気になるあのコに右フック
文学フリマ大賞に出した作品を修正したものとなっております。
キーンコーンカーンコーン……
時刻は午後六時。部活や塾といったそれぞれの理由によって生徒達は二人しかいなくなった1ー2の教室。
季節はもうすぐ夏。五月蝿く聞こえていた鶯谷の音色も、幾分か程良くなってきた頃だ。
俺は今、これからの学校生活を大きく左右させる瞬間を迎える。
いや、迎えるというより迎え入れるといった方がいいかもしれない。
緊張で張り裂けそうな胸の中を、ノイズ混じりのチャイムの音が重く響き渡る。
「あっ……あのっ!!」
少し裏返った甲高い俺の声を聞いた彼女は、持っていた数枚のプリントを机の上に置くと、まるで病院で番号を呼ばれた時のようにこっちへゆっくりと振り向いた。
「どうしたの? 音羽くんって今日の日直だったっけ?」
「い、いや、今日は艮が日直なんだけどさ、愛宕さんは、今は、な、何をしてるのかなーって……」
「見ての通り、クラス掲示の張替え作業。画鋲って外すの大変なのよね」
俺はまず、雑談で自分の気持ちを落ち着かせようとした。
決して緊張のあまり一番大事なことを言うのを先延ばしにした訳では無い。
そして言う前に別の話をされてそのまま流されかけている訳でも無い。
「じゃあ、一体何故音羽くんはここに来たの? 私に用事かしら?」
「う、うん。少し、愛宕さんに用があって……」
「用?」
彼女は何の用事なのか心当たりが無いようで、TVでやっていたメンフクロウの様に首を傾げる。
それもそのはずだ。
俺は……今から彼女に告白をする。
彼女、愛宕 美空はクラスの委員長をしている。
容姿端麗文武両道、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とはまさに彼女の為の言葉だろう。
俺はクラスでも人気のある、そんな彼女のことが好きである。
クラス一可愛い子からクラス一好きな人として意識をし始めたのは、先月、先生に頼まれて数ⅠとAのノートを職員室へ持って行こうとしていた時のことだった。
その時彼女は、回収されて教卓の上に悠々と積み上げられたノートの山を、頼まれてもいないのに運ぶのを手伝うと言ってきた。
「大丈夫、ひとりで運べるから。それに、女の子に手伝わせるなんて……」
ノートはⅠとAで合わせて七十五冊。多いが二回に分ければどうということも無いし、女子に協力してもらうのは、男子として恥ずかしい。
そう思い、断った俺に彼女は、
「こっちの方が大丈夫よ。私、クラス委員長だし、音羽くんもさっさと終わらせたいでしょ?それに、私も暇だから。何か作業をしてないと気が済まないのよ」
そう微笑みかけながらノートを半分程度取ると、俺の静止に耳を傾けず、彼女は教室を出て行った。
俺はその一件以降、優しく声をかけ、普通なら嫌がるような仕事を頼まれてもいないのに手伝ってくれた優しい彼女のことが、頭の中から離れなくなっていたのだ。
「あっ、あのさ!」
「どうしたの?」
ヤバイ、緊張で頭の中が真っ白だ。
こんな感じは生まれて初めてである。
そもそも、告白自体人生初なのだから当たり前だ。
大会の試合前みたいに、シュミレーション練習は何度も行ってきた。大抵の反応なら、返せるようには一応してある。
言え! 言うんだ俺!! 短くも大きな思いのこもった、心の中で繰り返し続けたこの言葉を……!!
「おっ、俺と……つっ! 付き合ってください!!」
「!! 付き…合う……」
言った!言ったぞ!!
俺の心は達成感と緊張感で一杯である。
さて、彼女はどう言ってくれるのだ……?
