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破滅の改変者  作者: 篤
10/23

屋敷での日々③

 


 いつものように朝の鍛錬を終えると、アレクの日課は変化を見せた。


「アレクさん、十五分後にご主人様が外出なさいます! 準備をお願いします!」


 相も変わらず元気に声を張り上げるフィアラに促され、アレクは朝食を手早く済ませ、即座にアルディの護衛として同行することとなった。


 そして今、彼はアルディの取引先の屋敷にいた。その規模と格式はアルディ邸にも引けを取らぬ豪奢さであった。

無理もない。アルディによれば、ここは王都の要人や王族までもが訪れるという、いわば王都の「駐在所」のような役割を果たす施設だという。


 アレクは応接間に通されたアルディとともに席に着いていた。

護衛として同席を許されたのは一人のみであり、その役に抜擢されたことは、アレクが一定の信頼を得ている証左とも言える。


 今日、アルディと対面するのは、王国経済の中枢を担うアラード一族の一人、フェテル・アラードである。

現れた彼は、くすんだ金髪を持つ中年の男。柔らかな物腰とは裏腹に、底の知れぬ雰囲気を纏っていた。


 その完璧な笑顔の裏に何を秘めているのか、容易に見透かすことはできない。

威圧感すら感じさせるその佇まいは、軽薄さとは無縁であり、ただ一目で只者ではないと知れる男だった。


 さらに驚くべきはその随伴者である。フェテルの隣に立つのは、王国の近衛兵団に所属し、《王国の盾》の異名を持つブロウ・レイディル。

彼の名は王国において知らぬ者はいない。魔法、斬撃、あらゆる攻撃を無効化する宝盾を操り、重装備にも関わらず俊敏な動きを見せると噂される名将である。


 今は礼装を纏ってはいるが、その逞しい肉体と厳格な眼差しは、ただ立っているだけで周囲を制圧する圧を放っていた。


「これはこれはアルディ殿。直接お目にかかるのは何日ぶりでしたか?」


「ご無沙汰しております、フェテル様。およそ二十日ぶりでございます」


 短いやり取りのあと、フェテルはふと視線を落としながら言葉を継ぐ。


「ところで……盗賊団に襲われたという件、拝読いたしました。さぞご苦労をなさったでしょう。ご無事で何よりですな」


 その言葉に、アルディは表情をわずかに曇らせる。だがすぐに柔和な笑みに戻り、隣のアレクへと目をやった。


「はい、本当に紙一重の状況でございました。ですが、彼——アレクが駆けつけてくれたおかげで、私は命を拾いました」


「ほう……彼が……」


 フェテルの視線が初めてアレクに注がれる。洞察するような眼差しだったが、不快感は覚えなかった。むしろ、こちらの力量を正しく見定めようとする冷静な眼だと感じられた。


「紹介が遅れました。この者が、私の窮地を救ってくれた大恩人にして、今もっとも信頼している護衛——アレクです」


 唐突に投げかけられた賞賛の言葉に、アレクは面食らいながらも、表情は動かさぬまま丁寧に一礼した。


「当主様の温かいお言葉、恐縮に存じます」


 そしてフェテルにも向き直り、騎士礼をもって挨拶を交わす。


「アレクと申します。未熟者ではありますが、今後とも何卒お見知りおきくださいませ」


 その礼儀正しい応対に、フェテルは満足げに頷いた。


「礼節も備え、かつ実力は申し分なし。なるほど、アルディ殿が絶賛されるのも頷けますな。今後が楽しみですぞ、アレク殿」


 そして隣に立つブロウへと目をやり、芝居掛かった口調で紹介を添える。


「さて、こちらはご紹介が遅れましたが、《王国の盾》の異名を持つブロウ・レイディル殿。王都より護衛として派遣いたしました」


「ブロウ・レイディルです。以後、よろしく」


 ブロウは静かに名乗りを上げる。その簡潔な態度に、アレクはある種の誇り高さを感じ取った。だが内心では、アレクは彼の存在を既に深く認識していた。


