21
月曜日です。
いつもの通学路を歩いていると、学校の数十メートル前で吉原とばったり出会ったので、
「おはよ、吉原」
「あぁ、神波、おはよう」
「昨日、大丈夫だった?」
「まぁ、なんとか。そっちは?」
「まぁ、なんとか」
「そうか。ところで神波」
「なぁに?」
「お前の家からうちまで、歩いてもそんなに時間かからない距離だったけど」
「ふうん、そうなんだ」
「……………」
「ん?」
「……いや、やっぱりいい」
「何?気になるじゃん」
「別に、なんでもない」
「そう?」
という会話をしながら二人で校門をくぐり、少し歩いたところで、おれは一人の女子生徒と思いっきりぶつかった。
「わっ、ごめ……」
しりもちをついた彼女に手を差しのべるのと同時に、その女子生徒が知っている顔だということに気付いた。
「あれ、日野?ごめん、大丈夫だった?」
日野はおれを見上げる。心なしか顔色が悪い。
「……ええと、どっか痛い?」
しゃがんで顔を覗き込むと、日野はその目に、涙を浮かべた。
え、どうしよう、おれが泣かせた?
「ご……ごめんね日野、あっ、保健室行く?」
せきを切ったようにぼろぼろと泣き出した日野に、おれはオロオロしながら日野に話しかけるが、やはり日野は答えるどころか泣き止む様子も無いため、おれは困り果てて吉原を振り返った。吉原は、眉をひそめて首をかしげるだけで、やはり助けてはくれない。薄情者め。
「あの、あのさ日野、黙ってたらなんにもわかんないよ?どうしたの、どこが痛いの?」
日野はおれのことが見えているのかいないのか、訊ねるおれにぶんぶんと首を振り、絞り出すような声で言った。
「ち……ちがうの、チェリー……わかってる、わかってるの、この世、には、いろんな人が、いるってこと、わかってる、いろんな、人がいていい、じ……時代なんだよね。うん、わかっ、てるんだ、けど、でもやっぱり、ショック、ていうか」
……………。
日野が、壊れた?
「チェリーが……うん、知ってたんだ、チェリーに普通の恋はできないんだろうなって、なんとなく察してたんだよ?でも、でもでもでもぉ、やっぱ、納得、できなくて、どうあったって、あた、あたしじゃムリなんだ、って、突きつけられたら、つらいんだよお!!」
そう叫んで、ばっと立ち上がったかと思うと、日野は全速力で校舎に走って行ってしまった。
「ひ……日野!?ちょっ……えぇ?何、今の、えぇえ?」
わけもわからないまま吉原を見ると、吉原は何を思ってか、おどけるように肩を竦めた。
さっきの日野の奇行によってか、もしくはその他の原因によってかは不明だが、先程から、昇降口前の掲示板を見ていた生徒たちが、おれと吉原を見比べては声をひそめて何か話している。
一体何がどうなっているのだろう。
とりあえずのろのろと昇降口に向かうと、掲示板の前で群れる生徒たちの中に、宇垣を見つけた。
おれが宇垣に気付くより先に、宇垣はおれに気付いていたらしく、こちらへ向かって、必死で人波をかきわけて出てきた。その様子がなんだかおかしくて、おれはけらけらと笑ったが、ようやくおれのもとに辿り着いた宇垣は、いつになく真剣な表情でおれに言った。
「笑ってる場合じゃないって、ヤバいよ!!」
「ふぇえ?」
おれがのんきに首をかしげるのとほぼ同時に、宇垣はおれの手首をむんずと掴んで、ずるずると掲示板前の人混みの中に連れて行こうとしやがった。
嫌だ。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。あの人混みに飛び込むなんて絶対に嫌だ。そんな勇気、おれには無いんだ。
「わっ、待って、宇垣、まだ心の準備が」
おれはそれなりに頑張ったが、すぐに抵抗するのを止めた。
なぜか宇垣とおれが人混みに入って行くと、その人の群れは綺麗に両側に避けたのだ。
その光景に、ふと卒業式の花道を思い出した。
そういや中学の卒業式の日、2年生の女の子に、第二ボタンではなく名札をくださいとせがまれ、軽い気持ちであげたら、数日後の登校日にかなり困ったことがあったっけ。
道を開けた生徒たちに、おれがぼんやりしていると、不意に宇垣は足を止めた。掲示板の前に到着したからだ。
おれが少し見上げるくらいの位置、ちょうど吉原の顔ぐらいの高さに、報道部の校内新聞が貼ってある。
その中でひときわ目立つ記事の写真に、おれは言葉を失った。
「………ええと」
これは何。
「………ええっとぉ」
おれをここまで連れてきた宇垣は、おれにどのような反応を期待しているのだろう。
隣にいる宇垣を見ると、宇垣は困ったようにおれを見つめ返した。
ヤバいよ。
宇垣はそう言ったけれど、これ、もう、あの、ヤバいなんてモンじゃなくね?
