schooldays Ⅷ ひみつ
まるで宇宙のような空間。それが、ミハイルが最初に抱いた感想だった。
「どこかてきとうに座っておいてくれるかな。すぐに何か作るから」
バージルは室内の小さなキッチンスペースで冷蔵庫の中を確認しながら言う。ミハイルははいと返答しつつ、周囲を見回すことがやめられなかった。
学園寮は基本的に2人1部屋のはずだが、この部屋は全体的に統一感があり、まるで1人の人間しか住んでいないようだった。
とりあえずそばにあった椅子に座り木製のテーブルに触れてみる。ひんやりとして、手の温もりが奪われていく感覚にミハイルは何故かホッとした。
「おまたせ。ガルブツィーっていうんだけど食べたことはある? 今日食べよう思って仕込んでおいたんだ。口に合うといいんだけど」
「ありがとうございます.....美味しそうですね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
とにかく食べようかとバージルは椅子に座り、料理に手を付ける。ミハイルもそれを真似て1口頬張ると、思わず「美味しい」とこぼした。
「お、笑ったね」
2人は他愛のない話をしながら食事を進めた。
「先輩はいつも自炊を?」
「んー、たまにかな。ほら、ここの料理って結構偏りがあるから、故郷の味が懐かしくなるんだ」
「故郷の、味.....」
最後の1口を飲み込んだバージルは、ミハイルの様子をうかがいながら片眉を上げる。
先程まで楽しげにしていたはずなのに、故郷の話が出た途端表情が暗くなった。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。気になるけど、あいつが言うようにお節介なんだろうな。
そんなことを考えたものの、バージルには彼を放っておく事ができなかった。
「ところで、さっきの話なんだけど」
不意に切り出した先輩の言葉に、ミハイルははっと顔を上げる。先程の話というのはもちろんミハイルとヨハンの喧嘩の件だろう。
「もしかして君は、相手に自分の抱えている物をちゃんと見せていないんじゃない? 君が喧嘩の原因となったものを嫌う理由が相手にわからないんじゃあ、向こうも可哀想だ」
「僕が、抱えている物.....?」
「そう。例えば価値観、そしてそれに伴う過去や感情。自分だったら、そうだな.....」
言葉を切り、一瞬視線を宙に漂わせる。そしていい例があったと言わんばかりの表情で口を開いた。
「自分は犬が苦手なんだけど、それは昔近所の子どもたちに大きな犬をけしかけられたからなんだ。でもほら、犬って可愛いからさ、犬が苦手って言うとおかしい、あんなに可愛いのに、っていう人とか結構いるんだよ」
知らないっていうのはそういうことだからと締めたバージルは、ミハイルににっこりと笑って見せた。
自分がしたのはそういうことだと突きつけられているようで、居心地が悪い。それでもきちんと向き合うべき問題だということは、彼にもわかっていた。
「僕のこと、聞いてもらえますか?」
言うと、バージルは優しく頷く。ミハイルはすうっと息を吸って、意を決したように目の前の先輩を見据えた。
それはミハイルのそれまでの人生の話。
15年前、冬の終わり頃に彼は生まれた。両親にも、兄にも愛されて育った彼は、生まれつき少しだけ身体が弱かった。そのため本を読んで過ごすことが多く、魔法については自ら進んで勉強をした。
彼は6歳の頃、初めて父に連れられて晩餐会に出席する。静かな場所で暮らしてきた彼には、豪華絢爛な会場が、着飾る人々が目に刺さり、毒々しく思えた。
そこで彼は、1人の子どもと出会う。齢はミハイルと同じくらい。しかし晩餐会を楽しんでいる様子で、近付いてきたその子は笑顔を貼り付けていた。
彼はフィルと名乗った。
同年代の男の子と話すのは初めてでミハイルは緊張したものの、会話はスムーズに行われた。
「ミハイルはトルストイの家なんだろ? いいなあ、何もしなくても全部もってるってわけだ」
晩餐会が終わりに近付いてきた頃、不意にフィルは言う。その言葉が胸に引っかかりフィルの目を見たミハイルは、あることに気付いた。彼は、明確な悪意を持っていた。
ミハイルはトルストイ家.....彼の家が有力な魔法使いの家系であるということは聞かされていたが、それだけだった。彼の両親は才能よりも尊いものがあるとミハイルに言い聞かせてきたため、彼は自らの才にあぐらをかかず、努力して身につけたものは自分の手で手に入れたものと考えていた。
対してフィルの家は魔力が強いわけではなく、いくつかの呪具を売り出し成功したことで経済的に他の者より少し優位な、しかし至って普通な家系の出だった。
それ故の嫉妬。
「知ってるぞ。お前の母親は体が弱いから、お前もそうなんだろ。トルストイは衰退するってみんなが」
彼は最後まで言い終わることが出来なかった。フィルは不自然に顔だけが横を向いており、その先には絢爛な灯りをうつす窓ガラス。そこには自分たちもうつっており、彼を睨みつけるミハイルの姿も見えた。
「僕の事は構わない。トルストイという家も僕は興味が無い。でも、僕の家族を悪く言うのは許さない」
フィルは左手で頬に触れる。ズキンと傷んだ途端、胸の内からどす黒い感情が湧き上がるのを感じた。彼は身を翻し、人の波をかきわけて去っていく。
ミハイルは我に返り、自分がしたことを悔いた。しかしどうしても、自分だけが悪いとは思えなかった。
この晩餐会の直後、トルストイ家の次男がリシツァ家の長男を殴り罵ったという話が晩餐会に出席していた者の間で広まった。噂は尾鰭をつけ、終いには事件とは関係の無い事まで囁かれるようになった。
父は何も言わない。自分のせいで嫌な思いをしているだろうに責めることもない父に、彼は後ろめたさを感じるようになった。
結局噂が事実では無いと明らかにされたのは、歳の離れた兄が学園を卒業し家に戻ってきてから.....時間にしておよそ2年後のことだった。
「どんな噂でも、そこには段々関係の無いものが付加されていくんです。僕は母がそれで苦しんだのを知っています。自分だって本当は.....」
言葉は続かない。バージルが顔を上げれば、目の前の少年は口を引き結び、俯いていた。
「そうか、そうか.....単純だけど、簡単じゃない。辛かったね」
話してくれてありがとうと言い、バージルはそっと立ち上がり、置いたままになっていた空の皿を手早く片付けながら口を開く。
「ミハイルくんはそれを彼に伝えるのが怖いのかい? どうやら件の彼は君の家の事を知らないようだけど、噂の事が伝わるのは怖い?」
ミハイルは何も言わず、テーブルの木目を見つめていた。バージルは小さな溜息を吐き、皿を棚に片付けてから再び口を開いた。
「もう遅いし、そろそろ帰った方がいい。そうだ、御守りをあげる」
廊下までミハイルを送り出したバージルは、ドアを背にしてすうっと息を吐く。どうか幸せにと祈りこぼした言葉は、窓を抜け月に吸い込まれていった。




