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CHERRY  作者: のの
4/35

3

「ねぇチェリー、最近どう?」

朝からそのクラスメートは、いつもとまったく同じ質問をしてきた。

最近、と訊くなら、そんな毎日毎日同じ質問をするな。せめて週1とか、そんくらいにしてほしい。

そもそも最近というのは、一体いつからいつまでのことを言うのだろう。

辞書を引くと、近頃、とか、このごろ、とか出てくる。いや、だからその近頃っていつからいつまでのことだよ、とツッコミを入れてもいいのだが、まぁ、それは仕方ない、と心の広いおれは、素直に、近頃、を辞書で引くわけだが、近頃、のところには、このごろ。最近。と書いてある。

畜生。

まぁいいよ、このごろを調べればきっと答えにたどり着けるはずさ、と、おれにしては珍しく楽観的に物を考え、よし、やっと最近の範囲が判るぜ、と多少なりともわくわくを覚えてしまったおれにとって、

「いくらか前から今まで。」

という文字は酷く冷たいものに見えた。

「……どうしたの、チェリー?」

辞書を見つめて絶望にうちひしがれるおれの視界に、クラスメートの日野がぬっと顔を出した。

「な…何、どうって?」

「え、えっと……いきなり辞書持ってきてぱらぱらめくって、唐突にこの世の最期を見たような顔するから……何があったのかなって」

日野は戸惑いともとれる苦笑をその美貌にたたえた。

日野は可愛い。あいりほどではないにせよ。

勘違いされては困るので言っておくが、日野は女子である。下の名前はたしか、ええと、ゆ……あれ、や…ゆ?や?ゆ?よ?

あぁ忘れた。だめだなおれ、もう、だめだ。

「何調べてたの?」

ひょい、と日野は小さな辞書を覗き込んだ。普通の男ならそれなりにどきどきするのだろうが、おれの心臓は活動を活発化することはなかった。単調なリズムを刻むだけ。はは、さすがおれの一部。このまま死ぬまで高鳴ることなどないかもしれない。おれみたいに。

「ねぇ、日野、このごろってさ、いつ?」

「え?」

日野はキョトンと顔を上げた。顔が軽く近いな、とは思ったが、他の思い、抑えるのが最も困難だと思われる感情、つまり、怒り、がおれの思考を一瞬で支配した。

もとはといえば、おれがこの絶望を覚えたのは、このごろ、を辞書で引いたからであり、このごろ、を辞書で引いたのは、近頃、を辞書で引いたからであり、近頃、を辞書で引いたのは、最近、を辞書で引いたからであり、最近、を辞書で引いたのは、この日野が、最近どう?などと、曖昧模糊な質問をおれに投げかけたせいなのである。

「おいィィィィそこのチェリーボーイ!!マイプリンセス彩香さんから離れろォォォォ!!」

彩香さん?

あ。

そうだ、彩香だ。日野彩香。そういう名前だった。

「う……宇垣くん」

日野は宇垣を振り返り、困ったように苦笑した。

「おはよう宇垣、今日もうるさいね。あぁごめん間違えた、今日もうるさいくらいに元気そうでなによりだ」

「んなっ、先制攻撃とはチェリーのくせに生意気な!!」

宇垣はさっとでたらめに構えた。前に視線を戻すと、日野は宇垣のテンションにひいていた。心も体も。

「あぁわかったよ、しょうがないなぁ宇垣は。あとで遊んであげるから、今はあっちに行っていようねぇ」

「てめぇになんぞ遊んでもらいたくねぇよッ」

「日野、宇垣が遊んでほしいって」

「え、あたし!?」

日野はものすごく嫌そうな顔をした。ちょっとだけ宇垣が可哀想に思えた。

「あっ、ていうかチェリー!またはぐらかしたね?」

「え、何を」

「最近のこと!」

それは完全に完璧に濡れ衣である。はぐらかしたのではなく、質問が曖昧すぎるので、答えられずに流したのである。

だが日野は、もとを辿れば自分の過失であるにもかかわらず、おれを責める。まったくもって不条理である。

おそらく日野は、おれが日野の質問に答えない、いや、答えられない理由が、判らないのであろう。つまりどういうことかというと、日野は、教師に向いていない、ということだ。生徒が、わかんない、と言うと、わかるでしょ、なんで解らないの、と、自分の説明の下手さを棚に上げ、生徒を叱るのである。まったくもう。

「だって、だってね日野、おれ、どう?なんて訊かれてもさ、ねぇどう答えればいいの」

日野は目を丸くした。やはり気付いていなかったらしい。

日野は可愛いが、それに反比例するように人の感情を汲み取れない。期末テストの順位はたしか、おれよりも下だった。天は二物を与えず。昔の人は上手いことを言うなあ。

いやまてよ。

もしそのとおりに、顔と頭脳が反比例するのであれば、あいりはバカであるか、もしくはブスでなければならない。なのに、あいりはあんなに可愛いくせに、頭も良い。

天は二物を与えず。昔の人は何を言っていたんだ。

おれだって、何かしらの長所があってもいいはずである。なのに天は何一つ与えず。やはりこの世は不公平だ。

「えっと、それは」

「あとさ、はぐらかしてるのは日野も一緒だと思うけど」

「え?」

日野の背後には宇垣がいた。日野は、あ、と声を上げた。宇垣は放置されものすごく寂しそうにしていた。

「えっと、宇垣くん……」

「……いえ、いいんです!!」

宇垣はびしっと手のひらを日野及びおれに見せた。日野は言葉を失ったようだ。おれは人知れずため息をついた。

宇垣が何やら日野に言っている隣で、おれは辞書に目を落とした。

チェリー。

おれのあだ名。

あだ名、親しみもしくは軽蔑の気持ちを込めて、その人の特徴をとらえたり、本名をもじったりしてつけた名前。

チェリー、さくらんぼ。桜桃。

「おれはさくらんぼか」

「ねぇチェリー」

おれの呟きと日野の言葉は同時におれの耳に届いた。けれど日野の耳には、おれの呟きは届かなかったようだ。

「最近、どう?」

さっきと同じ質問だった。おれは黙ってかぶりをふった。日野は諦めとも安心ともつかないため息をついて言った。

「これ、チェリーにあげる」

日野の背後には、もう宇垣の姿は無かった。日野はおれの手のひらに、飴玉を一粒落とした。

「何?」

「人を好きになる種」

おれが顔を上げると、日野と目が合った。

日野はにこ、と笑った。

でもやっぱり、おれの心臓はいつもどおり単調なリズムを刻んでいた。

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