「付き合うって……私とだよね?」
「うん」
「それって、本気?」
「本気です」
「そっか……」
彼女はゆっくりと教卓の方へ歩くと、俺に背を向け、黒板の前に立った。
そして、しばしの沈黙の後にゆっくりとこっちを向くと、彼女の口からはこの四文字が飛び出した。
「なぐって」
二人の間にひと時の沈黙が走る。
「えっ、何て?」
「なぐって」
「そっか、なぐってか……殴って!?」
どういうことだ!? こんな返答は予想していないし、することも出来ない。
この場合……一体どうすればいいのだ? 世の告白経験男性は、こんな返答をされたことがあるのか!?
「殴るって、何を?」
「そんなの、私に決まってるじゃない。ここを一発、思いっ切り殴ってみて。私が気に入ったら付き合ってあげるわ」
彼女は、自分の左頬を地図の目的地を示すかのようにトントンと指差した。
「そっ、そんな、女子を殴るなんて出来ないよ!」
「そう……じゃあ、付き合うことは出来ないわ。ごめんなさい」
えっ!?
「なっ、何で殴るの? 殴られて、痛くないの!?」
「それがいいんじゃない」
彼女の理由には、俺は唖然とすることしか出来ない。
勿論、理解も出来ない。
すると、彼女は自分の過去を語り始めた。
「私は、父と母にとても優しく育てられた。何不自由も無く、私も愛情を注いでくれた両親に応える為に一生懸命何事にも取り組んできたわ」
「そうなんだ…それが、殴るのと何か関係があるの?」
「ある日ね、進路のことで父と少し口論になって……その時に、初めて頬を打たれたの」
「えっ!?」
結構な大喧嘩みたいだ。彼女は大丈夫なのだろうか?
「その時、私は思ったわ。この世に、こんなに気持ちの良いものがあったんだ……って」
……彼女は、大丈夫ではないようだ。
「それで、お父さんとは……?」
「ウフフ……」
彼女は怪しい笑みを浮かべる。
彼女の腰骨まである黒髪が、窓から吹き込む風で修羅の様に舞い上がった。
「最悪よ」
「えっ!? 仲直りした方が……」
「それじゃあ、誰が一体私を殴るのよ!?」
「えっ、エエェェ……」
俺の中の彼女像は音を立てながら崩れる。
まるで、美しい殻に包まれた卵の中から、醜い怪物が生まれてきたそれに近い。
「まあ、私を満足させてくれるような人が出てくればそれでいいんだけど……さて、こんな私に音羽くんは告白するの?」
「えっと……」
確かに、彼女は変だ。
でも、俺を手伝ってくれた彼女は偽りの姿ではない。だったら……
「すっ、するよ!僕は……君のことが好きだから!!」
俺の言葉を聞いた彼女は、驚きの後に期待と感動に満ち溢れたような目でこっちを見た。心做しか、彼女の黒曜石のような瞳がいつもより輝いて見える。
「第一関門突破……ね」
「第一関門?」
「私、高校に入学してから音羽くん以外にも何人か告白されたことがあるの。音羽くんで丁度十五人目かしら」
「十五人……」
やはり、彼女は男子から人気があるようだ。
「でも、私の過去を聞いて告白するって言ってくれたのは貴方が初めてよ。素直にそれはとても嬉しいわ」
「愛宕さん……」
そうなんだ……俺もとても嬉しい。
「じゃあ、俺と……」
「いや、まだ第二関門があるわ」
「第二関門……?」
「ほら、さっさと私を殴って」
「えっ!? 本気なの!?」
「当たり前でしょ。こんなこと、冗談で言ってたらまるで変な人じゃない」
十分変です……とは流石に口が裂けても言えない。
「さあ! 早く!! さあ!!」
彼女は俺に詰め寄る。彼女の豊満な胸が、俺にぶつかりそうになった。
ここで殴らないと、彼女とは付き合えない。
でも、女の子を殴るのは抵抗がある。
けど、彼女と付き合う為なら……
「じゃっ、じゃあ……」
「思いっ切り来て頂戴」
彼女はそっと目を閉じる。彼女の表情からは、期待という文字が溢れ出している。
俺は拳を構えると、彼女に向けて発射させた。
彼女の夕日で紅く照らされた白い肌にどんどん近づく拳。
ダメだ! やっぱり……
躊躇しながら当たった俺の拳は、ポスンと彼女の頬につまらない音を立てた。
「……五点ね」
そう彼女は言う。
「特別に、もう一回だけチャンスをあげるわ。今度は思いっ切りよ? 途中で力も抜いちゃダメ」
「えっ!?」
もう一回だって!?
