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図書室に行けるわけがなかった。
図書室じゃ、放課後に吉原と出くわすということはわかっているから。
家にも帰れなかった。
今あいりに会うのは、なんとなくためらわれたから。
だから、2年にもなって調理室の場所も判らないおれがたどり着くことのできた、数少ないサボりの定番の場所は、屋上だった。
実は屋上に来るのは、入学してから今日で二度目だ。ここにお世話になることが、おれにはほとんどないのである。
屋上に足を踏み入れると同時に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴ったが、もとより授業に出る気も皆無で、だからおれは気にせず、そのまま屋上をぐるりと一周してみようかしら、などと探検気分でいた、が、
「あれ……先客?」
入口からは見えにくい場所、そびえるフェンスの向こう側に、一人の男子生徒が立っていた。
「何してんの、授業始まったよ?」
おそらく彼もおれと同じで、授業に出る気はさらさら無いのだろうが、一応、彼に駆け寄り、声をかけてみた。
「………と、あれ?」
振り返ったのは、見たことのある顔。
昨日すれ違いざまにぶつかってしまった、あのイケメンである。
「あー、あの時の」
「な………なんで」
おれが彼を指差すと、彼はおれよりも数倍驚いたような顔をした。
「?……ええと、そっち側、行ってもいい?」
なぜか呆然とする彼に、おれはとりあえず尋ねた。
そっち側、とは、もちろんフェンスの向こう側のことだ。
安全のために設置してあるそれも、高校生なら誰だって簡単に飛び越えることが可能なため、その意味を果たしていないということになる。
彼は少しだけ躊躇してから、
「………どうぞ」
と頷いた。おれはそれを聞くより先に、フェンスをよじ上っていた。
「どーもっ」
フェンスの上から見下ろすと、一層地上と屋上との距離を感じた。人一人が座るにも充分なはずのフェンスと淵の幅が、妙に狭く思える。
そんな狭い足場に華麗に着地したおれは、フェンスを背に立つ彼の隣に腰掛け、足を外に投げ出した。それに続いて彼も座る。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……あ、あのさっ」
沈黙に堪えきれずに、おれは彼に無理矢理話しかけた。話す内容さえ決めていないのに。
「ここ、いいトコだねっ?」
「え?……は、はい、そうですね」
同じ学年のはずなのに敬語で答える彼。
………。
……………。
「ええとっ、ここ、よく来るの!?」
「いえ……あ、いえ……その……最近は、よく」
「へぇー、そうなんだ」
「はい」
「……………」
「……………」
続かない。
会話が続かない。
なんか、なんというか、うるさい宇垣やツッコんでくれる吉原と一緒にいたら、次々と話が積み重なっていくのに……やはりおれは話し下手なのだろうか?
とおれが少しずつ落ち込み始めていると、
「あの」
と、彼から積極的に声を発してくれた。
「んっ、何?」
「その……ひとつ、聞きたいことがあるのですが」
聞きたいこと?
なんだろう。
「あの、その……」
「?」
彼の表情が大袈裟なほど真剣で、おれは首をかしげた。
彼は意を決したように、おれを見据えてこう言った。
「絶対に、100%、叶うはずの無い恋をしたとして……それは、諦めるべきなのでしょうか」
絶対に、
叶うはずの無い恋?
「あ、いえ、その、まだ恋と決まったわけではないのですが」
「それってどんな?」
「え、ど……どんな?」
「どんな恋なの?どうして叶わないの?勝ち目の無い恋敵がいるとか?それとも相手の性格からして叶わないだろうみたいなこと?それとももっと根本的に?」
たとえば、
妹だったりとか。
「その……どれも、ですが、やはり一番大きいのは」
彼が顔を逸らして初めて、おれは彼に詰め寄りすぎていたことに気付いた。
「……好きになってはいけない……なるべきでない相手、といいますか」
それはまさに、
今おれが苦しめられているような恋じゃないか。
「………そんなの」
声が、震える。
「そんなの、絶対に諦めんなよ!!」
自分に言い聞かせるみたいに、
おれは彼に怒鳴った。
「諦めちゃだめだよそれは……周りからどう言われたって、相手にどう思われたってさ」
たとえあいりが、吉原を選ぶに決まってるとしても。
「あんたがその人のことほんとに好きなら、その気持ちを嘘にしちゃだめだ!」
おれはあいりが好きだ。
「……しちゃいけない恋なんて、ないんだから、さ」
好きで、いいんだ。
だから。
「だから、諦めんなよ」
おれも、諦めないから。
「は……はい」
「うん、そうだよ、ちゃんと頑張れよ!」
「は……はい」
「そりゃ、周りの人間たちは変な目で見てくるかもしんないけどさ、ほら、あ、そうだ、親とかに反対されたなら、駆け落ちでも――」
……………。
駆け落ち?
「……そっか」
駆け落ちか。
駆け落ちか!
「そっか、そっかそっかそっか、そっかぁその手があったかぁ!!」
「は?あ………あの」
「いやいやいやいや、ありがとうねイケメンくん!うん、ホントありがと!!」
「は?あ………はい」
彼の肩をつかんで揺さぶると、彼は危うく落ちそうになり、がしゃん、とフェンスを掴んだ。しかし閃いてしまったおれはそんなことおかまいなしに、
「ありがとなぁ!!」
と言って、そのまま勢いでフェンスをぴょいと飛び越え、屋内へ入ろうとして、ぴた、と止まった。
「あのさ、ひとつだけ質問、いい?」
「はい?」
フェンス越しにおれは彼に、一番気になっていたことを聞いた。
「名前、なんていうの?」
一瞬、
彼は瞠目して、
「………なる」
と、答えた。
「なる?」
変わった名前だな、と思った。