 なぜなら——ブロウはアレクの次なる目標に深く関わる存在であるからだ。

取り敢えず、悪印象を与えることだけは避けねばならない。


「まずは、アルディ殿を驚かせてしまったこと、並びにブロウ殿がこの場に同席していた事情を後出しにて説明する非礼を、ここにお詫び申し上げます」


 ブロウを紹介したことで、アルディが驚いていたことを思い出したのだろう。フェテルはどこまでも律儀に礼を尽くしてきた。


「いえいえ、確かに最初は驚きましたが、すぐに事情は察することができました。問題ありません」


 アルディは軽く右手を振り、首を横に振って応じた。フェテルは一度安堵した様子を見せたものの(それが演技であることは、アレクにも見抜けた)、すぐに神妙な面持ちへと切り替え、低く呟いた。


「《王国の盾》と称されるブロウ殿と、盗賊団をたった一人で壊滅させたアレク殿。この二人が揃っているのなら、まるで王都の王城にいるかのような安心感を覚えますな」


「ええ、確かにこれ以上の護衛陣はありませんね」


 アルディも穏やかに頷きつつ同意する。


 そのときまで、紹介以外では視線を彷徨わせていたブロウが、ふとアレクに視線を向けた。アレクもそれに応じ、静かに見返す。


「…………」


「…………」


 無言のまま、視線を交わし続ける。ブロウの眼差しには、微かにではあるがアレクへの興味が滲んでいた。対するアレクの眼差しは、無関心を装った冷静なもの。


 その静かなやり取りを、フェテルとアルディは面白げに眺めていた。室内には他に人影はなく、空気が静寂に包まれる。


 そして、ふいにフェテルが口元に意地の悪い笑みを浮かべ、沈黙を破った。


「ふむ……二人が並び立つと、どれほどの戦力となるのかも気になりますが――同時に、どちらがより強いのかも気になるところですな」


 その問いは予想の範疇だったため、アレクは表情を変えぬまま沈黙を保つ。だが、ブロウの眉がぴくりと動く。


 アルディも一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに興味深げに目を細めて口を開いた。


「なるほど、確かに興味深い比較ですね。我が護衛の筆頭であるアレク……と言いたいところですが、やはりブロウ殿には敵わぬでしょう」


 その言葉に、ブロウの眼差しが僅かに細まり、誇らしげな色を帯びた。感情の機微が表情に出やすい人物らしい……とも思えたが、そんな単純な性格であるはずがない。


 ――フェテルと共に仕組んでいるな。


 そう確信を得たアレクは、しかしその意図を否定もせず、静かに応じる。反論すれば角が立ち、沈黙すれば空気が重くなる。ここは応じて流すのが最適解だ。


 もっとも、アレクにはブロウに対する対抗心はない。そもそも真の実力など、生死を賭けた戦いでもなければ測れるものではない。今の彼には、虚栄や意地よりも優先すべき目的があるのだ。


 ましてや、現在は異能が封じられている。単純な戦力で比較すれば、今の自分よりブロウの方が上だろう。それでもアレクは平然と頷き、無言でフェテルの問いに肯定の意を示す。


 フェテルはその様子を見て、満足げに目を細めたが、すぐに真顔へと戻り、


「では、そろそろ本題に入りましょうか。時間も差し迫っておりますので」


 「そうしましょう」とアルディが頷き、空気が切り替わる。


 フェテルは真剣な表情で椅子へ腰を下ろしながら告げた。


「従来の通り繰り返しにはなりますが、このクローデンの経済情勢を把握するには、王国より委託された土地売買の動向を知るのが最も有効です。アルディ殿、近況をご報告いただけますか?」


 こうして、王都の使者とアルディとの間で、本題となる密談が始まった。

 


 


 




****************************






 


 


 