俺は自分の拳を見つめた。
触れた彼女の肌は、柔らかくてマシュマロのようだった。
それでいてハムスターのように暖かい。
「じっ、じゃあ……」
「さあ、早く来て!!」
彼女は目を閉じる。
やるぞ……やるんだ! やらなきゃ俺は付き合えない。
この拳で、この一撃で、俺は、俺は愛宕さんと……!!
俺は思いっ切り拳を奮った。彼女に向かっていく右拳。
その時、彼女の右目がパチリと開き、俺と目が合う。
危ない!!
そう思いながらも思いっきりバチンと当たった拳に、彼女は横に飛びながらヨロヨロと机に手を置いた。
「だっ、大丈夫!?」
心配のの声をかける俺に相反して、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「八十点。かなり良かったわ!」
これは、オッケーなのか? 付き合えるのか!?
「じゃあ、俺と……」
「でも、付き合うのはまだね」
「えっ、何で……」
なんてことだ、二回も苦行に耐えたのに……
「貴方、力をまた少し抜いていたでしょ」
「うっ、」
「それでもこの一撃、ましてや右フックなんて……最高じゃない!!」
「……右フック?」
「ええ。ストレートパンチを選ばないなんてなかなか通なのね!!」
「は、はぁ……」
俺は選んだつもりは無い。本当は、軌道を変えて彼女の前を素通りするつもりだったのだ。
あのままぶつかっていたら、彼女の目に当たっていた。失明でもさせてしまったら大問題である。
「とりあえず、友達以上、恋人未満ってところから始めましょう。和彦くん。私のことも、美空でいいわ」
俺は下の名前を呼ばれてドキッとした。
「じっ、じゃあ……宜しく、美空さん」
「ええ」
結局、告白は失敗したけど……この結果はこの結果でありだと思う。
「ねえ、次はいつにする?」
「えっ、次?」
「ええ、次こそは和彦くんに全力の一撃で殴ってもらわないと」
嘘だろ…またやるのか……
「あっ、嫌なら道具を使ったもいいわよ。例えば竹刀とか! いつも剣道部の側を通る度にアレで殴られたらと思うと顔がとろけて……」
「いやいや! アレは流石にダメだよ!!」
「あらそう? 少し残念だわ……」
竹刀で人を殴るのは流石に危険すぎる。拳で人を殴るのもどうかと思うけど……
「あ! そうだわ!! 和彦くんにこれあげる」
そう言った彼女は鞄から一枚のチラシを取り出した。
「はい、この近くにあるボクシングジムの入会者募集の紙。貴方なら世界、そして私の心も十分狙えるわ」
そう言われ、俺は頬を赤らめながらビラを受け取る。
「それじゃあ、そろそろ私は帰るわ」
「あっ!!」
俺は、一緒に帰ろうと誘おうとする。
しかし、緊張ですぐには言えそうにない。
「あっ、最後に一言だけ」
扉の前で彼女は立ち止まると、彼女は俺の方を見る。
「今度こそ、貴方の本気、期待してるわ。それと、このことは二人だけの秘密よ。わかった?」
「……はい」
「宜しい。フフッ」
そう言い微笑んだ彼女は颯爽と去っていった。
一人残された教室で俺はチラシの字面をじっと眺める。
「入会金、お母さん出してくれるかな……」
カァー…カァー……
時刻は午後六時半。
暗くなり始めた教室に、カラスの声がゆっくりと響き渡った。




