schooldays Ⅵ うわさ
ヨハンとミハイルの衝突からはや1ヶ月。波紋が残ることはなく、パートナー登録は衝突の翌日には済ませていた。比較的2人とよく話す梓涵も、2人の仲が深まっている事は感じていたが、まさか喧嘩をしたとは思っていない。
日を追うごとに、授業の内容も深くなっていく。ミハイルは受講科目数が学年一だと噂されるほどの“出席率”にも涼しい顔をしていたが、ヨハンの方はというと、その日その日をやり過ごすのに精一杯になっていた。
2人がそんな毎日を送るよそで、1年生の中ではとある噂が囁かれていた。
「ねえ、ある先輩のドッペルゲンガーが出るって噂、知ってる?」
ヨハンたちがそれを聞いたのは、とある日の夕食のテーブルについたときだった。
一足先に着いていた梓涵と話していた女子生徒の言葉に肯定を返した彼は、ヨハンとミハイルに気付き「やァ」と声をかける。
「こんばんは。なんか久しぶりだね、梓涵」
ヨハンが嬉しそうに笑う。
最後に3人が揃って顔を合わせたのは2日ほど前のことだったが、ヨハンは長らく会っていなかったように思えた。
「アンタらは忙しいからなァ。ミハイルがいりゃァ大丈夫だと思うが、あんまり無理はするなよ?」
言い終わると、梓涵は服を引かれてヨハンとは逆側を向いた。そこには無視をされたからか不満げな少女の顔。
「なんだ、黙ってるなんて珍しいな」
「だって話したこと無いもの.....! 紹介してくれてもいいんじゃない?」
頬を膨らませる彼女に、梓涵は頬をかく。みかねておずおずと口を開いたのは、食事を始めるにも始められなくなったヨハンだった。
「あの、梓涵の友達、ですか? はじめまして、僕はヨハンです。よろしく.....あ、こっちはミハイル」
振り返ると、ヨハンは既に料理に手をつけている。なんとも言えない顔になるヨハンをじっと眺めた少女は、彼の態度に機嫌を直したらしい。梓涵の影から顔を出し、にっこりと笑う。
「はじめまして、ヨハン。私はアーニャよ。梓涵の友達というか、パートナーなんだけど.....まあどっちでも良いわね」
「どっちでも良いって、お前なァ.....」
見た目のふわっとした印象とは異なりはきはきと話すアーニャは、「よろしく」と言いながら牛のブレゼを取り分けていた。
「それ好きだなァ.....そういやさっきの話、ヨハンたちなら知らないんじゃねェか?」
窓の外が暗くなっていくにつれて、食堂に集まる生徒も増えていく。
既に食事を終えたらしい梓涵は、不意に初対面の友人達の間を取り持つように言った。その言葉にアーニャは目を輝かせ、ヨハンは首を傾げる。
梓涵はアーニャに先を促すと、自分はマドレーヌをつまみ、美味いと呟いた。
「それはつい2週間ほど前のことよ。ある女の子が授業に遅れそうで急いでいたの。ほら、ここってすごく広いじゃない? その子も焦っていたのね。彼女、階段で足を滑らせてしまったのよ」
「確かその日は雨って言ったか?」
「ええ、そうよ。そのせいで余計滑りやすかったのね。その子は咄嗟に目を瞑ってしまったけれど、叩きつけられるような衝撃は無く、目を開けると1人の先輩が彼女を受け止めていた.....」
時折梓涵が細かい部分を補う以外は、アーニャの語りが途切れることはなかった。ヨハンは彼女の話に聞き入り、フォークを持つ手が止まっている。
「先輩は名乗らずに去って行ったわ。その日から、たくさんの1年生が先輩に助けられたの。例えばさっきの子みたいに怪我をしそうになったり、落し物をした時とか.....あと迷子になった所を助けてもらったって子もいたわね」
「すごい、良い人だね」
「そうでしょう? 皆口を揃えてそう言ったわ。でもね.....おかしなことがわかったのよ。なんだと思う?」
ヨハンは首を傾げ、頭を回転させる。
そういえば最初にドッペルゲンガーがどうとか言っていたっけ。ということは同時に違う場所に居た、とかだろうか。
その考えを伝えると、アーニャは満面の笑みになって声のトーンを上げた。
「そう、正解よ! それも何度も! これはおかしいって、きっと先輩のドッペルゲンガーが学園をさまよってるんだって囁かれるようになったの」
おお、と彼女の勢いに押され気味のヨハンは、アーニャの話が終わってようやく食べるのを忘れていた夕食の存在を思い出した。
「あら、ごめんなさい。ここまで興味をもって聞いてくれると思わなくて、ついついあなたのことを考えずに喋ってしまったわ」
冷めた料理を申し訳無さそうに見遣るアーニャに、ヨハンは気にする事はないと伝える。
不意に、コトン、とティーカップをテーブルに置く音。ヨハンが右側を見ると、ミハイルがアーニャを睨みつけていた。その瞳は鋭く、酷く冷たい。
「馬鹿馬鹿しい」
「.....はあ?」
突然放たれた言葉に、アーニャは眉を寄せる。ヨハンが慌ててミハイルをたしなめるも、眼光は鋭いままだ。
「ヨハンの夕食への気遣いを疎かにした事は理解できても、先輩への礼儀は考えられないんだな」
呆気に取られたような顔をしていたアーニャは、自分が何を言われたのか一拍遅れて理解し、羞恥からか苛立ちからか、頬を紅潮させた。しかしあまりの感情の昂りに言葉を発することも出来ず、頬を引き攣らせる。
ミハイルが席を立つ気配を感じたヨハンは、急いで残りを飲み込み、少し噎せた。そして彼を追って席を立ち、2歩踏み出したところで振り返る。
「あの、ごめんね。悪いやつじゃないから、嫌いにならないで貰えると嬉しいな…...今日はありがとう」
困ったように眉を下げるヨハンは梓涵も見慣れたものだった。しかしヨハンの願いも虚しく、彼女の中ではミハイル=敵という図式が出来上がってしまった。
「なんなのよアイツっ!」
彼女の叫びが食堂に響き渡り、何事かと駆け付けた教師に小言を貰ったのはまた別のお話。