  ——大いに意義ある一日であった。


 帰途につく馬車の中、アレクは今日という日をそう総括していた。


 フェテルの戯れめいたやり取りの後に本題へと入った密談は、実に一時間半にも及ぶ内容となった。議題の大半は、王国が委託した『クローデン』の土地売買に関するものであった。


 そのやり取りの中で、現時点で価格が高騰している地域、反対に価値が落ち込んでいる土地の情報を把握し、それらを通じてこの街の経済全体の動向を掴むことができた。


 まさしく濃密な一時間半であったといえよう。


 密談の後も、アレクは取引先を巡るアルディに随行した。アルディにとっては日常の仕事に過ぎなかったが、アレクにとっては、先の密談で得た情報を自らの目と耳で裏づける絶好の機会となった。


 実地に触れ、実情を確かめる。それにより得られた情報の確度は、想定以上に高い。


 確かに、経済とは生き物のようなもので、状況は刻一刻と変化し続ける。今日得た情報も、いずれは陳腐化するだろう。だからこそ、何度でも焼き直し、異変を拾い、傾向とその変異を追い続ける必要がある。


 そうすることで、裏で蠢く者たちの痕跡を辿ることができる。わずかに残された影を、確かな輪郭として浮かび上がらせるために。


 アレクは窓の外に目を向けた。沈みゆく陽が朱く空を染め、街を淡く照らしていた。朱色の光の中で、彼は目を細め、静かにその輝きを見つめた。



 




 


****************************






 




  馬車が低く唸るような音を立てて門をくぐると、屋敷の正面扉が開かれ、出迎えのメイドや執事たちが次々と外へ現れた。


 「おかえりなさいませ!!!」


 一糸乱れぬ挨拶が響き渡る。

 これはアルディの方針によるものだ。個別に堅苦しい応対をするのではなく、屋敷の者全員で簡潔に声を揃えて出迎えるようにと決められている。


 アレクにとっては形式などどうでもよかったが、この屋敷においては既に定着した習慣らしい。


 出迎えた使用人たちは手際よく馬車の荷物を運び込み、労いの言葉をかけながらそれぞれの仕事に散っていく。


 「おかえりなさいませアレクさん!…………なんで挨拶しないんですか? それとも出迎え程度もできないんですか?」


 「……チッ、わかったよ!やりゃあいんだろ? アレク……さん、おかえりなさい!」


 「なんですその投げやりな出迎えは。やり直しです」


 「うああああああ! やりゃあいんだろやりゃあ! アレクさんおかえりなさい!」


 「はぁ……もういいです。アレクさんが逆に疲れてしまいますから」


 フィアラとグリッドのやり取りが相も変わらず賑やかだった。教育の成果は芳しくないようだが、聞き分けは多少なりとも良くなっている。とはいえ、教育というより調教の域に近いかもしれない。


