み、仕留める。

 かつての敗北をなぞるためではなく、それを凌駕するために。


 歴史に記された敗走の軌跡を、

 この夜に書き換えるために――


「……この未来は、俺が書き換える」


 アレクの声は、ひどく静かだった。

 だが、静けさの奥には決意が宿る。

 熱くはない。

 けれども、冷たく研がれた刃のような鋭さがあった。


 すべてを見通すように地図の一点を指し示し、

 すべてを終わらせるためにそこへ導こうとする。


 過去を知る者だからこそ、それを超える構えを取れる。

 書き換えようとする者の背負うものは、重い。

 だが、その覚悟に迷いはなかった。


 まだ何者も知らぬ改稿後の未来が、

 いまここに、静かに芽吹こうとしている。


 これはまだ歴史書には載っていない。

 どの記録にも記されていない、

 剣と盾と、影の策謀が紡ぎ出す――

 未だ白紙の、異なる夜の物語である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