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東京・高円寺→浪速・南船場「東西〝おふらんす〟戦線」顛末

作者: 夏ヨシユキ

「フランス料理って喰ったことないなぁ」30代を迎えようとしていたころ、唐突に思った。いわゆる洋食は子どものころから大好きで、いろいろ経験していた。でも、洋食とは相当違うらしい……。そんな、食い意地だけの単なる〈軽はずみ〉な気分を正してくれた(?)、いや、遊ばせてくれた、東京・浪速(大阪)の〝おふらんす〟体験。懐かしい。

……………………………………………………

東京・高円寺〝おふらんす〟戦線異状あり

……………………………………………………


(そういえば、フランス料理って喰ったことないなぁ)


 30代を迎えようとしていたころ、唐突に思った。いわゆる洋食は子どものころから大好きで、いろいろ経験していた。でも、洋食とは相当違うらしい。結婚式で供される、お決まりの「伊勢エビのテルミドール」とか「牛フィレ肉のソテー」はフランス料理の範疇なのかもしれないけれど、どこか違う気がしていた。


 大昔の話。手頃なビストロなどなかった。いまやヨーロッパ料理の代表になった感のある「イタリア料理」はまだ、スパゲ〝ッ〟ティ(当時は〝ッ〟を入れて発音していた)とピザ(ピッツァ)ぐらいしか認識されていなかったころ。


(行ってみるか)


 食い意地には勝てない僕。しかし問題は、値段はもちろん、どの店も格式が高そうで入りにくいことだった。さてどうしたものか……。


(んッ、そういえば近所に1軒あったよな)


 高円寺北口商店街(現・高円寺純情商店街)。雑多な店が入り交じる、活気ある下町情緒満載商店街の、とあるビルの2階にフレンチレストラン「モンココ」はあった。恐る恐る予約して、緊張しつつ階段を上った。ドアを開けると、姿勢のいい黒服の給仕が出迎えてくれた。店内はけっこう広かった。高円寺の雑踏がウソのような〝おふらんす〟な空間だった(行ったことないけど)。黒服に案内されて席に向かう(けつまずかないよう気をつけながら、カクカク歩いていたような気がする)。純白のリネンのテーブルクロスが眩しい席につく。おずおずとフロアを見渡す。客は5~6分程度の入り。黒服が3~4人いた。少しアンダーな照明。飾られた花、壁の絵、調度の趣味もよかった……って、それはいいけど、何を注文すればいいんだろう。


 給仕長らしき、中年・眼鏡の黒服が軽く笑みをたたえてやってくる。


(うわッ、来ちゃったよ)


「メニューでございます。本日のお薦めは□●△と▼○■……でございます」


 慇懃な黒服の声が頭の中をすり抜けて行く。目が泳ぐ。コ、コースだ、それしかない。馴れた風を装って(かなりギクシャクと)給仕長にアイコンタクト。


(うわッ、また来た)


「お決まりでしょうか」


「(魚も肉も食える一等安い)このコースで」


「かしこまりました。前菜は #$%&、スープは %#$&、メインは &%$# 、デザートは $#%&からお選びいただけます」


(うひゃーッ、これは口頭試問か)


「コレとコレとコレでお願いします」


「かしこまりました。お飲物はいかがなさいますか」


(終わんないよぉッ)


「ワ、ワインをください」


「ワインはいかがいたしましょうか」


 降参だ。ここで知った風な顔はやめることにした。当時の僕は酒が苦手だった(30半ばをすぎてから、自分でも信じられないほど酒との親和性が深まるのだが)。


「よくわからないんです」


「ハウスワインのグラスはいかがでしょう。まずはお魚料理をお持ちいたしますので、白がよろしいかと思います」


 給仕長はあくまで丁重な姿勢を崩さない。「フランス料理」初心者の僕に選択肢はない。


「それで……お願いします……」


 手強し〝おふらんす〟。この時点ですでに敗戦……嗚呼。しかし、食い意地の権化である僕は当夜のメニューを覚えている。前菜は「すずきのマリネ」、スープは「コンソメ」、そしてメインは「鴨肉のソテー・マディラソース(*)」。甘いものはあまり欲さない体質なので、デザートはカンペキに失念した。濃厚なチョコレートと軽やかな生クリームが絶妙の一品だったような。


 自分で注文しておきながら「すずきのマリネ」に一驚(フランス人も「生魚」を喰うのか)。オリーブオイルとワインビネガーをまとったすずきは旨かった。初めてまみえたピンクペッパーの刺戟、添えられたハーブの香りが、またたまらなかった。丁寧に濾された、黄金色のコンソメスープの滋味。洋の東西を問わない「すまし汁」好きの僕にとってカンペキな一品だった。そして、メイン料理。レアに焼かれた鴨肉の旨味、焦げ目が美しい脂身の甘さに、甘酸っぱい、こくのあるソースが絡む。気がつくと、僕は肉を平らげた後のソースをひたすらパンで拭って口に運んでいた。


