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破滅の改変者  作者: 篤
16/23

水の大魔獣ウォーディア討伐戦 〜妨害防衛戦〜


アレクと《ウォーディア》が激突したその同刻――

 祠の北東斜面、濃密な樹海の奥では、もう一つの死闘が静かに、その幕を上げていた。


 夜気を裂いて滑り出すのは、墨を垂らしたような漆黒の霧。

 それは風の流れすら呑み込みながら、静かに森を這い、喰らい、浸食していく。葉は黒ずみ、枝は濡れたように萎れ、足元の地面すら呼吸を止めたかのように沈黙していく。


 その中心に、一人の男が立っていた。


 闇と同化するような漆黒の外套を纏い、瞳に狂気の光を宿すその男は、まるで舞台に立つ道化のように、大仰に首を傾けた。


「おやおやおや……こ・れ・は戦闘音? どうしてどうして? だれ? だれだれ? ウォーディアとケンカしてるヒーローくんは……?」


 男の声は、妙に間延びした口調で、感情の振れ幅だけが不自然に誇張されている。まるで芝居でもしているかのようなその言い回しは、聞く者の神経を逆撫でせずにおかない。


「ふむふむ。封印ごとぶち壊して暴れさせりゃあ、ぜ〜んぶバラ色って思ってたのに……なんだか邪魔が入っちゃってるみたいだねぇ? でも――ま、いっか」


 薄く笑ったその顔は、楽しげでありながら、どこか空虚で、恐ろしくもあった。


「ボクが“おジャマ”してあげれば、ぜーんぶ終わり。だって全部、ボクの霧で消えるから」


 男がゆっくりと手を掲げると、掌の中で蠢いたのは、まるで意志を持ったかのような黒霧だった。

 それは「喰霧」と呼ばれる魔力吸収性の霧――触れた生物の魔力を根こそぎ奪い、魂ごと溶かして屍さえ残さぬ、凶悪な瘴気そのもの。静かに流れながら、森の一部を無音で食らっていく。


 男の背後には、三十二名の私兵が控えていた。

 そのどれもが雇われ兵ではない。忠誠心でも信条でもない。彼の霧を植え込まれた者たちである。霧に侵され、心を染められ、ただその力だけを神のように信奉する――もはや人とは言い難い、隷僕の群れだった。


 黒い霧が形を変えて鞭のようにしなり、今まさに進軍を開始しようとした刹那――


 その進路を、二つの影が阻んだ。


 ⸺


 月光が真上から差し込むなか、斜面の木々がざわめく。

 浮かび上がったのは、光と影に鋭く切り取られた二つの人影。

 ひとりは、無駄を削ぎ落とした端正な漆黒の執事服に身を包み、整然とした佇まいを崩さぬ壮年の男。もうひとりは、紅蓮のように鮮やかなメイド装束を纏い、燃える長髪を風にたゆたわせる若き女性であった。


 先に口を開いたのは、静かに拳を掲げる執事、フォーテン。


「申し訳ありませんが、ここから先へは通しません」


 その口調はあくまでも丁寧。だが、声の底には鉄のように冷たい決意があった。


 続けざま、フィアラが鋭く言い放つ。


「封印を暴いた報い、受けていただきます!」


 瞳の奥に宿るのは烈火。周囲を巡る気流が熱を帯び、空気ごと震える。彼女の長髪が風に舞い、紅の羽衣のように炎を纏う。その火気が、迫り来る黒霧を押し返した。


 対峙する男は、肩を竦めながら愉快そうに口角を吊り上げた。


「おぉっと、“検問”かあ。これはこれは……まさか二人だけで立ち往生? ……わっくわくするねぇ」


 男の言葉には軽薄な響きしかなかったが、その背後では三十二の人影が同時に足を踏み出す。喰霧が森を侵し、二人を包み込まんと拡がっていく。


 ――こうして、幕は上がる。


 《魔力を刈り取る黒霧》と、《無音の拳》そして《緋翼の乙女》がぶつかる瞬間。

 深き祠の麓、夜の樹海に、第二の戦場が誕生した。











霧の海――いや、闇色の奔流と呼ぶべきか。月明かりさえ屈折させるほど濃密な靄を真っ向から突き破り、先陣の隷僕が喉を鳴らす間もなく胸を穿たれて崩れ落ちた。

 血飛沫すら散らない。ただ、気配も痛覚もいっさい奪い去る掌底。《無感結界》を纏ったフォーテンの黒鉄の拳が、急所を寸分違わず粉砕したのだ。肋骨が静かに裂け、心臓が痙攣するより早く命脈が絶える。霧に紛れた暗殺劇――そのわずか三秒のあいだに、八名が立ち木の影へ無音で沈んだ。


「おやおや、見えないネコパンチ? いいねぇ、その手品!」


 黒衣の指揮官が、ひどく軽薄な声色でおどけてみせる。片手を横に払った瞬間、周囲の喰霧が波紋を描き、《無感結界》と干渉。薄闇の膜がめくれ、フォーテンの肩口から指先まで、半透明の輪郭として浮かび上がった。

 隷僕たちの弩が一斉に弦を鳴らし、霧に乗って鉄矢が放たれる――


 ギンッ。

 雷鳴にも似た硬質音。全弾を鉄甲の前腕で受け流したフォーテンの皮膚に、しかし黒霧の爪が掠り、魔力がじりじりと吸い取られていく。


(触れ続ければ枯れる……距離をとらなければ)


