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「ね、吉原、リョウさん見なかった?」
「いや……知らない」
おれよりは飲んだ量が少ないはずの吉原は、おれよりも二日酔いに苦しんでいる。そのあたりも体質による、といつか何かで聞いたことがあるが、吉原は酒にことごとく弱い体質らしい。
「うーん………どうしようかな、帰れないや」
「ここ、リョウさんちなのか?」
「え?吉原、憶えてないの?」
「ん、いや……あぁ、ほとんど記憶が飛んでて……神波の家かと思った」
このやろう、人のサードキスを奪っておいて、記憶が無いとは何事ぞ、と思ったが、少し考えて、言わないでおいてあげることにした。多分吉原、知ったら泣くから。
それに、よくよく考えてみたら、アレはおれのほうからしたような気もしなくはないし。
その辺はうやむやのままにしとこう。
「今日日曜でよかったなー、吉原ぁ」
「あぁ……学校あったら、多分、死んでた」
吉原はぐったりと答えた。ううむ、本当に何にも憶えていないらしい。
「まったくだよ。あ、宇垣たちは帰れたかなあ?望月に任せたんだけど」
「望月に?……大丈夫なのか?」
「え、なんかまずかった?」
「いや……まぁ、大丈夫……かもしれない」
かもしれない。
とてつもなく頼りない断言である。
と、
ガラガラガラ、と玄関の扉が開く音がした。
そういえばリョウさんちは引き戸だったっけ。
築何年だろう………。
「リョウさんっ」
「お、起きたか桜ん坊……吉原くんも」
リョウさんはスーパーの袋を手に(チームマイナス6%な母さんはいつもエコバッグを使うから、買い物袋なんて久々に見た)、いつもの優しい笑顔を見せた。
やっぱりこの人は、性悪でもサディストでもない。
「リョウさん、おれ帰……」
「朝メシ食うか?」
「いただきます!」
はっ、しまった。
帰らなきゃいけないのに……。
まぁでもお腹空いてるし、リョウさんはおれたちの分の朝食まで買ってきてくれたようなので、リョウさんの厚意に甘えることにしよう。
「あの………、リョウさん、すみません、泊まってしまって……」
「ん?あぁ、いいよ、別に」
袋から色々なパンやジュースを出しながら、リョウさんは吉原に答えた。
「それよりあんた大丈夫かぁ?酒弱そうなのに、結構飲んでたけど」
「あ……、いや、大丈夫じゃないんですけど……」
「おう、動けるようになるまで居ていいからな。あ、それとももう帰んないといけねぇとか?」
「そうなんですっ」
おれが言うと、リョウさんと吉原は同時におれを振り返った。
「あー……そっか、すまんな桜ん坊。あ、ちゃんと俺が言い訳してやっから」
リョウさんは全然悪くないのに、なんだか申し訳なさそうに、眉をハの字にして言った。
「あ、や、そういうんじゃ……ええと、なんか、一晩泊めさせてもらった上にご飯まで食べさせてもらった上にそんなアフターケアまで気にしてくれて、その、何から何までどうも」
リョウさんは笑って、いえいえ、と答えた。吉原はため息をついた。
「言いながらちゃっかりパンかじってるし……」
おそらくリョウさんがおれのために買ってきてくれたおれの大好物・メロンパンは、いつも母さんが買って帰るやつほどではないものの、やはり美味であった。
「いーよ、それ桜ん坊の分だし。他に食うヤツいねぇから」
「あ、やっぱり?ぁいたッ」
思ったことを言っただけなのに、おれは吉原に叩かれた。ただでさえ二日酔いで頭痛いのに。
リョウさんはそんなおれらを見て、
「夫婦漫才かお前ら」
と笑って、右手に菓子パン、左手にいちご牛乳をつまんで廊下に出た。
「いってぇなあ!なにすんだよう」
「調子乗りすぎだ馬鹿」
吉原を見上げて睨みつけると、吉原は呆れたようにため息をついた。同時に廊下で、リョウさんが叫ぶ声がした。
「おいマキぃ!朝メシぃ」
マキ、というのは、さっき二階で会ったお兄さんのことだろうか。
……女みたいな名前。
おれには聞こえなかったけど、あのお兄さん……マキさんはリョウさんに返事をしたらしい。リョウさんは何やら返してから、菓子パンを食器棚に、いちご牛乳を冷蔵庫にしまった。
「ねぇリョウさん、マキさんって、リョウさんの弟さん?」
「え、マキが?まさか、ただの迷惑な居候だよ」
弟じゃあないのか。
「……っと、桜ん坊と吉原くんは、別に迷惑じゃないかんな?気ィ遣うんじゃねぇぞー」
「あ、はい、ありがとうございます」
答えたのは吉原だ。おれはたいらげたメロンパンの袋をどうしようか考えるのに必死で、それどころではないのである。
「どうした、桜ん坊?」
おれがキョロキョロしているのを見て、リョウさんはまんまるいパンをかじりつつ尋ねた。
「あ……ええと」
無いのである。
探しても探しても、ごみ箱が見当たらないのである。
「あ、一つじゃ足りねぇだろ、それちっさいもんなー。もいっこ買ってあるから食っていいぞ」
「あっ、ありがとうリョウさん」
とりあえずふたつめのメロンパンを手に取り、それでもごみ箱を見つけられずに、あるわけがない場所まで探しだしたおれを、吉原は心配してくれているらしく、おれの肩を叩いた。
「ど……どうしたんだ、神波?」
「あっ、アイヤー」
「……何なんちゃって中国人みたいになってんだよ」
「特に理由は無いぜ!」
はっ、なんか今のテンション宇垣みたいだった。
「そ……そうか?」
「うっ、うん……」
答えながらおれは、リョウさんちのリビングの青いカーテンをめくった。
すぐ向かいの窓に、あいりがはりついていた。
「あ………」
「……どうかしたか?」
吉原の声に、空気抵抗でぶわっとなるカーテンを無理矢理窓に押し当て、おれは吉原に何気ない笑顔で振り向くことに成功した。
吉原は奇怪なものを見るようにおれを見つめてくるけれど。
「べべべべつになんにもみてないよお?」
「何か見たのか?」
「リョウさん色々ありがとう迷惑かけましたおれもう帰るねさよなら吉原もまた明日な!!」
「おぉ?親さんへの言い訳は……」
「ヘーキですっ」
「そうか?じゃあ、何か困ったことあったらいつでも来いよ、桜ん坊」
振り向くリョウさんに答えると、リョウさんはおれに手を振った。おれも靴に足を突っ込みながら、メロンパンが入っている未開封の袋と、メロンパンが入っていた空の袋とを持った手を振って返す。
リョウさんの向こう側で、吉原が呆然としているのが見えた。