(美味い。すごいじゃん〝おふらんす〟)


 白ワインから、肉料理のための、赤のグラスワインを頼んで、気が大きくなった僕は(軽はずみ者の極みだ)、ソースの一滴も残っていない皿を下げにきた給仕長に尋ねた。


「マディラって何ですか」


 嬉しそうに微笑んだ彼は、それがポルトガルの酒精強化ワインであること、肉料理のソースに適していることを、丁寧に教えてくれた。感じがよかった。バレバレの〝おふらんす〟素人の緊張を緩和する、料理愛がひしひしと伝わってきた。気分がよかったので、その後も何度か足を運び、眼鏡の給仕長からいろいろなことを教わった。ゆるやかな、料理を楽しむ空気に満たされた店。良い店だった。しかしなぜ、そんなカッチリとした店が高円寺にあったのか。それはいまも謎のまま。


 事態が動いたのは突然だった。『週刊朝日』の見開きカラーの連載、有名人の「私のとっておきの店」的ページに「モンココ」が掲載された。拙著『高円寺洋食物語』(http://ncode.syosetu.com/n8628cz/)にも書いたが、マスメディアの威力は絶大だった。瞬く間に、いつも満員の店、うるさいわけではないが、客たちの話し声に満ちる店になった。黒服たちの動きも変貌した。手練の客はもちろん、僕のような素人客に対しても区別のなかった、ゆったりとした、しかし絶妙のサーブが及ばなくなった。眼鏡の給仕長も丁寧な応対は変わらなかったが、それまでのような「(僕の)フランス料理の先生」であることの余裕を失いつつあるように見受けられた。


 ほどなく眼鏡の給仕長の姿が消え、「モンココ」はサーブのストレスを感じる、居心地の悪い店になった。足が遠のく。そしていつの間にか店は閉じていた。店を紹介したのが誰だったのかは、すでに忘却の彼方。僕もよく知る著名文化人だったが、罪なことをしたものだ。彼(彼女?)に悪気のなかったことはわかっている。しかし、店というものは、些細なきっかけで崩壊してしまうこともある。


 スタンスを変えることなく、マスメディア発の嵐を乗り切った「キッチン・スター」(『高円寺洋食物語』をご参照ください)と、暴風を順風と読み違い自分を見失った「モンココ」。同じ高円寺で、たまたま僕が体験したふたつの事例。


 おバカな僕の質問に、愉しげに応えてくれていた給仕長が懐かしい。そして、僕とおふらんす〟の顛末はもう少し続く。


*マディラソース:正しくは「マデイラ」だそうです。マデイラ・ワイン(ポルトガル語、Vinho da Madeira)とは、ポルトガル領のマデイラ島で造られている酒精強化ワイン。マデイラ・ワインは、ブドウ果汁が酵母によって醗酵している時に蒸留酒を添加することで、醗酵中のブドウ果汁のエタノールの濃度を上昇させて酵母を死滅させることによって、強制的に醗酵を止めることを行う酒精強化ワインの1種であり、シェリーやポートワインと並んで、世界3大酒精強化ワインの1つに数えられる 。 マデイラ・ワインの場合は、エストゥファと呼ばれる加熱処理が行われるため、独特の風味を持つ。したがって、マデイラ・ワインには辛口から甘口まで様々タイプが存在する。通常マデイラ・ワインは、一般的なワインよりもアルコール度数が高く、17%から22%くらいの製品が普通である。なお、一般に辛口のマデイラ・ワインは食前酒、甘口のマデイラ・ワインはデザートワイン(食後酒)として飲まれる。 また、安価なものは料理酒としても用いられることもある。このマデイラ・ワインは、公的管理機関であるIVMマデイラ・ワイン・インスティトゥートによって、ブドウの産地や品種、熟成期間などが細かく定められている。(出典:ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「マデイラ・ワイン」最終更新 2013年7月28日 (日) 00:26 https://ja.wikipedia.org/wiki/マデイラ・ワイン)



……………………………………………………

浪速・南船場〝おふらんす〟戦線任務完了

……………………………………………………


 新大阪駅。新幹線から地下鉄御堂筋線に乗り換える。中津駅の直前まで地上を走る電車は、ビルが林立する大阪の街を望む淀川の長い鉄橋を渡る。目的地は淀屋橋。バブルと呼ばれた「お祭りバカ景気」の到来を半年後に控えた、とある夏のこと。以前勤めていた会社で、大阪の支社勤務を命ぜられた。「大阪は暑いぞ」なんていう先輩社員の声を聞き流し、支社への挨拶と住処探しで新幹線に乗った。


