schooldays Ⅴ ぼくとともだちに
夜、どこからか梟の声が聞こえる部屋で、二人はそれぞれのベッドの上に座り向かい合っていた。勉強スペースを寝床の下に作る事の出来るロフトベッドなので、二人の間には少しの距離がある。
ミハイルは、少し話そうと言われ前方を見ていたが、彼が口を開く様子は無い。自分の方から話しかけることも、話をやめて寝ることも出来ず、ただ彼の一挙一動に睫毛を揺らしていた。
ヨハンの様子がおかしくなったのは、三日ほど前の夕食時からだった。何か考えこんでいるみたいだったから邪魔をしないようにしていたけれど、何か気に障るようなことをしてしまっただろうか。それとも授業の悩みか。
ミハイルの胸の内では不安がうずまき、言いようもない思いに支配される。
ヨハンは、彼にとって特別だった。ミハイルは誰にも詳しい素性を明かしてはいないが、わかる人にはわかってしまう。梓涵がそのいい例だが、ヨハンはきっとミハイルを知らない。それは何にも代え難い特別なことだった。
そんな事には気付かず、ヨハンはヨハンで、彼の内の大きな葛藤と戦っていた。
すいっと、窓の外を影が横切る。梟の声はやんでいた。
カーテンを閉め忘れたことに気付いたミハイルは、目の前の事から逃げるように、指を軽く振った。ひとりでに閉まるカーテンに目をやり、ヨハンは少し俯く。
「この3日間、大変だったね」
ぎこちなく開かれた口が言葉を紡ぐ。ああ、と答えながらミハイルは、ヨハンの歯切れの悪さに眉を僅かに動かした。
「僕、大勢で勉強するのとか初めてで、びっくりすることばかりで.....自分の今までに、自信が持てなくなって.....」
言いたいことがまとまっていないのだろう。ヨハンは言葉を探しながら、ゆっくりと顔を上げる。
「この前、シーウェル先生に会ったんだ」
困ったように、眉を下げて笑う顔。
入学してから、ミハイルは何度も同じような表情を目にしたが、現在目の前で浮かべられたそれは、今までのどの表情とも違い、胸が痛くなるようだった。
シーウェルという名は、ミハイルも知っている。幼い頃に魔法を教えて貰った事もあるし、魔法理論について、彼の父とシーウェルが話すのを横で聞いていたこともある。温厚だが、何か絶対に折れない芯のある人と記憶していた。
「シーウェル先生が、何か?」
促すように言う。
「僕は、ここには向いていないと」
それはつまり、この学園に入学するため無心に走っていた彼が、彼のすべてが否定されたに等しい。少なくとも、ヨハン自身はそう感じていた。
ミハイルも、まだ彼との付き合いが始まって日が浅いとはいえ、1人の人間としては理解できた。しかしだからこそ、ヨハンに冷たい視線を向けざるをえなかった。
「それで?」
ミハイルの声のトーンが落ちた事に気付き、ヨハンは再び口を開くが、声は出なかった。
「それで、人生全部否定されたから、尻尾丸めて逃げ出すのか? その程度の気持ちだったとは思わなかった」
「ちがっ、違う、そうじゃなくて.....」
「何が違う。確かにシーウェル先生は正しいみたいだな。ヨハンは魔法使いに向いていない」
ミハイルは不意に腰を上げると、ベッドを降りて窓際の椅子に腰掛けた。そして、呆然とするヨハンを見やりぎゅっとこぶしを握る。
「どうして何も言わない! 心外なら怒るべきだ。図星なら開き直れ」
吼えるミハイルの瞳は強い光をたたえていた。
魔法使いとは、とても難しい生き物である。
自分がのしあがるために他人を犠牲にするなど日常茶飯事。たとえ血を分けた兄弟でも、魔法使いの血が流れるならば油断はできない。
しかしその一方で、ほんの幾人かの信頼した相手は、絶対に裏切らない。
ミハイルがヨハンとこのような関係になりたいと思ったわけではなかった。ただ、学園にいる間だけでも、利害抜きで接してくれる友達が欲しかった。
そのように考えている事など、ヨハンは知らない。
「その、僕.....ごめん」
「どうして謝る!」
「本当にごめん。怒らせるつもりは無かったんだよ.....」
彼らがもし、数年来の友人ならば、互いの言いたい事を汲めただろう。彼らがもし、利害で成り立つ関係ならば、これで終わりと縁を切れただろう。
しかし彼らは互いの意を汲むにはあまりにも付き合いが浅く、縁を切るには彼らの距離は近すぎた。
「ぼくは、別に怒っているわけじゃない」
俯くと同時に溢れたものは、白い頬を伝い、テーブルで弾けた。ここまで感情的になったことなど、物心ついた頃からの記憶を思い返しても無かったと、ミハイルはどこか冷静に考えていた。
ヨハンは手を伸ばす。しかし届くわけもなく、彼は咄嗟にベッドから飛び降りる。
数歩の距離が遠く、重い。
彼が抱きしめた体は酷く冷たくて、ヨハンは腕に力を込めた。
「ごめん。本当にごめん」
「僕は、君と友達になれると思った」
「僕もそう思ってるよ」
「でもヨハンは、いつも向き合おうとしないから、僕が我儘を言っても平気な顔をしてて」
「そんなこと.....」
ミハイルのくぐもった声が、ヨハンの鼓膜を震わす。
「じゃあさっきどう思った」
ヨハンは不意に突き放される。
ほんの15cmほど先で揺れる瞳は、彼がそれまで見たどんなものよりも美しかった。
「正論だ、と」
一歩下がり、ヨハンは続ける。
「ミハイルが言いたいことは解るよ。でも、僕は出来ないんだ。自分の感情に疎いわけでも無くて、ただそれを、その思いを人にぶつけることが自分では許せないんだよ」
他者のために己を殺している。そう思っていた。しかし違った。
ミハイルは顔を手で覆う。
「先生は君をはかり損ねたな」
そしてヨハンを見据え、立ち上がる。
「自分本位で、独善的だ。嫌われるのを恐れるのとはまた違う.....。それでいて、いや、それなのに人の言葉にはちゃんと耳を傾けることができる。誰よりも魔法使いらしい魔法使いになれる」
ふっと表情を緩めたミハイルは、初めて年相応の笑みを浮かべた。ヨハンは彼の態度の変化に付いていけず、目を瞬かせる。
「ヨハン、僕のパートナーになって」
「え、でも、いいの.....?」
突然の申し出に狼狽するヨハンに、ミハイルはいっそう笑みを深くする。
「いいも何も、僕以外の奴がヨハンと上手くやっていけると思えないし。僕がその腐った性根、叩き直してあげる」
魔法使いとは、難しい生き物である。
自分勝手で、他者を易々と利用することで狡猾に生き残る。その魔法使いの世界に足を踏み入れた少年が1人。
彼は魔法使いとしての素質を備えながらも、どんな魔法使いとも違っていた。
「.....ヨハン?」
もう寝ようとベッドに潜ったヨハンは、ミハイルの声に瞼を開く。
「どうしたの?」
「その、さっきは酷いことをいったから、ごめん」
体を起こすと、毛布を目元まで被ったミハイルがヨハンの方を見つめていた。見られた瞬間、ミハイルは頭まで毛布を引き上げてしまう。
「僕も、ごめ.....いや、ありがとう」
その言葉に返事は無い。
ヨハンが「灯り消すね」と呟くと、もう片方のベッドからは寝息が聞こえてきていた。




