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蕃茄

作者: 黒井羊太

あなたから零れ落ちるその雫を、私はずっと待っているのです。

 零れ落ちる一滴の雫は、私の命を繋ぐ貴方からの愛の液。

 私はそれを僅かも逃すまいと必死に口を広げる。

 はしたなくもあるが、最早そんな事に構ってなどいられない。

 この渇いた心に、貴方からの愛を。

 僅かな量でも、少しでも早く。

 

 舌を伸ばす。限りなく天へ、貴方へ、貴方の愛の液が流れ出るその場所へ届くように。

 体のあらゆる場所に力を込めて、高く、高く舌を突き出す。

 だけども決して届かない。

 届かなくとも、手を伸ばしてはならない。

 指先を一瞬伝うだけでは乾きは癒せないから。


 ぴちゃり、と舌先に愛が零れる。

 瞬間、乾ききったそこから電撃が、神経を通じて全身に走る。

 液は舌先からだんだん下って舌の根へ、喉を通り胸の奥まで。

 しかしたった一滴ではそこまでが限界。

 すぐに乾いて、元よりもずっと苦しくなる。



 昔の彼は、こんな人ではなかった。

 彼から注がれたのは無尽蔵の愛。

 尽きる事のない愛を何度も何度も全身に浴び、まさに私の体は彼の愛で出来ていた。

 根が腐れてしまいそうなほどの愛。

 過剰すぎる愛を注がれ、私は幸せの絶頂であった。

 


 それがある日を境に変わり始めた。

 最初は気付かぬ程ささやかに、やがてそれと思った時には半分程に。

 少ぅしずつ減っていく、愛。

 薄々分かっていたのだ。

 私以外の、愛を注ぐ存在を。


 それでも、たった半分でも私は幸せだった。

 本当はあの人が憎らしくもあったけど。

 半分だって、私に注いでくれるのならば幸せ。

 そう、自分に言い聞かせていた。

 幸せだけを見つめようとしていた。


 貴方の愛は、半分まで漸減し、そして半分で止まる事はなかった。


 徐々にその半分、更にその半分、そしてその半分。

 磨り減って、磨り減って、気付けばほんの僅かになっていた。

 気まぐれで注がれる、貴方の微かな愛。

 狂ってしまいそうだった。

 それでも、私はもうそれ無しには生きられないのだ。


 舌を伸ばす。限りなく天へ、貴方へ、貴方の愛の液が溢れる場所へ届くように。

 体のあらゆる場所に力を込めて、高く、高く舌を突き出す。

 だけれど、何度繰り返しても届く事はない。

 あぁ、貴方がただ望んでくれれば、すぐにでも私はこの身を尽くすのに!

 貴方はその事すら許してはくれない!


 貴方の気まぐれに注ぐそれは、私の心を癒し、そして痛めつける。

 まるで土漠のようにガサガサとささくれ立った私の心。

 そこに僅かな液を注げば、数瞬湿り、そしてより強烈に乾く。

 痛い、苦しい、体の芯が酷く疼き、身を捩りながら悶える。

 私に出来る事など、ただ甘く溜息を漏らしながら待ち焦がれるのみだ。


 貴方は知っている。

 私のこの甘い疼きを。

 私のこの切ない想いを。

 心に渦巻いているこのグジュグジュとした、あの人への思いも。

 必死になって全てをこのみに閉じこめている事を、


 それを閉じこめていた場所ははち切れん程に膨らんで、薄皮一枚で形を保っている。

 今にも中身をぶちまけて仕舞いそうな、不安定な私の心。

 赤く染まって、切れ込み一つですぐにでも破裂してしまいそう。

 隠しきれない程に肥大して、赤々と実っている。

 剥き出しの心に羞恥を感じるが、最早隠しようのない本心なのだ。


 あぁ、私の耐え難い苦痛を、貴方は少しも減らすまい。

 私が今どれほど苦しんでいるのか、貴方は少しも思いやるまい。

 私のこの蕃茄の実をもぎ取って行くこの瞬間にも、貴方は別な人の事を考えている。

 貴方が望んでくれるなら、この実を捧げても構わない。

 例えこれが今生の別れとなるとしても。


 狂いそうで、狂ってしまいそうで。

 もう、いい。

 悪魔と罵られても良い。

 愛を憎しみに変える事でしかまともでいられない。

 この気持ちは破裂寸前なのだ。


 貴方が私の果実を無遠慮に掴むこの時。

 貴方は私に向けて、僅かに微笑んだ。

 全ての心の葛藤は、報われた、気がした。

 ただこの一笑みでそんな気持ちに絆されてしまうなんて。

 呆れてしまう程に、私はこの人をどうしようもなく愛しているのだと気付いた。

 

 どうか美味しく召し上がれ。

 この私の、赤くて甘い、蕃茄の果実。

蕃茄とは

蕃茄ばんかとはトマトの事。その栽培方法の一つはとても変わっていて、水分を極力やらないようにする。そうすることで身の甘さが増し、よりおいしいトマトが出来るのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだか……ドキドキしました。エロい、これが卑猥さのない純文学のエロさか!文章が妖艶に匂いたっていて、肌のような柔らかさをかんじ、とてもエロかったです←しつこい。 オチで「トマト!?」と驚…
[良い点] トマトを食べたいと思っていた矢先でした(笑) 改めてもう一度読み返してみると、また違う面白さに気付けそうですね! いったい何の話だろう、と良い意味でだまされてしまいました。
[一言] 大変遅くなりましたが読ませていただきました。 結末を知った後にまた最初に戻ると成る程なぁとなりました。 こういった視点で見ると人間のワガママで愛情が注がれないのは辛いなぁと思いました。 しか…
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