 「グリッド、舌打ちは失礼です。いくら気に食わなくとも、表面上は取り繕いなさい」


 「うっ……わ、わかった……わかりましたよ」


 横からフォーテンが鋭く指摘すると、グリッドはしぶしぶながらも口を閉じた。

 どうやらフォーテンもグリッドの“教育”に加わったらしい。完璧主義で知られる彼にとって、あの態度は看過できなかったのだろう。


 フォーテンはアレクの方へ向き直ると、丁寧に一礼した。


 「アレク殿、本日の護衛任務、誠にお疲れ様でした。夕食は八時頃を予定しております。それまでの間は入浴でも執務でも構いません。ご自身の時間をお取りください」


 アルディの屋敷では、家人同士の敬語使用は基本的に禁じられているが、フォーテンは例外だった。アレクに対しては一貫して敬語を崩していない。


 これは敬意の現れとも取れるが、同時にまだアレクを完全には“仲間”と認めていない証左とも考えられる。


 ——つまり、まだ信用されていない可能性がある。動向には注意を払うべきだ。


 「ありがとうございます、フォーテンさん。そうさせてもらいます」


 アレクは柔らかく礼を述べて屋敷の中へと向かおうとした。だがその刹那、背後から甲高く響く少女の声が届く。


 「お待ちください、テリアお嬢様! アレクさんは——」


 メイテルの慌てた声。その言葉にアレクは思い至る。今朝の出発時、彼女の姿が見えなかった理由を。


 ——おい、待て……。


 ポニーテールを揺らしながら、茶髪の少女が一直線に駆け寄ってくる。


 「やっと帰ってきた! アレ兄、遊ぼっ!!」


 ——勘弁してくれ。


 護衛任務を終えても、どうやら“テリアの遊び相手”からは逃れられそうになかった。

 アレクは心の奥で静かに溜め息を吐いた。


 この日、アレクは小さなお姫様と夜の九時半過ぎまで遊び、ぐったりと眠りにつくこととなった。


 長い一日が、またひとつ終わろうとしていた。






****************************






 とある豪邸の一室。深夜十時半を過ぎた頃、燕尾服の執事と、メイド服姿の女が対面していた。


 この時刻に男女が密室で向かい合っていれば、俗な理由を想像されるかもしれない。だがこの場には、そうした気配は微塵もなかった。


「……まだ、決めかねているのですか?」


 静かに問う男の声には、切迫したものが滲んでいる。一方、女は俯いたまま、答えを返せずにいた。


 これは睦言とは無縁の、深刻な対話である。いや、もはや「説得」と呼ぶべきだろう。これまでにも何度も同じやり取りが重ねられてきた。


 男は時間をかけて、状況証拠や論拠を積み上げ、慎重に女に提示してきた。だからこそ、彼が痺れを切らすのは早かった。


「確たる証拠こそありません。ですが、それ以外の材料はすでに揃っています。そして、証拠が見つからないという事実こそ、あの男が緻密な計画のもとに動いている証しではありませんか。……手遅れになる前に動くべきです」


 早口で畳み掛けるように告げるその口調には、焦りが色濃く滲んでいた。


「それは……」


 女は口を開くが、なおも言葉を濁す。曖昧な返答に、男はさらに言葉を重ねた。


「……あなたが助けられ、恩義を感じていることは理解しています。ですが、その感情すらも、奴の計算のうちです」


 その言葉を口にした瞬間、男の声音が和らぐ。言い過ぎたと感じたのか、あるいは別の切り口を試そうとしたのか、語調は落ち着きを取り戻していた。


「それはっ……! いえ……」


 図星を突かれたのか、女は顔を上げかけてすぐに押し黙った。反論の言葉は、口の中で消えていく。


 その隙を逃さず、男が静かに語りかける。


「……性格の悪い物言いをしてしまいました。ですが、今のままではアルディ様は奴に利用され、すべてを奪われてしまう。だからこそ、今、動くしかないのです」


「で、でも、それでは……」


「重々承知しています。襲撃が成った時点で、私は解雇されるでしょう。アルディ様の性格を考えれば、それ以上の処分を受ける可能性もあります。それでも、私はやるつもりです。たとえ身命を賭してでも、奴を排除しなければならない」


 男は、言葉を尽くして女の逡巡を読み取り、先回りして答えていく。そして最後に、決意を滲ませて一言。


「どうか……力を貸してください」


 女は、拳を強く握りしめたまま、小さく震えていた。


「私は……」


 奥歯を噛み締め、目を伏せたまま葛藤するその姿を見て、男は勝機を見出す。


「奴の底が知れぬ以上、私ひとりでは勝てるかどうかわかりません。ですが、あなたがいてくれれば勝算は高くなる。——ただし、迷いが残るうちはその可能性すら見えなくなる。……だからお願いします。私に、あなたの力を貸してください」


 そう言って、男は深く頭を下げた。


 沈黙が数秒続く。やがて女が、大きく息を吐いたのを感じたその瞬間——


「……わかりました。もう迷いません。——あの人を、アレクさんを倒してみせます」











 


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