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「ただいま、あいり」
「ふぇ?あ、おにーちゃんだぁ」
あいりはたった今おれの存在に気付いたように、おれを見上げてにぱっと笑った。
「お兄ちゃん、箸出してくれる?」
「ん」
母さんに言われて、おれは素直に従った。
そういえば、今ソファで膝を抱えて一心にDSをしているあいりは、手伝う素振りすら見せない。
この世はなんて不公平なのだろう。生まれた順番で、こんなに差が生じるなんて。
「あいり、ちょっとは手伝えよ」
なるべくあいりの方を見ないように文句を言ってみる。
「う?」
とぼけた声を上げたあいりを、
あ。
見てしまった。
「あっははは、じょーだん!」
くっそおおおかわいいなぁ!!
そうなのだ。この差は生まれた順番などではなく、この可愛さ、愛らしさ、憎めない笑顔。おれとあいりの差はここなのだ。
たとえばおれがあいりよりも先に生まれたとして、現在の母のおれとあいりに対する扱いの差に違いが生じるかというと、それはまったくもってありえないことである。
あいりは甘え上手なので、幼少時代より周囲の大人たちから非常に可愛がられていた。
一歩家から出れば、あいりの愛らしい容姿に、おお、かわいいな、おいでおいで、おお、きちんとあいさつもできるのか、お嬢ちゃんはかしこいな、かわいいな、といった具合に、あいりが遭遇した大人の約8割が骨抜きにされ、阿呆のようににまにまと笑みを浮かべ猫なで声を上げあいりに飴玉などを献上する。
それにひきかえおれはというと、暗い。根が暗い。
根が暗いので、この世に楽しい事など何一つ無い、この世に面白いことなど一欠片としてナッシング、というような表情で道をゆく。
もちろん大人は、そんなどんよりとした雰囲気の、プラスイオンに満ちた子供を可愛いと思うはずがない。あいりに出会っては飴をくれる近所のおっさんは、おれに出会っても近寄ろうとすらしない。
いや、あのくそおやじのことだ、きっとあいりに近付くのも、幾分かの下心があってのことに決まっている。くそあのエロおやじ、あいりに何かしたらぜってぇ許さねぇ。いや、何かされてからでは遅い。次に会った時には許さねぇ。
話は逸れたが、そんなかんじで、ええと、なんだっけ。そうだ、あいりがどのように周囲の大人から可愛がられているのか。じゃねぇよ、おれとあいりの違いだ。
たとえあいりがおれの姉だったとしても、きっと周囲の大人たちはあいりを贔屓する。
あいりは生まれた時からそうだったので、手伝いはもちろん、自分の部屋の掃除すらしたことがない。
あいりは絶対に自立できない。
おれはそう確信している。
それと、将来あいりの面倒を見るのはおれだ、とも。
「あいり、ご飯食べよ」
母さんがゲームに熱中しているあいりに声をかけると、あいりは、はぁい、と可愛らしく返事をした。でもDSをやめる気は無いらしかった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
食卓を見ると、母さんはもう既に夕食に手をつけていた。いただきますはちゃんと言ったのだろうか。
「この前のテストはどうだったの?」
「ん、まあまあ」
本当はどのテストのことを言っているのかわからなかったのだが、どれもいつもと変わらない結果だったので、母さんには悪いが適当に答えた。
おれが席に着いて合掌すると、母さんは口に物が入っているのに、無理矢理おれに続いていただきますと言った。どうやら言っていなかったらしい。
「んあー」
がしゃん、とあいりは乱暴にDSを床に叩きつけた。どうやら負けたらしい。
「もぉエンドロールかぁ」
違った。昨日買ったソフトを早くもクリアしてしまったようだ。
これって、考えてみればすごくわがままだ。気に入らないとすぐに物にあたる、というわけでもないはずなのだが、今日のあいりは機嫌が悪いのかもしれない。
でもこんなわがままも、あぁ、世の中不公平だ、あいりだから許されるのだ。
おれの反抗期は、全てあいりに奪われた、と言ってもいい。あいりがわがままを言い放題なので、おれはあいりに手を焼きっぱなしで、いつのまにやら反抗期なるものを過ぎていた。
もしもあいりがこんな性格でなければ、おれは今頃、万引き、喫煙、自転車泥棒、リポDを一日に3本飲み巨大化して街をめちゃめちゃにする、などの非行に走っていたかもしれない。
それを考えると、母さんはあいりに感謝するべきなのかもしれなかった。
「あいり、ご飯食べよう」
おれが言うと、あいりはいつものように、嬉しそうににぱっと笑った。
けれどおれは、あいりのあの笑顔が、必ずしもあいりの喜びを表しているとは限らない、ということを知っていた。