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あいりは可愛い。
いつも変わらないにぱっという笑顔とか、あからさまにだるそうなゆうっくりとした動きとか、とんちんかんなタイミングの挨拶とか、何にも知らない子供のような拙い喋り方とか、大好きなゲームの話をするときだけはすらすらと難しい言葉を使えてしまうところとか。
それら全てが揃ってあいりで。
そんなあいりだからこそ、おれは好きになったのだと。
そう信じる反面、
それは違う、と。
何かが違う、と。
一体何がどう違うのかもわからないまま、
おれの中の誰かが、そう訴えている。
「あ……あいり!!」
今までにないほどの勢いで、おれは玄関のドアを開けた。
「あっ、お兄ちゃん!?昨日はどこに――」
「母さん、あいりは!?」
一瞬怒ったような表情を見せた母さんは、しかしおれの気迫に押されたのか、目を丸くして、リビングの正面のふすまを指差した。
「多分、和室に……」
「あいり!!」
勢いよく和室に入ると、すぐ目の前にあいりが座っていた。
膝を立てて、お気に入りのDSに釘付けで。
スパン、というふすまの音にも気付いていないかのように、顔をあげることさえしない。
「あっ、あいり?」
おれがしゃがんで目線の高さをあいりに合わせると、あいりはようやくおれを視認して、
「あ、おにーちゃんだぁ」
と言って、すぐまたDSに目を落とした。
いつもどおりのあいりだ。
あ、おにーちゃんだぁ、と言うのも、おかえり、を言わないのも、いつもどおり。
心の内でほっとしてから、おれは自分がわからなくなった。
なんだおれ。
あいりが普通なのは、当たり前じゃないか。
あいりは別に、何があったってどうもしない。どうかする理由が無い。
「一体どうしたの、お兄ちゃん?」
背後からの声に振り向くと、母さんが心配そうにおれを見つめていた。
「あ……ええと、その、ごめん母さん、勝手に家抜け出して」
「うん、まあそれは確かに、あたしなりにかなり心配したし、お父さんは激怒してそれを宥めるのにも相当苦労したけどさ、ていうか、何があったの?昨日はどこに泊まったの?しかも何、その急ぎようは」
なんだかとっても非難されているようだが、おれはどこまで正直に話すべきなのかを考えるのに必死だった。
「ええと、話すと長くなっちゃうんだけど」
「手短にお願い」
「面倒……な所は、はしょっていい?」
「おっけー」
よし、許可を得た。
「昨日、ちょっとだけ息抜きしたくて、みんなとカラオケ行ったんだ」
「うん、息抜きは大事だもんね」
「そんでね、ちょっとハメ外しすぎちゃって」
「うんうん、よくあるよねぇはしゃぎすぎちゃうコトって」
「思ってたより遅くなっちゃって、今帰っても父さんが入れてくれないだろうって思って」
「そだね、入れてもらえなかっただろね、賢い賢い」
「だから、リョウさんが泊めてくれるって言うから、泊まった」
「リョウくん?あぁ、なるほどなるほどなるほどねぇ」
適当に相槌を打ちながらおれの話を聞いていた母さんは、納得したようにこくこくと頷き、にぱっとあいりみたいに笑った。
「ま、リョウくんトコなら大丈夫だね」
物分かりの良い母親で助かった。
「そんで?」
「ん?」
「急いでた理由は?」
そう訊かれたおれは、少し考えてから、一つの結論に至り、答えた。
「特には無いかな」
「そう」
そうなのだ。考えてみたけど、どうして自分がさっきまであんなに急いでいたのか、さっぱりわからないのだ。
なんとなく。
なんとなく、すぐに帰らなきゃいけないような、帰りたいような気がして。
あぁそうだ、おれはあいりに謝ろうとしていたのかもしれない。
けどそうだとしても、何を謝ろうとしていたのかも忘れちゃった。
吉原なんかとキスしちゃってごめんね、おれはあいりが好きなのに。
それとも、
図書室で女の子に手ぇ振られて浮かれたりしてごめんね、おれが好きなのはあいりなのに。
それとも、
あの日いきなりキスしちゃってごめんね、あいりの気持ちも聞いてないのに。
それとも、
日野のこと可愛いとか思ってごめんね、世界で一番可愛いのはあいりなのに。
それとも、
一週間くらい前にあいりのいちご大福知らずに食べちゃってごめんね、せっかくあいりが楽しみにとっておいたのに。
それとも、
それとも、
それとも。
思い当たる節が多すぎてわからない。
振り返ると、相変わらずあいりはDSに夢中で、和室の窓を背にタッチペンを踊らせている。
おれはあいりに、何を謝ればいいんだろう。
おれは一体、何を間違っているんだろう。
あいりに聞いたら――答えてくれるだろうか?