8
玄関の扉を開ける。
そして閉める。
………。
……………。
これはやはりよくないんじゃないの。
「母さん!!」
おれはがぱっとリビングの扉を全開にし、叫んだ。
「言ったでしょ母さんっ、玄関の扉の開閉の音には敏感になりましょうううう………って、あれ、母さんは?」
「あっ、やっ、あぁぁもうばかぁポーション使っちゃったじゃんもぉ、ロビンにあげないといけないのにぃ」
「あいり、母さんは?」
「村長さんに頼まれて洞窟に薬草取りに行った」
「ふぅん」
あいりの言ったことを訳すと、役員会か何かだろう。多分。
「あっ、言っとくけど、あいりもなんだからね?」
「う?なにがぁ?」
「玄関の開閉音には敏感になりましょう」
「それっておかーさんにもいったの?」
「うん、昨日言ってただろ」
「きのう?おにーちゃんそんなのいってなかったよぉ?」
「それはあいりが聞いてなかっただけですぅ」
「えー、ぜぇったいにいってなかったよ、そんなビミョーなちゅうこくぅ」
「……まぁ、いいけどさ。ちゃんと守ってよ?家族の平穏がかかってるんだから」
おれが言うと、あいりはぱたんとDSを閉じて、上目遣いにおれを見た。
そんな目でおれを見るな。
可愛い。
「おにーちゃん」
「な……何デスカ」
「おなかすいた」
作ってあげよう。
こんなにかわいくお願いされてしまったら、老若男女どころか魑魅魍魎だって、何でも作ってあげよう、と思うに違いない。
「ええと、何が食べたい?」
「ぱふぇ」
「それご飯じゃないだろ」
「じゅーぶんおなかいっぱいになるもん」
「幼稚園児みたいなわがままをいうんじゃない」
「いーもん、バスこどもりょーきんでのれるから」
「お前中学生だろ、ちゃんと大人料金払いなさい」
「ぶぅー、ぜったいバレないのにぃ」
たしかに、あいりの幼児体型なら、小学4年生くらいでも通用するかもしれない。多分身長140センチも無いし。いや、それは言い過ぎだろうか。
「あいり、身長何センチ?」
「んー?135くらいかな」
予想以下だった。
いつからだったか、あいりの成長が止まったのは。
「あ、母さんちゃんと晩ごはん用意してくれてんじゃん」
食器棚の中の二人分のハンバーグ弁当を発見して、おれはあいりを振り返った。
あいりはソファにうつぶせて寝ていた。
「おーい……あいりちゃーん」
返事が無い。ただの屍のようだ。じゃなくて、おやすみ三秒って、のび太かよ。ん?のび太だっけ?いや違うな、絶対違う。のび太ならもっと早く寝れるはずだ。
「おれはのび太を信じている」
「だれがのび太?」
「うおっ、起きてた」
「おきてるよぉ」
あいりはごろん、と仰向けになり、両手を上げてぶらぶらと振った。それを見たおれは、それがあいりの
「どうか私が起き上がるお手伝いをしてくださいませんかお兄様」
というメッセージだと瞬時に汲み取り、さっとあいりに手をさしのべた。
「んうーっ」
あいりが腹筋に力を入れた様子はまったく無かったが、あいりはすんなり起き上がった。軽い。
「あれ、この前違うゲームやってなかった?」
「あーアレ駄目つまんない。やっぱ今の時代はコンタクトだよ」
「ふぅん」
何故いきなりコンタクトレンズの話になったのかわからないまま、おれは適当に相づちを打った。
「おにーちゃん、なんできゅーにコンタクトレンズのハナシになったんだろうっておもってるでしょ」
バレた。
「まー、おにーちゃんに話したってコンタクトの面白さなんてわかんないだろうからいーよ」
諦められた。
「ねーおにーちゃんおなかすいたぁ、はやくごはんー」
「あーご飯ね、うん、今準備するからね」
あいりに急かされて、おれは夕食の用意をしようと立ち上がって、
「おにーちゃん」
とあいりに呼び止められて振り向いた。
目があった。
あれ?
何か、変だ。
「おかえり」
にぱっ、とあいりは笑った。
ああ、
そっか。
やっぱりあれは、人を好きになる種、だったんだ。
あの種を食べたおれが好きになったのは、日野じゃなくて。
「あいり」
「なぁに?」
「好きだ」
しゃがみこむと、目線の高さがあいりとあった。
手を伸ばしてあいりに触れて。
「おれはあいりが好きだ」
言ったこともない言葉が、言うとも思ってなかった言葉が、まるで何度も練習したみたいに、すらすらとおれの口から出てきた。
「おれはあいりが好きだよ」
あいりのまんまるい瞳に、おれの顔が写って、それだけでなんとなく嬉しくて。
あいりがいつものように、嬉しそうににぱっと笑って。
「しってるよぉ、そんなこと」
人を好きになるって、こういうことなんだ。
別におれの心臓は、活動を活発化することなんてなかった。
鼓動はいつもの単調なリズムを刻んでいる。
ただ、
その音は、バカみたいに大きく頭に響いていて。
おれはあいりとキスをした。
ファーストキスだった。