 脳裏で冷徹に警鐘が鳴る。その瞬間――


 轟、と爆ぜる熱風が霧の幕を薙いだ。


「お待たせしました、フォーテンさん!」


 夜風を焦がす朱の光芒。フィアラの紅髪が揺らめき、炎そのものと化して真紅の尾を引く。千度を超える熱気が黒霧へ触れた途端、闇色の粒子が蒸気となって霧散した。


「炎のお嬢さんかぁ。でもボクの霧はね――ぜんぶ吸ってあげる!」


 黒衣の男が胸を張り、黒い槍状の霧を前方へ突き出す。しかし触れたそばから水蒸気の柱へ変わり、熱膨張で真下の地面すらひび割れた。


「熱膨張、ってやつですよ?」


 フィアラが片眉を上げ、悪戯めいた笑みを浮かべる。踏み込みと同時、右掌を逆袈裟に振り抜く。灼熱の刃が霧盾ごと男の胴を薙ぎ飛ばし――


 同じ刹那、死角へ回り込んだフォーテンの手刀が無音で肋間を抉る。

 薄い骨板が砕け、筋繊維が裂ける感触が拳に伝わった。


「ぐふっ……! 痛っ、痛ったった!」


 黒霧が本能的に暴発し、二人を吹き飛ばす防壁と化す。しかし核心部――霧核はフィアラの高熱で過飽和状態。そこへフォーテンが投じた〈魔力阻絶符〉が貼り付いた瞬間、再生能力は封じられた。


 残された隷僕たちは散開を図ろうとした――が、その動きは最後まで完遂しない。胸郭に埋め込まれていた黒霧が主の意思で発火。肉体ごと霧散し、屍も血も残さず魔力を喰った霧塵だけが宙を泳いだ。


「証拠隠滅の自壊か……」


 フォーテンが目尻をわずかに吊り上げる。


「やっぱり洗脳型の随伴兵ですね。部下を部下と思わない暴挙……反吐が出ます」


 フィアラが掌から放った小さな火輪で舞い散る霧塵を焼却し、空気中への拡散を防ぐ。藪は焦げず、ただ闇色の粒子のみが赤熱し、弾け、消えた。


「さてさて――取り巻きは自爆、お片付け完了。残るはボクひとり! ここから“ボス戦”ってヤツだね?」


 黒衣の男が愉快げに唇を吊り上げ、両腕を大きく広げた。その動きを合図に、周囲の霧が暴風のごとく高回転を開始。視界を奪い、耳鳴りを誘発し、触れるものすべての魔力を根こそぎ枯らす凶悪な一手――


 だが霧が伸びきるより早く、フィアラの焔が円陣を描き、外周を紅蓮の壁で封鎖した。灼熱の檻が瞬時に閉じ、闘技場のような円形空間を形成。閉じ込められたのは男ただ一人。


 ドンッ。

 風切り音さえ生まない無音の裏拳が後頭部を正確に捉える――はずだった。黒霧が渦を巻き、フォーテンの拳を弾く。


「ヒィッ、危ない危ない。決め打ちは苦手でね――」


 男は軽い調子で指を鳴らす。その瞬間、地面に染み込んでいた黒霧が円周状に炸裂。霧壁が炎陣を突き破り、無数の靄のアームが蛇のように伸びてフォーテンとフィアラを絡め取った。


「逃げろ!」


 フォーテンの警告が霧中にこだまし――男の肉体は黒靄へ溶けるように霧散。残されたのは外套の切れ端と、甲高く反響する嘲笑の声のみ。


 夜霧はなお深く、闇色の風が森を舐める。彼を追うか、封印を守るか――一瞬の逡巡が、次の死闘の幕開けを告げていた。












纏わりつくように脚へ絡みつく黒霧の残滓を、纏った炎で焼き払いながら、フィアラが肩で息をついた。

 鼓動がまだ速い。火力を抑えていたわけではない。むしろ全力だった。だが黒衣の男は、それでもなお逃げ切った。


「……取り逃がしました……」


 吐息まじりの悔しげな声。だが、その声音に焦燥はない。戦果の手応えと、見えぬ脅威を退けた事実は、確かにあった。


 その隣で、フォーテンが静かに頷きながら呟く。


「引き分け、ですね。ただ――こちらも、アレク殿の背は守り切った。……これで、ひとつ借りを返せましたね」


 淡々とした口調。けれどその瞳の奥には、確かな誇りと責任の色が浮かんでいた。

 かつて命を救われた若者。その背を、今度は自分たちが護りきる――それは、二人にとって一つの誓いであり、覚悟であり、そして“信頼”だった。


 フォーテンは右手を翳し、《結界術式》を展開する。複数の術式円が空中に浮かび、霧の残滓を一粒残らず封じ込めていく。消しきれぬものは閉じ込め、分析へ回す。その手際に、一分の隙もなかった。


 フィアラは炎を収束させ、衣の焦げを軽く払ってから、そっと拳を突き出す。

 フォーテンも応じるように拳を差し出し、ふたりの拳が静かに重なった。


 無言のまま。だがその衝突には、確かに感情があった。悔しさ、安堵、誇り、そして、これから続く戦いへの連帯が。


 その時だった。

 遥か遠方、山の向こうに位置する鉱石場のあたりから、夜空を貫く白雷と、火柱の爆ぜる音が地鳴りのように響いてきた。天と地を結ぶような閃光。まるで天空が割れたかのような轟音。


 フィアラがはっと顔を上げる。フォーテンもその音を聞きながら、眼を細めた。


 ――アレクが、戦っている。


 その雷光と爆炎を背に、二人は互いに頷き合い、踵を返す。

 まだ戦いは終わっていない。守るべきものは、まだある。


 フォーテンが再び静かに結界を展開しながら先導する。

 フィアラはその後を駆けながら、燃えるような紅の瞳を前へと向ける。


 ――こうして、彼らは祠跡へと駆け戻った。


 アレクの戦いが、終わりを告げるその瞬間を見届けるために。

 そして、再び仲間として肩を並べるために。


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