背後からの足音に、おれははっとして、結構無理に新聞を隠した。するとやはり不自然に見えたのだろう、吉原は訝しげにおれを睨んで、その高い身長を生かし(ちくしょーどうせおれはちびですよー)、その新聞を、その写真を、見てしまった。
数瞬の瞠目。
数秒の沈黙。
そして、
「ふ……ふふ、ふふふふ………」
吉原は、笑い出した。
「よっ………よしは」
おれが吉原の名前を呼び終わらないうちに、吉原の長い右腕は新聞に伸び、乱暴に掲示板から引き剥がした。
「ふふ……あの女狐ぇ………」
怒っている。
吉原は今までにないほど怒っている。
「あ、あのさ、こういうのって、一昔前のマンガとかで、よくある、よねぇ……」
おれは必死で吉原を宥めようとするが、吉原の耳におれの言葉は届いていないようだ。
昨夜の憤る父さんと、それを宥める母さんは、こんなかんじだったのかもしれない。母さんごめん。
「ぜってぇ許さねぇ」
一段と低い吉原の声に、おれはびくっとした。隣で宇垣も同じ反応をしたようだ。
剥がした新聞をくしゃくしゃに握って、吉原はきびすを返し、大股で校舎へと向かった。
「ま……待って、吉原、どこ行くのっ?」
吉原に聞くと、ぼすっ、とおれは吉原にぶつかった。急に吉原が立ち止まったからである。
恐る恐る吉原を見上げると、吉原は振り返らずにこう言った。
「俺に対してこんな趣味に走った嫌がらせをしようとするのは、この学校に一人しかいない」
……………。
恐い。
おれが吉原に怒られた時だって、こんなに恐いとは思わなかったのに。
そう、これは殺気だ。
吉原は殺気立っているのだ。
当たり前だ、おれだってこんな報道されたら困る。やっと自分がモテてると気付いたばかりだというのに、これではもう女子生徒たちに逃げられてしまうではないか。
とかいうおれの邪な考えとは違い、吉原の場合、吉原の心で一番大事な部分、つまり、プライド、というものに、意図的になのであろう、かなり深い傷を付けられたのである。
可哀想な吉原。
そしてもっと可哀想なおれ。
吉原は、俺に対して、と言ったのだ。それは、これを書いた人間は、吉原をはめようとして書いた、という意味である。
ということは、おれはとばっちりをくらった、ってことだろ?
なんか泣きたくなってきた。
「お前も来いよ」
さっき宇垣がおれにしたように、吉原もおれの手首を掴んだ。宇垣の時と違ったのは、背後から生徒たちの歓声上がったことである。
振り返ると、掲示板の前にいた生徒たちみんなが、おれと吉原に注目していた。当然、なのだろう。あんな新聞記事を読んでしまったのだから。
しかし女子生徒たちのあの嬉しそうな顔は一体何だ。
おれと吉原を好奇の目で見ていた生徒たちに、吉原はギロリと一睨みした。生徒たちは一瞬凍り付いて、数人の勇気ある愚か者を除いたみんなが目を逸らした。
「ち……ちょっと待ってよ吉原!どこに行くの?」
「決まってるだろう」
吉原は、握っていた新聞を開いておれに見せた。
「こんなことが可能で、しかも実行する人間の所だ。判るだろう?」
こんなこと。
こんな写真を撮れて、且つこれを人に見せようとする人間。
土曜日の夜、おれや吉原とカラオケに行った人間。
「まさか………」
宇垣は違う。さっきのリアクションからして、宇垣じゃない。日野も違う。何より二人は、写真なんて撮れるほどしっかりしてなかった。
あの場で一番、酔いが回っていなかったのは。
「………望月?」
こんな、
おれと吉原が、でろでろに酔っ払って、そのノリでキスなんかしちゃってる、そんな写真を。
あの場で撮影できたのは、望月しかいないのだ。
「なんで、望月が?」
一体何がどうなっているのだろう。