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「あぁ、おはよ、よっしぃにチェリー」
望月は何の悪びれた様子も無く、爽やかですがすがしい朝の笑顔で、おれと吉原に手を振った。
が、こちらは、というより吉原は、望月のような笑顔とはいかず、むしろ、なんというか、
「………これは何だ」
般若?
「んー?」
望月の席は窓際だった。イスに深く座り、背もたれと机に手を乗せて窓にもたれかかる、という非常に行儀の悪い座り方をする望月の机に、吉原が例の新聞を、ばんっ、と叩きつけた。
「これは何だ、と聞いている」
静かだがトゲの生えまくりな吉原の口調に、いっこうに怯む様子も無く、望月はにっこりと笑った。
「報道部の新聞ね」
「見ればわかる。この写真のことを聞いているんだがな、望月千浪?」
望月の下の名前って、千浪っていうのか。
「これが事実なら、報道部設立以来の大スクープよねぇ。理系クラスの人気ナンバーワン男子である吉原くんと、特進クラスの人気ナンバーワン男子であるチェリーの熱愛発覚?」
「これは事実じゃない」
「そうだよ、おれ別に人気ナンバーワンとかじゃないし」
「いや……そこは合ってるが」
「えぇ?なんで?」
「なんでって……あー、後でいいか神波?」
おれが首をかしげると、吉原はため息をついて望月に向き直った。
「とにかくこれは事実無根だ。報道部に撤回させろ」
「事実でしょ?この写真が証拠。合成も何もしてないよ、コレ」
「写真を撮ったのはお前だろう?」
「わかってんじゃん」
望月はさらっと自供した。開き直った、と表現したほうが正確かもしれない。
こんなに恐い吉原を前にしてもその態度、もう拍手さえ送りたくなる。
「あたしこの目で見たもん、よっしぃとチェリーのキスシーン」
吉原が拳を固めたのをおれは感じた。けれど相手は女なのだから、さすがに手は出せないのだろう、吉原は深呼吸をしてから、再び望月に問うた。
「どうしてこんなことを?」
「どうしてって?」
望月はきょとんと吉原を見上げた。
「報道部の部長はあたしの友達だよ?友達と噂話をするのに、特に理由はないでしょ?」
「ふざけるなよ」
吉原の声がまた低くなった。
……………。
ええと、整理しよう。
土曜日の夜、おれや吉原が酔っ払ったとき、宇垣や日野も酔ってたけど、望月はそこまでぐらぐらじゃなくて、そんでカメラを持っていて?
「え、望月どこにカメラなんて持ってたのさ?」
「あら、隠し撮り用のデジカメぐらい乙女のたしなみよん」
「そうなの!?」
「神波に嘘を教えるな、信じるから」
「なんだ嘘かぁ、びっくりしたぁ」
「ふふ。生写真ってね、結構おこづかい稼ぎになんの。特によっしぃとかチェリーぐらいのレベルになるとねぇ」
「お前っ、神波まで……節操という言葉を知れ!」
「ふっ、お断り。あ、ちなみに文系クラスの紅ノ宮くんの写真もかなり売れますよー」
「黙れ望月」
「なんでおれまで撮るのさ?」
「ちょっ、神波、お前もちょっと黙って」
というかんじで相当騒いでいると、だんだん人が集まってきた。とはいえやはり吉原が恐いのか、皆遠巻きに見るばかりだ。廊下にも他のクラスの生徒たちが群れをなしている。
「ねぇ吉原」
「どうした?」
「あのさ、」
耳打ちしようと吉原に顔を近付けると、それだけで周囲の女子生徒たちがどよめいた。なんなんだよ、まったく。
「どうするの?酒飲んで酔ってたからしょうがない、なんて言い訳できないし」
「……わかってるさ、そんなこと。けどこのままじゃお前、俺と付き合ってることになるぞ?」
「それは困る」
「俺もだ。だから望月にこうして撤回を求めているんです、わかってんのか神波?」
「ええと、うん」
「何だその『ええと』は」
「撤回なんてしたって、どうせウワサは消えないと思うよ、よっしぃ?」
おれたちに割って入った望月を見ると、いつものあの含みのありげな笑みを見せた。
「別にいいじゃないっすかよっしぃくん、人の噂もなんとやらと言いますし?」
「てめぇが言うとムカつくんだよいちいち俺に嫌がらせしやがって」
「違う違う、その顔が見たいだけなのさあたしは」
「つまり嫌がらせしたいんじゃねぇか!!」
あぁ、吉原の口調が荒い。
「でも静かに怒ってる方が恐いよ吉原」
「てめぇは黙ってろ」
「うにゃ」
吉原に一蹴され、おれは小さくなって二人を見守ることにした。
……なんでおれここに来たんだっけ。
そうだ、吉原に引っ張って来られたんじゃないか。
……なんかもうやだ。
なんでおれがこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
なんで吉原はこんなに短気なんだ。理系クラスの吉原といえば、なんか、クールで理知的で完璧でちょっと近寄りがたい美形、みたいな、そういう設定の人なんじゃねぇの?
それは吉原の、単なる外面なの?
………なんて。
そんなわけない、よな。
吉原は、出会った時から、そんな完璧なんかじゃなかったじゃないか。
見た目はそりゃあ噂通りだけど、でも性格は、イメージと全然違って、ちょっと何かあったらすぐ怒鳴るし、楽しければ笑うし、おれが真剣に悩んでたら優しく励ましてくれるし、酔うと笑うわ脱がすわキスするわでぼろぼろだし、ツッコミは無意味に激しい。
所詮噂なんてそんなもので、イメージなんて嘘っぱちで、本当のその人なんか完全無視で。
実際にその人と話せば、そんなこと、すぐに解るのに。
「吉原」
「ん?」
「もういいじゃん」
吉原の袖を引っ張ってそう言った。
すぐに、何言ってんだよ、って、返ってくる、と思ったのに。
吉原はおもむろに腕を下ろした。
「夏休み挟んだら、どうせ皆忘れるだろうし、それに……」
信じたい奴は信じればいい。
ほんとにおれのこと解ってる人なら、そんなことあり得ないって、今まで通り接してくれるはずだ。
だから、いいや。
「もう、チャイム鳴るから、おれ、教室、帰るね?」
笑ってみせると、吉原は小さく息を吐いた。
「………そうか」
吉原が何を考えているのか、やっぱりわからない。
人の心を読む力を手に入れたら、真っ先に彼の心を読もう。