 僕は岡山生まれなので、子どものころからテレビでネットされていた「松竹新喜劇」「角座」の寄席中継、「吉本新喜劇」を、ごくあたりまえに観ていた。大阪のありがちなイメージは軀に染み付いていた。そして、松竹と吉本の「笑い」の違いはともかくとして、その実態は何も知らない謎の街だった。


 淀屋橋駅には驚いた。NHK朝の連続ドラマ『ごちそうさん』(2013年9月~2014年3月放送)で、ムロツヨシ扮する建築家が拘りぬいて完成させた、アーチ構造の天井の美しさに呆然。 広々としたホーム、効率性とデザイン性が融合した改札に続くゆるやかな階段が、またカッコよかった。


(こんな駅、東京にはないぞ)


 当時、まだ東京にはなかった自動改札を抜けて地上に出る。空一面から熱気が押し寄せる。


(ほんとだ。暑い)


 確かに暑かったが、その光景は心地よかった。空が広かった。淀川の旧水路である「大川」が東西に長々と横たわる中之島で分岐して、北が堂島川、南が土佐堀川と呼び名が変わる、まさにその場所(中之島の西端で再び流れはひとつに戻り大阪湾に注ぐ)。中之島を挟む淀屋橋と大江橋(*1)を渡る。こちらもまたアーチ構造。重厚なデザインとレトロな街灯が、想像もしていなかった異国感を醸し出す。左に石造りの荘重な日本銀行。右にはなんてことのない箱形の、ただし威圧感満点の大阪市役所。その先に、有名な煉瓦造りの中央公会堂が望める。すべてが十分以上の前庭を保つ広々とした敷地に鎮座していた。川に沿い、また川を渡り交錯する高速道路すら景観のなかに溶け込んでいた。


 異国感。それは東京ではあまり例のない、ビルの高さ規制(*2)の賜だった。大阪を代表する繁華街、「キタ」と「ミナミ」をつなぐメインストリート「御堂筋」は、淀屋橋から本町・心斎橋まで、両側の大企業のビルの高さがキレイに揃っていた。緑から黄へ。季節が巡り劇的に変化する、みごとな銀杏並木もたまらなく美しかった。


(おふらんす……バリみたいだ、行ったことないけど)


 なんてことを実感するのは、もう少し先の話。


 大江橋を渡った堂島の支社。支社長やスタッフに挨拶して、不動産屋に向かう。その日のうちに住処を決めるつもりだった。「西宮あたりがいいぜ、通勤は便利だし神戸も近い」「大阪なら豊中・箕面方面がお薦め。環境はいいし、転勤者も多い地域だ」。支社勤務経験者のサジェッションはともかく、僕は大阪市内に住もうと決めていた。特段のポリシーがあったわけではない。(転勤するなら職住接近にしてやる)的な、軽はずみな思いだけだったような気がする。福島、天満と、いくつか物件を案内された(後は失念)。拘りはないけど、イマイチだった。


「1軒えぇのがあるんですけど、ちょっと高いんですわ」


 南船場4丁目、新築の6階。東京の住処より高かったが、家賃補助があったので即決した。なにせ、支社最寄りの淀屋橋まで2駅という立地が魅力だった。


「南船場ぁ……そんなとこ住んだら〈弾〉が飛んでくるぞ」


 支社勤務経験のある口の悪い先輩社員に報告したら、脅された。それは冗談として、大阪を知る人に「南船場」に住んでいたと言うと一様にビックリされる。確かにいまの南船場界隈は、高級ファッション店やおしゃれなカフェ、レストランが集まる有名な街になっている(「高感度エリア」と呼ぶそうな……[笑])。東京で言うと〈西麻布〉な感じ。しかし当時は、日中は忙しげに人が行き交うが、夜になると、大通り(長堀通り)を隔てた心斎橋の賑わいがウソのような、静かな銘木問屋街だった。


 慌ただしく引っ越して、大阪生活がはじまった。と、朝、エレベーターで度々、数人の若者たちに出くわす。彼、彼女たちはコック服やギャルソン服に身を包んでいた。さりげない挨拶が気持ちいい若者たちだった。


(なんだろう)


 やがて理由が分かった。1階上に、近くのフレンチレストランのオーナーシェフ夫妻が住んでいた。YMD夫妻。穏やかで口数の少ないご亭主と、朗らかでパキパキの奥さん。ほぼ同世代に見受けられた。若者たちはまず夫妻の部屋に出勤し、制服に着替えて店に向かっていたのだ。夫妻と言葉を交わすようになって、とある土曜日のランチに行った。住処と並びの数軒先、小体な一軒家を改装した2階建ての店だった。


 EPVT。この名は、すでに大阪では老舗フレンチの代表格として轟いている(場所も近くに移転)。しかし、当時はまだ店を出したばかり。夫妻と若いスタッフたちが同じ夢を追うチームのような、生きのいい店だった。


 ランチは確か穴子のフリットだった。よくはわからないが、ヌーベルではない伝統的な力強いフランス料理のように感じた。折りをみてはディナーに行くようになった。看板メニューのひとつ、旬の身厚な鮑のステーキ肝ソースには恐れ入った。てきぱきとした接客が印象的なマダム(奥さん)や、見知りの若いソムリエに〈おバカ〉な質問をして、いろいろ教わるスタイルは「高円寺・モンココ」と同じだった。


 3年後本社に戻ることになった。大阪は愉しかった。よい街だった。仕事もおもしろかった。東京には戻りたくなかった。人事異動に抗えない自分が残念だった。


「お別れに、ディナーにいらっしゃい」


 マダムに誘われた。2階の窓際の半個室席を用意してくれていた。おそらく2度と経験できないだろう、〝おふらんす〟そのものだと思われる、料理と酒の流れを愉しむことになった。

 

 ・アミューズ

 ・オードブル

 ・スープ

 ・魚料理

 ・肉料理

 ・口直し


 ここで、テーブルは1回リセット。そして、


 ・チーズ

 ・デザートとエスプレッソ


 すでにして「酒呑み」に変貌していた僕は、食前のグラス・シャンパンから白、赤と、ソムリエお薦めのワインを空けていたような……。


(美味かった。しかもよく呑んだな)


 と、マダムが、銀のトレイに載せられた、クリスタルのデキャンタを捧げ運んでくる。コニャックだった。大振りのブランデーグラスに注がれた琥珀色のそれを、ゆらゆらと揺らしながら舐めた。めったに呑まない酒。いい香りだった。すでに亡くなっていた父親を思い出した。


(そういえばいつも、こいつを美味そうに呑んでたよなぁ)


 シェフが挨拶に来てくれた。木彫りのケースに納められた葉巻が供された。ハバナかどうかは知る由もないが、太い葉巻をくゆらしながらコニャックを舐める。贅沢な境地だった。


 年を経て、フランス料理とも疎遠になった。わずかな〝おふらんす〟体験。食い意地だけの単なる〈おバカ〉な僕を遊ばせてくれた、東京・高円寺「モンココ」と浪速・南船場「EPVT」って、つくづく懐が深かったんだなぁ。


*1 淀屋橋と大江橋:(Wikipediaより引用)淀屋橋よどやばしは大阪市のメインストリートである御堂筋の一部となっており、国道25号に指定されている。元々は土佐堀川に架かる橋の名前だが、その後地下鉄御堂筋線と京阪電車の駅名(淀屋橋駅)とされたことから、駅周辺および中之島東部一帯の地域名にもなっている。中之島には大阪市役所、日本銀行大阪支店があるほか、船場側には日本生命本社や住友村、大阪市の関係機関などのビルが立ち並び、大阪の代表的なオフィス街である。/大江橋おおえばしは、大阪市北区の堂島川(旧淀川)に架かる橋である。(中略)現在の大江橋は、大阪市の都市計画の一環としての御堂筋の拡幅工事に伴い、1930年に着工し1935年に完成した。架け替えに先立ち、すぐ南側の土佐堀川に架かる淀屋橋とともに、1924年に大阪市の第1次都市計画事業で公募された、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ながら、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第1次都市計画事業の目指す所を現代に伝えている。このことが特に評価され、2008年には「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリートの橋としては珍しく重要文化財に指定された。


*2 ビルの高さ規制:(Wikipediaより引用)土佐堀川に架かるアーチ型の淀屋橋をはじめ、日本銀行、市役所、中之島図書館、中央公会堂の建物など、景観についても条例などによって規制され維持されている。また、2000年代現在は緩和(50メートル→60 - 70メートル)されているが、船場側の御堂筋沿いのビルの高さは、かつては31メートルに制限されていたため、建物の高さが綺麗に揃ったビル群を見ることができる。ただし、2011年を目処に淀屋橋交差点南東および南西の区画に超高層ツインビルが建設される計画があるため、建物の高さが揃った景観はあと数年で見納めとなる見込みである。


※「*1・2」の出典:【ウィキペディア(Wikipedia)フリー百科事典】[1]「淀屋橋」最終更新 最終更新 2017年4月7日 (金) 11:49 https://ja.wikipedia.org/wiki/淀屋橋/[2]「大江橋」最終更新 2017年7月17日 (月) 08:59 https://ja.wikipedia.org/wiki/大江橋


(東京・高円寺→浪速・南船場「東西〝おふらんす〟戦線」顛末 了)

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